32話 暴走天使
「意味、解らにゃい」
姉御が真面目に放った言葉に、ブチ白が素直に反応して見せました。
上手く意味が通じなかったことを多少恥ずかしく感じた姉御は、一つ咳払いをしてからもう一度口を開きました。
「そうだな、ちょっとふわっと言いすぎた。じゃあ、はっきり言うぞ! 遠藤行者は、ちょっと自分のことばっかり考えてたから、ちびっ子のことまで考えられなかったんだな。もしくは、ちびっ子がいなくなると寂しいから、考えまいとしていたのかもしれないけど。しかし、己が何か力がある存在になっていると判明した今、自分がどうこうは置いといて、ちびっ子を成仏的な感じに持って行ってやるといいと思う。あまりぐずぐずしていると、流石に御タケ様が成仏させに来るだろうよ」
遠藤行者には、あまりにも直球な意見でした。
ブチ白が姉御の膝の上で、首を起こして子供の方を見ました。子供との別れを感じているのか、少し寂しげな眼をしています。
「しかし、私にはそんなこと……」
遠藤行者は、非難するような眼を姉御に向けました。目を閉じている姉御の顔を睨んでも無駄と思ったのか、隣のヒコナに顔を向けます。しかしそこには、己の非難など跳ね返されるほどの厳しい眼差しが存在しており、慌てて顔を背けるしかありませんでした。
「人と比べて、己の運命を嘆くことを止めるいい機会だ。子供には、もう十分に付き合ってもらったのではないか?」
ヒコナの厳しい声に、遠藤行者は返す言葉を失って項垂れてしまいました。
「遠藤行者を責めているわけじゃないぞ。ただ、ヒコナもそうだけど、俺には悲しい思いをした幽霊的な友達が何人かいるんだ。辛い悲しい寂しいというのは、そのままだと、ろくなことにならないよ。正気を失うかもしれない。だからまずは、ちびっ子を救ってやれよ。お前のことはちょっと複雑そうだから、その後で一緒に考えよう」
姉御が優しく言うと、遠藤行者がそろそろと頭を上げて子供を見つめました。
「友達、楽しい、離れても、嬉しいにゃ」
ブチ白が己に言い聞かせるように、そして、遠藤行者の背中を押すようにぽつりと呟きました。
「僕はここでいいよ。どこにも行かなくてもいい。今まで通りで、楽しいもん」
慌てて口を挟んでにっこり笑って見せた子供の笑顔からは、遠藤行者やブチ白と、楽しい毎日を過ごしていたであろうことが伺えました。
「うるせぇな、黙ってろ。幼稚園には卒園式、小学校には卒業式があるじゃない。お前も、お山で良いことを沢山して勉強したから、今日卒業するんだよ。ちっとは大人になったんだ。これからは、パパとママが見えるところに行って、おしゃべりは出来なくても、応援してやればいい。ブチ白や遠藤行者のことも、離れても応援してやればいい。そして、でしゃばってしゃべりすぎて疲れたから、俺はもう黙る」
宣言した姉御は、ふうっと息を一つ吐き出すと、首をぐるりと回して口を噤みました。
姉御に言い逃げされた子供は、黙って口をへの字にして、どう反応したら良いのか解らないというように首を弱く振りました。
「僕、知ってんだ。そうするといいよねー」
すっかり飽きてしまっていた秋太たぬきが、適当な口調で相槌を打ちました。その後、ヒコナの膝から跳び下りて、川に棒を突っ込んでばしゃばしゃと遊び始めてしまいます。
秋太たぬきの呑気な様子に場の空気が和らぐと、姉御がぶるっと身震いしました。滝到着からずっとずぶ濡れののままの姉御は、緊張が緩んだことで、ようやく寒さを感じ始めたようです。その様子を見たヒコナは、絶望的な表情をして上半身
裸になると、姉御にずいっと上着を差し出しました。
「姉御殿が……姉御殿が風邪を引いてしまう! 濡れてそのままにするとは、我は馬鹿だ! さぁ、濡れた服を脱いで下され。い、いや、下はあれだから、せめて上着だけでも、我のものと交換を。着替え? 裸? いやいや、裸は見ませんし、見せませぬから、ご安心を。いやいやいや、見たくないとか、そういうんじゃなくて、むしろ見たいですぞ。
もう、遠藤行者も、さっさとやることやってくれ。姉御殿が寒いではないか! もう、帰る、帰るぞ――――!」
早口で取り乱したヒコナに、姉御が渋い顔を見せました。
「わからん……お前が求めている、俺に対するお前のポジションが解らん……。まぁ、言ってることは分かったから、落ち着け」
姉御はヒコナから上着をひったくると、目にも止まらぬ速さで着替えて、濡れた上着をヒコナへ放りました。受け取ったヒコナが、満足そうに頷きます。
「さ、さっさとやれ、と言われても、本当にやり方が解らないのです……」
怒られたり、優しくされたり、今度は急かされたりの遠藤行者は、この世の終わりのような顔をして、そっと空を見つめました。
「とにかく、祈れよ。祈って、今の状態になってるんだろ? じゃあまた、祈ればいいじゃない」
姉御に適当なことを言われた遠藤行者は、胡散臭げに眉を顰めながら、おずおずと地面に座禅を組んで目を閉じました。乱暴者の言に、とりあえず従っておいた方が良いという判断です。
「てめー、集中して、本気でやれよ!」
姉御に見透かされた遠藤行者は、びくっと肩を震わせた後、顔を和らげて本気で祈り始めました。
皆黙って、遠藤行者を見つめます。
空気が張り詰めて、釣られて集中した皆の耳には、かすかな鳥のさえずりさえ大きな音となって響いてきます。しかし、ずっと傍で流れ続けている規則的な滝の音は、雑音ではなく、集中を助けるメトロノームのような振動となって伝わって来るのでした。
あまりに集中して沈黙していたので、ぐわんぐわんと、頭の中で何かの音が鳴っているような感覚に陥り、誰も現実に響いて来ている爆音に気が付いていません。
それは、突然現れました。
木々の間から響く爆音。
突然何もない所から飛び込んできた、大きな塊。
物体は、遠藤行者の頭で少しバウンドすると、地面に降り立ちました。
音と動きが止まったそれは、バイクに跨る人間でした。日焼けをして、短髪をきっちり七三に分けた健康的な青年が、時代錯誤の軍服らしきものを着て跨っています。
前輪で頭を轢かれたであろう遠藤行者は、後頭部にタイヤ痕を刻んだまま、地面に倒れていました。
「バイクだー、だれー?」
呆気にとられていた面々の中で、適応能力が高い秋太たぬきが呑気に口を開きました。
「スズキヒロシ、享年九十三歳です!」
バイクの青年が、敬礼をしながらハキハキと答えました。
「姉御です! よろしく!」
軍隊系のノリに釣られた姉御が、立ち上がって敬礼を返します。
他の面々は、笑顔を交わしたヒロシ君と姉御の様子を、困惑したように見つめました。自己紹介は大事ですが、この場合、ヒロシ君が何者で何をしに現れたのかという理由も述べて欲しいところです。
「こいつ、享年、言った、幽霊にゃ」
ブチ白が、冷静な分析を繰り出しました。
ヒロシ君は享年九十三歳と言いましたが、どう見ても二十歳付近の容姿です。しかも、バイクもやたら古めかしいデザインで、本人も昔の軍服を着ています。
「そうだ、幽霊だ。見た目は、一番かっこよかった青春時代の俺にしてある!」
またもや、ヒロシ君がハキハキと答えました。あまりに、はっきりサバサバしているので「だから何しに来た」と突っ込むことがためらわれました。唯一、平気で空気をぶちやぶる姉御は、自己紹介のみで満足したようで、質問する気配はありません。
「え? スズキヒロシ? あのヒロシ?」
地面でノックアウトしていた遠藤行者が、蚊の鳴くような声を出しながら、ゆっくり体を起こしました。
「そうだ! この、馬鹿野郎が!」
ヒロシ君が怒鳴ると、肯定されたことに驚いた様子の遠藤行者は、ガバッと立ち上がりました。ふらふらと数歩前に出ると、バイクに跨ったヒロシ君の顔やらマシンやらをマジマジと見つめています。
「……バイクの免許、取ったの?」
「取った!」
やっと交わした会話は、どうでも良い内容でした。
「そういうのどうでもよいから。ヒロシ君とやら、なぜお主がこの場に飛び込んできたのか、そろそろ説明してくれぬか?」
ヒコナが呆れたように打診すると、ヒロシ君はバイクから降りて腕を組みました。
「俺は、ここにいるこいつ、寺の次男坊と同級生で、親友だった。戦争が終わって村に戻ると、こいつが悲しい死に方をしたという話を聞いて、くやしかった。ずっと、こいつのことが忘れられなかった。それで、数年前に俺が死んだとき、やっと親友と再会できると喜んだんだが、あの世にこいつはいなかった。それでは、まだ滝にいるのかもしれぬと、何度もここに来ようとしていたんだ……」
ぶっきらぼうに語りだしたヒロシ君の言葉に、遠藤行者の目が見開かれて行きました。何か口を挟もうとして口を開けては、何も言わずに閉じることを繰り返しています。それを察してか、遠藤行者に話す隙を与えぬように、ヒロシ君は続けて口を開きます。
「幽霊の俺は、滝に近づけなかった。結界があるようで、どうしても中に入れなかったんだ。
まぁ、色々罪も犯してきた俺では、聖域には近づけぬのかもしれぬと諦めかけたが、どうしても親友と再会したいという気持ちが勝ったんだ。
それでは、せめてばあさんが死んでこっちに来るまでの間くらいは、罪滅ぼしに何か人助けでもしながら、滝に入る機会を伺おうと思い立った。まぁ、実際に救っていたのは死んだ人間ばかりで、バイクであの世に導いて行くのがもっぱらの善行だ。そういう感じで、今に至る。以上!」
ヒロシ君はしゃべりたかったことを言いつくしたのか、満足げに息を吐くと、再びバイクに跨りエンジンを掛けました。
「まてまて、これで帰る気か? せっかちヒロシ君め! ようやく遠藤行者に会えたのに、説明だけして帰るなよ。それに今の話を聞くと、こっちからもヒロシ君にお願いがあるっぽいぞ。
因みに、ヒロシ君が滝に近づけなかったのは、聖域のせいじゃなくて、遠藤行者がうじうじ悩んで陰にこもっていたせいだ」
エンジン音を聞いた姉御が、慌てて止めに入りました。
ヒロシ君は再びバイクのエンジンを止め、遠藤行者の前まで近づくと、頭をグーで殴りました。
「殴るの忘れてた」
突入して来た時にかましたバイクの前輪攻撃は、カウントされていなかったようです。
どうでもいい置き土産を果たしたヒロシ君が、再びせっかちに帰ろうとする前に、ようやく遠藤行者が口を開きました。
「ヒロシ……享年九十三歳って、随分長生きしたようだけど。その間、ずっと私のことを覚えていてくれたのか? 私にとっても、ヒロシは親友だったけど……戦争にも行けずに、情けなく山で死んだ私のことを、君は軽蔑していないのか?」
軽蔑という言葉が出たとき、ヒロシ君はぐっと眉根を寄せました。
「遠藤行者って……お前の苗字、遠藤だったっけ?」
「いや、違うけど」
ヒロシ君と遠藤行者は、ちょっと話を脱線させる傾向があるようでした。その度に皆はきつく突っ込みたくなる衝動を押さえました。真面目な場面を乱さない分別は、持ち合わせていたようです。
「何で軽蔑するんだよ。帰ってきて、お前が死んだって聞いたときは、すごく腹が立ったけどな。俺が生きている……いたのは、お前のおかげだ。お前は命の恩人だ。
大陸で敵に囲まれ、もはやここまで、このうえは、腹掻っ捌いて肝を敵にぶつけてやろうと決めた時……どこからか、お前の声が聞こえたんだ。生きていろ、生きて帰れと何度も何度もうるさく響いて来て……結局俺は、恥を忍んで、死なずに捕虜になった。死んだ戦友には会わせる顔も無いが、お前にもらった長い人生の中、何度もお前に感謝したよ。孫の顔を見たときもそうだった……お前に、心から感謝している」
ぶっきらぼうに話したヒロシ君の目は、涙を堪えているのか、充血して光っていました。遠藤行者は口を開いたまま、ただじっとヒロシ君を見つめています。驚いているようなその顔には、先程までまとわりついていた陰気な感じがありません。突然登場した親友の言葉は、一瞬で遠藤行者の雰囲気を一変させたのでした。
「……何だよ、ちゃんと親友を救ってたんじゃないか」
ぽつりと呟いた姉御の言葉をきっかけに、遠藤行者は大きな声を上げて泣き出しました。
地面に手をついてギュッと握った手のひらには、土が硬く握り込まれています。悲しさ、くやしさ、嬉しさ……その嗚咽は、悲痛なだけではありませんでした。
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