15話 忘れてた

 穴の修復が終えた頃、車が一台やってきました。

見慣れたしずくの車です。

「ここいらで、私の鬼の気配が消えたんだけど、知らないかしら?」

車を降りるなり団子屋に早口で尋ねたしずくは、居間に姉御の姿を認めると、憎々し気に顔をしかめました。


「知っていますが、ちょっと複雑なことになっていまして……」

 団子屋は、何からどう話したものか、途方にくれました。しずくは苦手だからパスと公言した姉御は、本当に口を開く気は無いようで、そっぽを向いてとぼけた顔をしています。


「お前の鬼は、御タケの攻撃に乗じて、封印されている笛を盗んで、お前のもとから逃げて来たんじゃ。人間だったころの記憶を取り戻したから、鬼でいるのは嫌だ、人間に戻してほしいと泣いて懇願するもんじゃから、姉御殿が願いを叶えてやったんじゃよ。ほれ、お前の鬼だったものが、そこにおる」

カイザーたぬきが、簡潔に説明しました。


 話がすぐに理解出来なかったのか、不思議そうにカイザーたぬきが指差した先を見つめていたしずくでしたが、やがて内容を反芻はんすうして理解していったのか、どんどん顔が険しくなって行きました。

「はぁ? そんなふざけた話、信じられないわよ。鬼を人間に戻す? 聞いたこと無いわ、そんなこと。私を、バカにしているの?」

 高い声でまくしたてると、舌打ちをしてから、庭に立ち尽くしていた鬼の元へ向かいます。近づいて、頭に角が無いことに気が付くと、目を見開きました。

「ちょっと、あんた……」

しずくは、思わず、といった感じで、鬼の頭に手を伸ばします。


 鬼は、黙って一歩後ろに下がり、しずくの手を逃れました。その姿も表情も、全力でしずくを拒否しているように見えました。

「……我はもう、鬼ではない。封印されていた笛も燃えた。自分の意思もある。もう、お前の家来ではないよ」

しずくは黙って、鬼を見つめました。鬼も身じろぎもせず、しずくを見つめ返しています。


「そう……じゃあもう、いらないわ」

「……そうか」

鬼はしずくの言葉を聞いて、少し決まり悪そうに笑いました。


「え? それでいいんですか? しずくさん、家来だったんでしょ? そんなに簡単に――」

 団子屋は、思わず声を出していました。カイザーたぬきが、わざとらしく咳払いして、団子屋をたしなめます。その目は、お前は黙っていろ、と言っています。

「だって、しずくさんだって、こんなに突然お別れするなんて、本当は寂しいんだよ」

カイザーたぬきの制止を無視して、団子屋が感情的に言い切りました。

「……いいえ、そうでもないわ。私は平気よ。少し不便にはなるけどね」

きっぱり否定したしずくは、団子屋に顔を向けると、優し気に微笑みました。それを見た団子屋は、それ以上口を開くことが出来ませんでした。


 しずくは、大きく一つ深呼吸すると、キッと姉御を睨みつけます。

「あんたは許さないわよ! お兄様も家来も私から奪って、何て憎らしいやつなのかしら。かずき姉さんに、ペットのねずみ男を奪われればいいんだわ。いい気味! あんたみたいなちんちくりんは、かずき姉さんに敵わないんだから」

 自分の力では姉御に敵わないと悟っているしずくは、姉のタイムリーな話題を持ち出し、精神的なダメージを狙います。しかし姉御は、だるそうな顔をちょっと向けた後、興味無さそうに欠伸して見せました。

「もう――――、本当にムカつく女ね!!!!」

しずくが、ヒステリックに叫びます。


「馬鹿者! 鬼は奪われたのではないじゃろう。お前は、家来に逃げられたのじゃ。人のせいにせず、己の未熟を恥じ、反省せい!」

カイザーたぬきが、厳しい口調で、威厳のある大声を出しました。

「馬鹿みたいな名前のたぬきに、説教されたくないわよ!」

「……」

しずくの反撃を聞いたカイザーたぬきは、黙って背中を向け、居間に上がってこたつに直進すると、姉御の隣に座りました。

「いい名前なのにな」

「そうじゃろ」

姉御とカイザーたぬきは、完全にしずくを視界からはずし、戦線を離脱しました。


「無視してんじゃないわよ!!!!」

しずくの甲高い声も、もはや届くことはありません。

「今夜は冷えそうだから、湯豆腐がいいかもな。俺が作ろう」

「うまそうじゃの~」

「我も、豆腐は好きですなー」

いつの間にか、鬼もこたつ組に参加していました。


□■□■□■□■□■□■


 怒りながらもしずくが去り、団子屋に平和が訪れました。貴重な日曜日は、元鬼に対する好奇心を満たすことに費やされることになりそうです。元鬼の名は、ヒコナと言うようで、角が抜けたと言っても人間と同じになったのでは無く、人間離れした身体能力を備えているようでした。

「ヒコナ、思いっきりジャンプしてみ」

姉御に促されたヒコナが跳ぶと、母屋の二階のベランダとほぼ同じ高さまで上がります。

「忍者のようじゃ。いや、ダジャレじゃないぞ」

「誰も思ってないよ、そんなこと」

カイザーたぬきのどうでもいい訂正は、団子屋に冷たくあしらわれました。


 ヒコナの観察に飽きて夕食の買い出しに出かけた団子屋は、姉御の言う通り、湯豆腐の材料を買ってきました。

 夜には、姉御が作った湯豆腐鍋を、団子屋、カイザーたぬき、ヒコナで囲んでいました。

「うまいのぅ~~、ポン酢最高」

「ですな~~、白身魚もぷりぷりです」

 カイザーたぬきとヒコナが満足そうに箸を進めると、団子屋も同意して、はふはふ豆腐を頬張りました。上品なだし汁に、豆腐と鱈、長ネギに結びしらたき、水菜、しいたけを入れた姉御特製湯豆腐鍋は、寒さも相まって絶品でした。それゆえみんな、主に姉御ですが、大事なことを忘れていることに気が付く気配はありません。


 外で車が止まる音がして、玄関のチャイムが鳴りました。夕食を邪魔された団子屋が面倒そうに立ち上がり、ゆっくりと玄関へ向かいました。玄関の引き戸が開く音がした後、何か話す声がして、ちょっと、まって、と焦ったような団子屋の声が聞こえて来ました。ただならぬ気配に、居間の二人と一匹は、箸を止めて顔を見合わせます。


 襖が開かれると、礼一が立っていました。姉御の姿を認めると、残念そうな顔をしてから居間に入ってきます。その後ろを、大福ねずみを肩に乗せたかずきが続いて入って来たのを見て、姉御とカイザーたぬきは全て思い出しました。暗い表情で最後に戻って来た団子屋は、気の毒そうに姉御を見つめます。


 ヒコナのひと騒動ですっかり忘れていましたが、そもそも姉御は、大福ねずみにかずきが告白したことを悩んで、団子屋へやって来ていたのでした。その元凶が仲良くセットで現れたことで、事情を知る者は姉御へ同情と動揺の目を送るしかありません。


「何やってんだよ~、馬鹿!」

大福ねずみが、口を開きました。明らかに怒っている様子を見て、姉御は動揺して何も言い返せませんでした。

「電話も持たずに、ふらっと出かけたまま夜になっても戻らないので、何かあったのかと心配しましたよ」

礼一の優しい声を聞いて、姉御は少し落ち着きを取り戻しました。

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