18話 秋太たぬきのお願い
成り行きから新入りとなったヒコナは、とりあず団子屋預かりとなりました。姉御が御タケ様の元へお伺いを立てに行くと宣言したこともありますが、何より、ヒコナが姉御から離れるのを嫌がったからです。それでも、何もはっきりしないうちに姉御の元へ置くのは角が立つだろうと、団子屋が一肌脱ぐことになったのでした。
姉御の熱は丸二日程で下がり、三日目には復活しました。それでも、体力回復のために、未だ団子屋でのんびりしているのでした。こたつに寝そべり、庭で遊んでいる秋太たぬきとヒコナを見ていると、それに気づいたヒコナが、嬉しそうに手を振って来ましす。手を挙げて応じながら、姉御の心中は揺れていました。
「完全に頼られてるな……どうしたもんか。まぁ、いいやつっぽいよな。記憶とか聞いちまったしなぁ。これからは、楽しく過ごして欲しいもんだよな。でもな~、大福が超怒ってたからなぁ。仲直りしてからだったら、連れて帰っても大丈夫かな」
姉御の思考は、口からダダ漏れていました。
「三日も経っているから、怒りも収まって来ているかもしれませんね」
団子屋が廊下に立って、姉御を見ていました。
「い、いたのか」
恥ずかしい独り言を聞かれた姉御は、さっと体を起こして口を尖らせました。
そんな様子を見て、団子屋は姉御を好ましく感じました。
「姉御さん、少しの間、店番とかお願い出来ますか? 塩を切らしてしまって、買って来たいんです。お客さんはほとんど来ないだろうし、来てもセルフで買って行ってくれるんですが……人がいたほうがいいとは思うので」
団子屋が、両手を合わせてお願いのジェスチャーをすると、姉御はこくりと頷きました。
「いーよ」
熱が下がり、暇だった姉御は簡単に引き受けました。そして、懐から巾着を出して団子屋に渡します。
「ついでに何でも買ってくれば、何かしらに料理するから、食べたいもの買って来てくれ。肉でも魚でもメロンでも、高いのでもいいぞ。たぬきの好物も、いっぱい買っていいぞ。俺の財布をカラにしてこい! 泊めてもらったお礼だ」
遠慮したら怒られそうな、男前な姉御の発言を聞いて、団子屋は素直に頷いて巾着を受け取りました。姉御も満足そうです。
二人で庭に出ると、丁度秋太たぬきが、ヒコナに向かってボールを投げようとしているところでした。キャッチボールを始めるようで、いくよ~と、秋太たぬきが大きく振りかぶりました。愛らしいフォームから繰り出された球は、超高速でヒコナのみぞおちにめり込みます。
ヒコナは倒れました。
「わーい、ヒコナの負けだー!」
「……え? 何の遊び?」
楽し気な秋太たぬきを見て、団子屋が顔をしかめました。
「秋太、
姉御が脱皮したての虫を心配するような軽い調子で言うと、秋太たぬきも、はーいと軽く返事をしました。
姉御は団子屋に小さく手を挙げると、店の中へ入って行き、それを見た団子屋は車へ乗り込みました。エンジンをかけてからふと思い返して、姉御の巾着を開けてみます。
「……これは、空にならないよ。しかも、雑!」
巾着には、洗濯バサミで挟まれた札が、むきだしで入っていました。
団子屋の車が去ると、秋太たぬきがヒコナの側へ走り寄りました。
「生きてる?」
小さな声で話しかけ、恐る恐る様子を伺います。
ヒコナが、がばっと身を起こしました。
「生きておるよ!」
驚かせるように、秋太たぬきにばぁーと言うと、きゃっきゃと喜んでしがみ付いてきました。
ひとしきり笑って落ち着くと、秋太たぬきがヒコナをじっと見つめます。
「ヒコナ、負けたから、僕のお願い聞くんだよ」
「ん? そうか、それでは聞かねばならないな」
そんな約束をした覚えはありませんでしたが、中身的には超高齢のヒコナは、大人の対応を繰り出しました。
「ヒコナ、高く跳ぶし、強いから、僕のことお墓参りに連れてって」
「墓参り?」
予想外のお願いに、ヒコナは首を傾げました。
「うん。とうちゃとかあちゃのお墓参り。バスだから行っちゃ駄目て言われて、行ったことないのー」
「……バス? ふむ、遠いのか」
ヒコナは難しい顔をしました。人間のバスで行かねばならない程遠いとなると、自分が連れ出すわけにもいきません。
「チクビ山の、南西、真ん中よりちょっと上だって」
「ん? そのぐらいだったら、すぐ行けるな。頂上まででもひとっ走りだ」
ヒコナの言葉を聞いて、秋太たぬきは飛び跳ねて喜びました。行こう行こうと、お山に向かって走り出してしまいます。
後を追おうとしたヒコナは、姉御に話しておこうと店を覗きましたが、お客がいるようなので遠慮しました。代わりに、チラシの裏に伝言を書いて縁側へ石を乗せて置くと、秋太たぬきを追って走り出しました。
『秋太が、両親の墓参りに連れて行って欲しいと言うので、行ってきます
ヒコナ』
勝手知ったるお山の道を、秋太たぬきは進んで行きます。ヒコナが抱えて走った方が早いのですが、楽し気にしっぽを振り振り歩く姿を見ると、声を掛けるのがためらわれました。
途中、草花を見つけると、嬉しそうに摘み始めます。
「僕、知ってんだ。お墓には、お花を供えるって」
ふんふん、鼻歌を歌う秋太たぬきに、ヒコナが口を挟みました。
「詳しい場所は、知っておるかな?」
「分かるー。父ちゃの気配するかんね」
うん、うん、と頷く秋太たぬきを、ヒコナが抱え上げました。
「花が萎れる前に、行こうぞ」
そう言って高く跳びあがると、秋太たぬきがはしゃいだ声を上げました。
随分ゆっくり登ってきたので、帰りが遅くなることを心配したヒコナは、ぐんぐんスピードを上げました。元鬼の運動能力は、目を見張るものがありました。秋太たぬきが指さす方向に、すごい速さで道の無い場所を登って行きます。
三十分程登り続けると、景色が一変しました。なだらかな斜面には、そこにあるはずの緑の姿がありません。まだ、お山の森林限界では無いはずですが、灰褐色の岩と土が広がり、針のような黒い裸の木が、ぽつりぽつりと突き立っているばかりです。硫黄の臭いが、鼻につきました。
「これは……」
ヒコナが立ち止まると、腕の中の秋太たぬきが、手をバタつかせて上の方を指差しました。
「あれ、あれだ、父ちゃだ! 岩!」
指をたどると、遠くに大きな岩が見えました。異様な景観から、距離が測りづらいながらも、一キロほどで着けそうです。
「早く、早く!」
秋太たぬきに急かされるまま、ヒコナは岩を目指して走り出しました。
あっと言う間に岩の足元に到着し、秋太たぬきを降ろします。上にも横にも、三メートルはあろうほどの大岩です。
「父ちゃと母ちゃの気配するー」
秋太たぬきは、岩にひしっとしがみ付きました。ヒコナは、立派な大岩に圧倒されて立ち尽くしています。鬼では無くなった身でも、偉大な生き物と自然の力が渦巻いているのが感じられ、鳥肌が立ちます。
「岩の上に、のっけてー」
秋太たぬきが目と鼻から水を垂らしながらヒコナの足にしがみ付くので、黙って頷いて、一瞬で岩の上に跳び乗りました。
秋太たぬきは、岩の上に花を置き、そこに座り込んで岩肌を何度も何度も撫でています。
『危ない、危ない』
『帰りや、秋太』
突然、風のような所在不明な声が聞こえて来ました。
『ガスが来る』
『逃げや、秋太』
太くしゃがれた声と細く高い声が、急かすように辺りに響きます。
「父ちゃだ、母ちゃだ! 父ちゃ――――、母ちゃ――――」
秋太たぬきが、立ち上がって叫びました。
「ガスが来る? ……そうか! バスではなく、ガスであったか!」
ヒコナも大声を出しました。
ここいら一帯の異様な景観は火山性ガスによるもので、そのせいで秋太たぬきは墓参りを止められていたのでしょう。秋太たぬきの両親らしき声の忠告からそう思い至ったものの、焦って辺りを見渡した時には、岩の足元は不気味なガスに覆われていました。
「我が不注意であった……ガスが噴き出し始めたか!」
何とかガスを避けて飛び移れるものがないか探しますが、荒れ果てた斜面には、望みの物は見つかりません。
「秋太の父母が、教えてくれたのに……何とか、秋太だけでも助けねば。我は、馬鹿者よ……とんでもないことをしでかしてしまった」
ヒコナの悲痛な呟きは、どこかで吹き出しているガスの不気味な音にかき消されて行きます。
「鬼では無くなった我に、どれほどのことが出来るか……」
ヒコナは、父と母の懐かしい声に泣くばかりの秋太たぬきを、そっと胸に抱き上げました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます