38話 ゴマ

「診察する……かな」

 いつの間にか、肘枕でリラックスしながら成り行きを見守っていた薬師様が、起き上がりながら言いました。

「はい。それでは、ジュウイチの管狐からお願いしなさい」

御タケ様が促すと、ジュウイチは細い管狐に向かって指差して、その指を今度は薬師様の前に向けました。ひょろひょろぷるぷると、管狐が薬師様の方へ飛んで行きます。どう見ても、掴んで持って行った方が早そうですが、兄がイライラで発狂する前にどうにか薬師様の元へ辿り着きました。

 座布団から降りた薬師様が、細管狐の頭から移動しながら触って行きます。偶に、体に耳を付けて音を聞いたりしているようです。しっぽの先まで行きつくと、座布団に戻り、口を開きました。


「胃潰瘍、便秘。ストレス……かな。薬出す……かな」

診断を聞いて、御タケ様の眉根が、ぎゅと寄りました。

「あ、ありがとうございます」

ジュウイチが、慌てて土下座しました。

 御タケ様が厳しい顔のまま、ジュウニに促すような視線を投げました。察したジュウニは、畳に立っている太った管狐を鷲掴むと、薬師様の前にどんっと移動させました。

 先程と同じように診察をした薬師様は、再び座布団に戻ると口を開きました。

「メタボ」

御タケ様が俯いて、畳にごんっと拳を打ち付けました。

「あっあっ、すいませっ、ありがとうございました」

ジュウニが涙目で、土下座します。


 そこで、姉御が一つ咳ばらいをしました。

「あー、あれだ、後はCリーダーから順番に並んで、薬師様に診察してもらってくれ。俺はちょっと、向こうでリミッター焼き切れ寸前の御タケ様と話があるから。後のことは、兄さん、頼むよ」

そう言って、御タケ様の肩に手を置いた姉御に向かって兄が口を開きました。

「なに? お前の側を離れて、むさい男どもの面倒を見るのか? 何でおっさんとお前を二人きりにして、俺がそんな、」

「お兄ちゃん、お願い」

兄の毒舌がエスカレートする前に、姉御が魔法の言葉を繰り出しました。

「……しょうがないな。お兄ちゃんに、任せるといい」

兄は、お兄ちゃんの魔法に掛かりました。

 御タケ様を促して部屋を出た姉御は、兄に背を向けた一瞬、悪い顔をしました。黒魔導士は、兄を自由に出来る知恵を身に着けたようです。

 姉御が出て行って順調に診察が進む中、どこか遠くの方から、微かに男性の笑い声が聞こえてきました。


 Cリーダーとマーブルズの診断が進みます。異常なし、健康、という薬師様の言葉を聞きながら、兄は大きな欠伸をしました。姉御と御タケ様がいなくなった途端、足を崩して、やる気の無い態度が全開でした。そんな兄の横で、Cリーダーも畳に寝そべってくつろいでいます。

「なぜだ……なぜ、これ程健康で力のある管狐が、あのような女のもとにいるんだ」

ジュウイチが、己の貧弱な管狐を眺めながら呟きました。

「管の大将まで、盗んだよね。タケミの管狐だったのに。いずれ力をつけたら、僕達のものになったのに」

ジュウニも頷きながら、恨めしそうにCリーダーを見つめています。

 視線に気づいたCリーダーは、ペッと唾を吐いて、尖った牙をちらっと見せつけました。


「何だよ、お前ら。俺の可愛い妹に、文句があるのか? この、でかい管狐が欲しいのか? こいつは強くて頭が良いから、お前らじゃ無理だろ。そもそも、タケミの連中が嫌で逃げ出して来たんだろ? 妹は何も悪くないよなー、文句言われると、ぶっとばしたくなるよなー」

妹の悪口を言われた兄が、なー、と語りかけると、Cリーダーは頷いて、しっぽでバシンッと畳を打ちました。

「あの女は、術者じゃないでしょう? 普通の人間のくせに、管狐を持ったり、礼一様に馴れ馴れしくしたり、身の程を知るべきだ!」

脅しにも負けず、ジュウイチが言い返しました。どうやら、姉御に対する不満が溜まっていたようです。


 部屋の隅で薬を作り始めた薬師様のもとで、Cマーブルズがお手伝いを始めました。その横で、ジュウイチの細い管狐は点滴を始め、ジュウニのメタボ管狐は、ランニングマシンで無理やり走らされています。そんなことにはお構いなしで、兄とCリーダーはタケミの見習いを睨みつけました。

「てめー、馴れ馴れしくしてんのは礼一だ、間違えんな。あいつが妹に付きまとってるんだよ! それに、妹はお友達を大切にしてるだけで、管狐を持ちたいわけじゃねーよ。リーダーもチャイも、妹が好きなだけだろ。使われてるわけじゃねーから、ストレスもねーし、健康なんだろーが」

 兄は、的確に痛いところを突きました。ジュウイチは、ストレスで胃潰瘍を発症している己の管狐を横目で睨んで、悔しそうな顔をしました。主人に睨まれた細い管狐は、ポロリと一粒涙を流します。それを見たCマーブルズの一匹が、ポンポンと優しく背中を叩きました。


「僕だって、健康で優秀な管狐がいれば、もっと順位も上がって、礼一様のお手伝いが出来るんだ」

心無いジュウイチの言葉に、兄の顔が渋くなりました。

「お前、性格悪いな。礼一、礼一って気持ち悪ぃし。てめーの管狐が不健康で無能ならば、それはてめーのせいだろう。大事に育てろよ。管狐のせいにすんな、馬鹿」

「礼一様を呼び捨てにするなっ!」

突然、それまで黙っていたジュウニが叫びました。

「……お前、話聞いてた? どうでもいいとこに、突っかかりやがって。お前は、管狐のランニングの応援でもしてろよ」

兄が嫌そうな顔をしながらランニングする管狐を顎で示すと、ジュウニも己の管狐を嫌そうに見つめました。


「しかし……管狐は苦労が多いのな。逃げるのも解るわ。良かったなー、リーダーとチャイは、妹といられて楽しそうだもんな」

兄に振られたCリーダーとマーブルズは、うんうん、と頷きます。

 ジュウイチとジュウニは、言いたい放題で再びあくびをかます兄を憎々しげに睨みつけました。

「許せん! あの妹にして、この兄ありだ! 我々は、陰ながらしずく様を敬愛し、お守りする者。兄妹して、しずく様とニイの礼一様を煩わしていることだけでも我慢ならんのに、更には、タケミである我々にもこの無礼三昧!」

大声で喚いたジュウイチに、兄がうるせぇなっ、とCリーダーを投げつけました。

 投げられるままに飛んで行ったCリーダーは、ジュウイチとジュウニの顔面に己の胴体としっぽをぶち当てました。戻ってきたCリーダーに、兄は満足げに頷いて見せています。


「しずくって、妹に鬼をけしかけた女だろ。礼一のいとこで……確かゲームの中で、ライフルで眉間を……めちゃくちゃ、礼一に嫌われてる女じゃねーか。なるほどな。お前ら、しずくが好きで、陰でシコシコ勝手に妄想ナイトしてるわけか」

兄の言葉を聞いたCリーダーは、がばっと顔を上げると、兄の顔を見てにっと口元に笑いを浮かべました。

「お前、気付いたの? 夜と騎士をかけてたの。流石、優秀だな!」

そう言って笑い合う兄とCリーダーとは別に、くすっと微かな笑い声が響いてきます。


 部屋の隅で薬を作りながら、薬師様が笑っていました。

 それを見た瞬間、ジュウニが顔を真っ赤にして、鼻息荒く口を開きます。

「馬鹿にするなよ! 僕らの、しずく様への愛情は本物だ! 失礼なことを言うな。僕らは……僕は、しずく様が望むなら、一生下僕になったって構わないんだ! 踏まれたって、鞭打たれたって、幸せだ! しずく様が幸せになるのなら、礼一様との恋も応援出来る。しずく様が礼一様に抱かれる様も、血の涙を流しながら覗き見出来る。それほど、深く敬愛してるんだ!」

「そ、そ、そうだ、そうだぞ!」

ジュウニのマニアックな叫びに、ジュウイチは多少戸惑いを滲ませた同意を示しました。

「同志にひかれてんじゃねーか、マゾ野郎」

兄に呆れられたMジュウニは、ジュウイチをキッと睨みましたが、そっぽを向かれてしまい、目が合うことはありませんでした。


「何が下僕だよ。お前ら、愛情で俺に勝てると思ってんの? 俺はな、一緒にいられるなら、妹のヘソのゴマになったって構わないんだよ。妹の体温を感じて、ヘソの中心で愛を叫んでやる。そして、妹に害をなす者は、呪い殺してやるんだ。

 だが、どんなに掃除しても離れないぞ。妹が諦めるまで、奥にしがみついて耐えてやる。嫌われたって、どこまでもついて行って、妹を愛し、守るんだ、フハハハハハハハハハ!」

不気味で意味不明な話を繰り出した兄は、悪魔のように笑いました。

 気がつくと、CリーダーもCマーブルズも薬師様も、声を出さずに口を笑みで歪めています。兄は、歪みきってはいるものの、姉御への深い愛情ゆえに、姉御の仲間達から尊敬を得ていたのでした。


「お、おみそれしました」

 毒気に当てられたジュウイチとMジュウニは、深く頭を下げました。普通の人間には、到底行きつけないゴマ境地です。


「こんな風に壊れる前に、しずくより己の管狐にこそ愛情を……かな」

薬師様がジュウイチとMジュウニの前に進み出て、綺麗にまとめて諭しました。良く解らない理屈でしたが、未だブツブツ妄想しながら含み笑いする兄の姿を見て、タケミの青年二人は寒気を覚えながら神妙に頷き合ったのでした。


 兄が叫んだゴマ発言は、偶然廊下を通りがかったブチ白によってお宿じゅうに広がり、皆にゴマ兄と茶化されましたが、兄本人は全然気にしていませんでした。



 その夜……布団で熟睡していた姉御は、自分の頭を撫でられている感覚を受けて、うっすらと覚醒しかけました。姉御は、子供の頃に恐い夢を見て飛び起きた時、兄が頭を撫でて寝かしつけてくれたことを思い出しました。

「……兄さん、心配しないで、早く寝ろよ」

突然言葉を発した姉御に驚いたのか、撫でていた手が止まります。

「……あぁ」

姉御が思った通り、男の声が返ってきます。

 返事を聞いて安心した姉御は、再び深い眠りに落ちたのでした。

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