22話 春ぽん子
「姉御さんの目が……?」
礼一は姉御の正面にしゃがみ込むと、そっと姉御の目を指で開いて覗き込みました。
「赤っ! 邪の影響ですよ、これは。医者じゃ治りません」
礼一の言葉を聞いた大福ねずみは、弾かれたように口を開きました。
「ほらな、やっぱりだよ! こんなことが起こると思ってたんだよ。オイラが知らない離れた場所で、姉御がこんな酷いことになるんじゃないかって思ってたんだよ! 姉御は優しいし、他の奴のために必死で危ないこととかするから。
新しい環境ではしゃいだ姉御が、オイラが気が付かないうちに、あん時みたいになったらどうしようって、思ってたんだよ。目が見えないって何だよ! ガスの中に飛び込んだって? やっぱり、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿だな! ほんと~に、馬鹿だ……」
突然大声が止みました。みんなの視線が礼一の肩に注がれます。
大福ねずみは、礼一の肩の上で白目になって止まっていました。
「し、白目気絶!? 流行ってるの!?」
最近よく目にした症状だった団子屋が、突っ込みました。
礼一の肩から、気絶した大福ねずみが、ぽろっと落下し始めました。
「あっ、危ない!」
かずきと礼一が手を伸ばしましたが、いち早く大福ねずみを手でキャッチしたのは、目が見えないはずの姉御でした。
姉御はそっと大福ねずみを持ち上げると、自分の頬にふわっと押し当てました。
大福ねずみは正気を取り戻しましたが、姉御の手に包まれていることに気がつくと、そのまま黙ってじっとしています。
「馬鹿なのはお前だぞ。お前、俺のことが心配で怖くて、ずっとピリピリしてたのか。そうだな……俺も、お前のあんな姿は二度と見たくないと、心から思ってるし、考えるだけで怖くなる。でもな、色々酷いこともあったけど、お互いがどれだけ大切か気付かせてもらったようなもんだよ。大切だから、心配で怖くなってるんだ。
精神がすり減るのは困ったもんだけど、それほど大切な相手がいるっていうのは嬉しいことだよな。だからさ、改めて、怖がらずに、一緒にゆっくり過ごして行かないか?」
姉御はそう言って、手の中の柔らかい感触に、頬を摺り寄せました。
大福ねずみの心には、神様に姉御を取られた時の傷が残っていました。また姉御を失うのではないかと、恐れる気持ちがあったようです。ずっと態度がおかしかったのは、そのせいだったのでしょう。
大福ねずみは、黙って姉御の頬に顔を摺り寄せました。
二人の様子を見た礼一の顔に笑みが浮かぶと、それを合図にしたように、他の面々は緊張で強張っていた体の力を抜いたのでした。
「姉御、本当に目が見えないのかよ~?」
大福ねずみの弱々しい問いかけに、姉御は静かに頷いて見せました。
「でも、慣れてきたから、色んな気配が解るぞ。気絶したお前を、キャッチ出来たし……ほらっ、今まさに、
姉御が襖を指差したので、近くにいた団子屋は、半信半疑で襖を開けてみました。
廊下に、春子たぬきが立っていました。
「やべ」
背中に風呂敷をしょって、玄関の方へ足を踏み出そうとして止まっています。
「……春子、何やってんの?」
問いかけを無視して、ダッシュで逃亡を試みますが、それを察知した団子屋がいち早くカニバサミで捕獲しました。
「見事なクワガタ挟みですね……しかし、春子は泥棒みたいに風呂敷しょってどうしたのです。あやしすぎますよ。何か盗んだんですか?」
礼一が団子屋の足に挟まれた春子たぬきの背から、風呂敷包みをはぎ取りました。春子たぬきは、しゃれにならない恐怖顔で、声にならない叫びを上げています。
「ん? マンガか? そういえば、しずくと貸し借りしていたな」
ヒコナが開かれた風呂敷の中からマンガを一冊抜き取り、パラパラめくっていましたが、速攻で閉じて畳に叩きつけました。顔から表情が消えています。
「あぁーなるほどね。腐れ発言で僕を怒らせた春子が、やばい腐れ本をこっそり避難させようとしていたんだね……僕に処分されるとでも思ったのかな?」
魅惑の受け顔が、春子たぬきを締め付けながら下らない謎を解きました。
「それじゃ、わしと秋太は用事があるので失礼するぞ!」
カイザーたぬきは、この先に待ちうけるであろう腐ったアダルト展開を予想して、早々に秋太たぬきを避難させることにしたようです。じゃあな~あははは~と、意味のない乾いた笑いを残して、秋太たぬきをぐいぐい押しながら去って行きます。
「やばい腐れ本? あぁー、男同士の恋愛を描いた漫画や小説などですね。ボーイズラブとか言って、そういったものを特別に好む女性たちを、腐女子と呼ぶんでしたっけ。ヒコナの拒絶反応がすごいですね……私は別に、そこまで嫌悪してはいませんが」
お子様が去ったところで、解説担当礼一が、何食わぬ顔で腐れ本をぱらぱらめくりながら説明しました。
しかし、すぐに畳に叩きつけました。
「これは……どエロですが、腐れていません。しかも、作者の名前と本の題名に聞き覚えがあり、相当不愉快な内容です」
冷静な礼一が、険しい顔をしてこめかみに青筋を立てているので、気になった団子屋は、身をかがめて本の表紙に目をやりました。
「えっと……題名と作者? 『しずくとツンデレお兄様 ~夜の秘密~ 作者 春ぽん子』か……う、うわぁ」
春ぽん子たぬきは、どん引きによって力が弱まった団子屋の足の間から勢いよくジャンプで脱出すると、すたっと床に降り立ちました。
「そうよ! 私は、腐女子よ。えぇ、そうよ、腐っているし、病気よ! 公式が病気になったりするのは、全て私のせいよ! 腐れどころか、ノーマルエロも大好きよ。しかも、描いているわ。結構人気の同人作家よ!
人間の交尾は、奥が深くて、インタレスティーング!」
逆切れで叫んだ後、ふんっと鼻を鳴らして見せた春子たぬきに、他の皆は開いた口が塞がりませんでした。
「ちょっと、言っていることが良く分からないですが……私としずくを題材に、エロ本を描くのは止めて欲しいですね。バットがあったら殴りたい」
冷静な口調の礼一ですが、最後の方は血走った目を見開いていました。
「いえ……礼一さん……それは、しずくちゃんが春子ちゃんにお願いして描いてもらっていたものなのです」
かずきが春子たぬきを庇いました。
「はぁ、なるほど、なるほど。かずきも知っていたわけですか。この、エロ本を」
礼一が静かな調子で言うと、かずきはそっぽを向いて、少し舌を出してえへっという顔をしてとぼけて見せました。その顔が更に礼一の逆鱗に触れたようで、春ぽん子本を拾うと、春子たぬきに大きく振りかぶって投げ付けました。
春子たぬきは、高速で飛んできた本を、くるっと回りながらしっぽで叩き落しました。その衝撃で開いた本が、えげつないページで開いたまま畳に転がります。
「うわぁ~エグいな~しかも、無駄に上手いな、春子。礼一とか、結構似てるよな~それが最悪だけど。しずくもいいのかよ、自分がこんな……」
大福ねずみは、姉御の手の上から開いたページを眺めて、嫌そうに鼻先に皺を寄せましたました。
「ちょっと、見るだけで罪悪感ありますよね。いくらフィクションでも、裸だし、すごいことしているし……居たたまれない」
団子屋が目を背けるのを見て、礼一の怒りに、悲しみと焦りが混じりました。春子に怒る気持ちと、なぜか団子屋に言い訳しなければならないような思いが込み上げてきて、発する言葉が定まらずに、ただただ自分としずくのえぐい絵を見つめるしかありませんでした。
「見えないけど、すげー礼一が気の毒に思えて来たぞ。しかも、俺が思っている以上に、しずくは異常だったのか。普通は頼まないよな……自分と好きな人のエロ本描いてくれって」
ため息交じりに言う姉御を、かずきがキッと睨みつけました。
「好きな人と結ばれたい、乙女心ですよ! 姉御さんには解らないでしょうけど」
姉御をびしっと指差しながらきっぱりと言い放ったかずきの言葉は、誰の心にも響きませんでした。
「あぁ、解らん。全力で」
「だよね~、オイラも理解出来ないな~。文章ならまだ可愛げもあるけど、このエグイ絵を乙女心って言われてもな~。脳内で終わらせとけよ~」
大福ねずみが姉御に同意すると、かずきはがくりと膝を折り、畳に手をつきました。
「姉御さんは、大福さんに良くない影響を与えるのだわ。私、負けない、諦めない。大福さんを取り戻すわ……」
「姉御殿、ちょっと危険だから動かしますぞ」
畳を見つめながらぶつぶつ呟くかずきを見たヒコナは、姉御をひょいっと持ち上げると、かずきから離れた場所に移動させました。
「春子……お前は、私の風呂でも覗いているのですか?」
先程から黙って本のページを見つめていた礼一が、そっと本を閉じながら、静かな声を出しました。
突然の発言の意味が解らず、皆は礼一を見つめます。
「裸を覗いて、スケッチしていますね? 私のほくろが……」
薄々、礼一が言わんとしている意味を理解した面々は、うわ~という顔をしながら、春子たぬきに目を向けました。
「男だから覗かれないと思ったら、大間違いよ――――――!」
春子たぬきは、再び逆切れで叫びました。
「お前こそ、逆切れすれば乗り切れると思ったら、大間違いですよ」
礼一が、春子たぬきにじりじりと近づいて行きます。春子たぬきは間合いを読みながら、礼一の動きに体を合わせています。
二人の間に、ものすごい緊張感が満ちている中、予想外の方向から、何かが春子たぬきに滑り込んで来ました。
団子屋が一瞬で、胡坐をかいた足の中に春子たぬきを挟み込むと、両こぶしでこめかみをギリギリ圧迫し始めました。予想外の人物に敵を奪われた礼一は、呆気にとられて怒りの団子屋を見つめています。
「おい、春ぽん子……そっちに落ちてた『誘惑されたお兄様 ~ライバルは団子屋美青年~』って、僕のことかな? 僕が裸で誘惑するのかな? 僕の風呂も、覗いたのかな?」
容赦ない攻撃に、春ぽん子は泡を吹いて気絶しましたが、助け起こす手はありません。団子屋の言葉を聞いた今、春子たぬきに情けを掛ける者はいませんでした。
「全部、燃やさないと、ね」
そう言って笑った団子屋に、皆、頷くしかありません。団子屋へ対する同情というよりも、笑顔の陰に隠れた怒りの波動を感じて、肝が冷えまくっていたのでした。
その後、蔵や母屋の家探しを強制的に手伝わされた面々は、春ぽん子の原稿類を発見し焼却しました。炎にかざされて正気を取り戻した春子たぬきは、現実の人間のガチなエロは描かないことを誓わされました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます