33話 じゃあね
「ヒロシ君、なんで滝に入って来れるようになたの?」
遠藤行者が静かになってきたところで、秋太たぬきがヒロシ君のゲートルをペシペシ叩きながら問いかけました。
「あぁ……偶然、珍しい連中がすごいスピードで滝に入っていくのを見かけたから、外から様子を伺ってたんだ。そうしたら、お願いします、この子を天国へって声が聞こえて来て……俺が連れていってやるぞ、と返事をして突入してみたら入れたんだよ」
そうやって試しに突入したヒロシ君は、遠藤行者の後頭部へ着地したようでした。
秋太たぬきは、へぇーと適当な返事をしながら、今度は遠藤行者のもとへ歩いて行き、地面へ座り込んだまま呆然としている肩へ、ぽんっと触れました。
「あっ、遠藤行者の後頭部に、タイヤの跡が付いてるよ!」
秋太たぬきが、素晴らしい発見をしたように叫びました。
「気付いてるよ! 言うなよ! 真面目な雰囲気だから、吹き出すことを恐れて考えないようにしてたんだよ。やめろ! 指差すな!」
姉御は、秋太たぬきに向かって怒鳴りましたが、秋太たぬきが遠藤行者の後頭部のタイヤ痕をペシリと叩いたのを見て、盛大に吹き出しました。同時に、膝にいたブチ白も吹き出します。
「笑ったら、駄目だよ!」
影が薄かった子供が、遠藤行者のもとへ走り寄ると、自分のシャツの下の方をめくって頭のタイヤ痕を拭きながら言いました。
「おぉ、子供に怒られたぞ。優しいちびっ子だな」
一番年下に常識的な対応を見せつけられた姉御は、茶化すように笑顔を見せてから頭を掻きました。
遠藤行者はそっと体を起こすと、そっと子供の頭を撫でました。それから、ぐるりと周りの面々を見回して頷きます。
「そうですね、優しい子です。ヒロシのおかげで、無意識ながら、私の祈りに力があるということが実感出来ました。ならば、無意識だからこそ、私は正しい心を持たねばならぬのだと思う。嘆くことは、今日限りで終わりです。十分、この子には慰めてもらった。ヒロシよ、この子を天国とやらへ連れて行ってあげてくれ」
そう言って立ち上がった遠藤行者からは、もはや気弱なオーラは感じられませんでした。
偶然雲が切れたものか、空から滝に光が射してきます。光の当たった水しぶきは白さを増して、力強く流れ落ちる滝を華やかに飾ります。木の葉の緑も鮮やかに輝いて、下ばかり向いていた皆の顔を上へと誘いました。
「おぅ、任せろ。それで、お前はどうするんだ?」
皆と一緒に青空を見上げたまま、ヒロシ君が問い返します。
「私は……ここに残る。力を得たならば、この世で出来ることもあると思う。幽霊だけど、修業してみるよ。前は、すぐに死んでしまったからね」
そう言って笑った遠藤行者の顔を、ヒロシ君は笑顔を浮かべて眺めた後、おもむろに子供を抱えてバイクの後部座席に座らせました。
「え? もう行くの? 僕は、行かなきゃ駄目なの?」
子供が、ブチ白と遠藤行者の顔を何度も見やって、戸惑ったような様子を見せます。
「そうだよ。一緒にいてくれて、ありがとう。もう大丈夫だから、もっと良い場所に行きなさい」
そう言ってバイクに歩み寄った遠藤行者は、子供の背中をぽんぽん優しく叩きました。
姉御も黙ったままのブチ白を抱えて、子供の元へやってきます。それでも、ブチ白が黙ったままでいるので、姉御は前足の両脇の下に手を入れると、子供の眼前へぶらんとぶら下げました。
「さよなら、にゃ、友達、にゃ」
子供と目が合ったブチ白は、おずおずと口を開きます。
「……うん。さようなら、ブチ白。友達になってくれてありがとう。行者さんも、たくさんお話してくれて、ありがとう。じゃあ、僕は、パパとママが見えるところに行くよ」
ブチ白と、遠藤行者が頷きました。涙を見せずに笑って見せた子供の顔は、この何年か変わらなかった外見と違い、精神は日々成長していたことを証明しているようでした。
バイクのエンジンが掛かりました。
大きく、二つほどバイクを唸らせると、ヒロシ君が振りかえります。
「また来るから、入れるようにしておけよ!」
「あぁ、ヒロシならいつでも歓迎だ。今度ゆっくり話そう」
お別れの時です。
「皆も、ありがとう。バイバーイ!」
子供が、後ろで手を振る姉御たちに向かって叫びました。
「じゃあな、遠藤! 姉御ちゃんやその他も、良く解らんが、ありがとな!」
ヒロシ君は最後にそう叫び、バイクで空へ向かって走り出しました。
地上から空へ、見えない飛び石があるように、バイクがぴょんぴょん上って行きます。やがて、上空から真っ直ぐ進んだかと思ったところで、姿が見えなくなりました。
「いや、私の苗字は遠藤じゃないよ、ヒロシ――!」
遠藤行者の叫びは、誰もいない空に霧散して行きました。
「それじゃ、遠藤行者、俺達もそろそろ帰るからな」
姉御にも届いていませんでした。
「待って下さい。成り行きとはいえ、色々ありがとうございました。きちんとお名前を教えて下さい」
きちんとお名前を覚えることが出来ない姉御の顔を、遠藤行者が見つめます。
「俺は、姉御と呼ばれている。そっちのつるつる頭が、ヒコナ。小さいたぬきが、秋太だ。これからも、たまに遊びに来るからよろしくな。
友達にもお前のことを教えておくから、変なのが訪ねて来るかもしれん。遠藤行者も、滝から離れられるようになったら、俺達がやっているおやど大福へ、温泉に入りに来るといい。遠藤行者は、無料でいいぞ」
姉御が早口で紹介すると、ヒコナは頭を下げ、秋太たぬきは飛び跳ねて手を振りました。
思いがけず友達が増えた遠藤行者は、嬉しそうに頷きました。
「宿の方でしたか。そうなった時は、ヒロシと一緒に遊びに行きますよ」
「そうしてくれ。ヒロシくんとも仲良くなりたい」
姉御は笑顔を見せると、走り出すための準備運動なのか、伸びをして首をぐるぐる回し始めました。
その様子を横目に捉えたヒコナが、遠藤行者へすっと近寄ると、少し言い辛そうに声を掛けました。
「遠藤行者……我も昔、そなたと似たような思いをしたのだ。結果はまるで違うが、今となっては、そなたと有意義な話が出来るかもしれん。度々訪ねて来よう」
「そうですか……是非、ゆっくりお話してみたい。お待ちしています」
遠藤行者は少し驚いた表情を見せましたが、ヒコナの雰囲気から普通の人間でないことが感じ取れるのか、ゆっくり頷いて笑顔を見せました。
二人のやり取りを盗み聞いていた姉御の顔は、満足そうでした。
姉御がブチ白を、ヒコナが秋太たぬきを抱えます。
「ブチ白のおかげで、新しい友達が出来たな。じゃあ、また来るぞ、遠藤行者!」
獣は手を振り、ヒコナは頭を下げました。
そして、二人は走り出しました。
次から次へと、木々を後にする姉御は、ヒロシ君のことを思い返していました。
「いいなぁー、ヒロシ君。バイクの免許、取ろうかな」
想像するだけでもデンジャーな姉御の呟きを、他の者たちは聞かなかったことにしました。マウンテンバイクでさえ、超人的な脚力で暴走させる姉御に、モーターは不要で危険です。
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