10話 はいっ!
「どっちだ」
「左じゃと思うけど――――んがっ!?」
山の斜面を猛スピードで滑走するマウンテンバイクの振動で、カイザーたぬきは舌を噛みました。器用に木を避け、岩でジャンプし、時には空中を飛ぶ自転車を立漕ぎで操る姉御は、楽し気に笑っていました。時々、どっちだ、と尋ねられ返事をするのが精一杯なカイザーたぬきは、半分気を失っています。
それでも、どうにか、通常の三分の一の時間で市松人形の廃屋に辿り着いた頃には、カイザーたぬきはしゃべる気力を失っていました。
「ここか」
姉御の言葉に、ただ黙って頷きます。
姉御は、グロッキーなカイザーたぬきを抱えて、廃屋の戸を叩きました。
「頼も~う。おやど大福から来た! 誰かいるだろ!」
返事が無いので、姉御は戸を開けて侵入しました。玄関の靴箱の上にカイザーたぬきを降ろすと、下駄を脱いで上がり込みます。
「……げ、下駄であの滑走」
驚愕の事実に、カイザーたぬきは脱力し、もはや市松人形からの攻撃を注意喚起する気力も出ませんでした。
「ケケケケケケケケケケケ・・・」
カイザーたぬきの予想通り、前回同様、廊下の奥から市松人形が姿を現しました。
「誰かいないのかー。入るぞー、このやろうー」
姉御は、市松人形に気が付かないのか、ずかずかと廊下を進み始めました。
「ケケケケケケケケ」
十三体の市松人形が、次々に走り込んできて、姉御に跳びかかりました。
「おーい、誰かー」
姉御は、家じゅうに聞こえるように、大声で電話の主を探しているようです。跳び付いて来た市松人形を、うるさそうに手で払いました。
連続で、手や足で払いました。
払われた市松人形は次々と吹っ飛んで、壁に穴を開け、柱をぶち折り、床下にめり込み、粉砕して行きます。
そして……静かになりました。
「誰もいねーし、なんか、でかい虫がいっぱいいるな」
遠くから、姉御の独り言が聞こえてきました。
「い、一発の威力……」
多数の一撃死を目撃し、カイザーたぬきは正気を取り戻しました。
「何だよ、ここ。良く見たら柱は折れてるし、床も壁も穴だらけだな」
廊下の奥から、姉御が戻って来ました。
「あ、姉御殿、さっきの、虫じゃないかもしれんよ? 聞こえんか?」
「あ?」
カイザーたぬきに促され、姉御は薄暗い玄関で耳をすませました。
そこらじゅうから、小さなうめき声や、すすり泣きが聞こえてきます。
「おぉ……心霊現象?」
姉御が、神妙な顔でカイザーたぬきに尋ねます。
「いや……現象の末路というか……」
カイザーたぬきが、一番近くの床の穴を指差すと、姉御は躊躇なく穴に手をつっこんで、中から何かを引っ張り出しました。それは、顔が半分以上粉砕し、体も折れ曲がってぷらぷらしている市松人形でした。しかも、シクシク泣いているようです。
「うわぁー、ぼろぼろだな!」
「姉御殿がやったんじゃけど?」
「マジか!?」
カイザーたぬきの突っ込みに、姉御は心底驚いている様子です。
「マジじゃ。信じがたいが、襲い掛かって来た市松人形たちを、虫と間違えて粉砕していったようじゃよ」
「そ、そうなの? 俺が悪いの?」
姉御は動揺しました。すすり泣きや、うめき声が、じわじわと姉御を責めたてます。罪悪感から、姉御の顔を汗が伝いました。
「いや、悪くはないじゃろう。もともとこいつらがいたずら電話を掛けてきて、襲い掛かってきたんじゃ。前にも襲われたことがある」
姉御は、罪悪感から解放されました。
ふーっと安心したように息を吐くと、黙ったまま一つずつ穴を探り、十三体の市松人形を玄関に並べました。見た目は見事に全滅で、動けそうなものはいませんでした。
「……ヒドイ」
一体が、小さな声で言いました。ぴくりと、姉御の耳が動きます。
「……ヒドイ」
「ココマデヤル……?」
「フツー、シナイヨネ」
「ゴクアク……」
「モウウゴケナイ」
「コナゴナ……」
次々と、小さな声で姉御を非難し始めます。
「お前ら、わしが前に忠告したろ。自業自得じゃ。こんな大惨事は、予想外じゃったが」
カイザーたぬきは、姉御を庇いましたが、駄目押しもくらわせました。
「むが~~~~うるせぇ、うるせぇ、分かった! ちょっと待ってろ!」
ブチ切れた姉御は大声で叫ぶと、おもむろに外へ飛び出して行ってしまいました。叫び声を上げながら、マウンテンバイクでどこかへ行ったようです。
「ボウリョクオンナ……」
文句を垂れ流す市松人形たちに、カイザーたぬきがため息を吐きました。
「お前らなぁ……団子屋にやられたとこで止めとけば良かったんじゃ」
「……バーカ」
カイザーたぬきの説教は、またもや小馬鹿にされました。
「誰じゃー、今、バカって言ったの!! 粉砕した体、掃き清めてくれるわ――!!」
カイザーたぬきは、横たわる市松人形の上を、しっぽでぽふぽふ掃き清めました。細かい破片が、端に吹き飛ばされて行きます。
「ヤメロー、クソタヌキー!」
「このぉ~、口の悪いやつらめ~~!」
しばらくして姉御が戻って来た時、カイザーたぬきと市松人形は、疲れ切って沈黙していました。
「戻ったぞー……何か、ちょっと綺麗になってるな」
「……そうじゃな」
ぐったりしているカイザーたぬきと、言葉を発しない市松人形に首を傾げながら、姉御は大きなレジ袋を二つ、床に置きました。
「スーパーセンターで、ぶっ壊れた人形の代わりを買ってきた。あれだろ? どうせ人形の中に、人間の魂が入ってる的な感じだろ? 魂だけ他に移せば問題無しだよな? チャッキーども」
姉御は陽気に、適当な映画の知識を押し付けました。
「ソウカモ……」
人形は、同意しました。
「そうなのか!? じゃが、自分で魂を移動させたり出来るのか?」
カイザーたぬきが、最もな質問を人形にぶつけました。
「デキネー」
人形は、素直に言い捨てました。それを聞いた姉御は、袋から何かを取り出すと、床にそっと置きました。それは、三十センチ程の可愛らしい、茶色のクマちゃんのぬいぐるみでした。
姉御は、壊れた市松人形を一体適当に鷲掴むと、クマちゃんに押し当てました。
「チョ、クマ? ダメダッテ、ムリ、プリティー」
押し当てられた市松人形が文句を言いましたが、姉御は無視しました。黙って集中しているような顔を見せた後、押し当てた市松人形の背を、手のひらでぱんっと叩きます。
「はいっ!」
キレのある掛け声も飛び出しました。
「そんなんで、どうにかなるもんかのぅ」
カイザーたぬきが呆れながら、姉御の手元を覗き込みます。
クマがもそもそ動きました。
「どうにかなった!」
クマが立ち上がって、ガッツポーズを繰り出しました。
「あ、そう……」
「何だよー、お手軽にいけるじゃないか。おら、とっとと全員入れ替えるぞ!」
姉御は、次々に市松人形を鷲掴んでは茶色いクマに押し当てました。
「はいっ! はいっ! はいっ! はいっ! はいっ!」
ここで、クマの色がクリーム色に変わりました。スーパーセンターに、同じ色が無かったようです。
「はいっ! はいっ! はいっ! はいっ! はいっ! はいっ!」
残る市松人形は、あと一つです。姉御が袋から出したのは、今までのクマの二倍の大きさはあろう明るい黄緑のぬいぐるみでした。
「チョ、ナンカ、チガクネ?」
市松人形が物申しましたが、流れ作業に没頭していた姉御は止まりませんでした。
「はいっ!」
全員終わって、ふーっと息をついた姉御の前に、むくりとでかいものが立ち上がります。
姉御の腰ほどもあるそれは、手足が長い割に、体と頭は現物に忠実っぽいカエルのぬいぐるみでした。
「うわー……なんでじゃ。なんで一匹だけ、このチョイス」
「クマは、もう無かった」
カイザーたぬきは、かわいそうなモノを見るように、カエルを見つめましたが、姉御はやたら満足そうです。
「おみそれしやしたっ!」
突然、カエルが姉御の前に土下座しました。
「おめぇらも、頭下げねぇか、馬鹿野郎!」
「お、お頭!?」
恫喝されたクマたちも、ぱたぱたとカエルの後ろに正座します。
「……カエルはお頭じゃったのか」
「そうみたいだな」
カイザーたぬきと姉御は、突然のことに、顔を見合わせました。
「あっしが生前、盗賊団アマガエルの頭だったと、見抜いておいでとは……おみそれしやした」
カエルのお頭は、感動したように、熱く頭を下げました。
カイザーたぬきがじっと姉御の顔を見つめると、姉御は首を左右に振りました。
「……あ、そう。んじゃ、達者で暮らせ」
ややこしいことになりそうな気配を感じた姉御は、カイザーを抱えて玄関を出ようと回れ右をしましたが、踏み出そうとした足を、カエルのお頭に捕まれました。
「ちょっと待っておくんなせい。この廃屋も、柱が折れて倒壊寸前。どうか、一緒にお連れ下せい。我ら総勢十三人、弟分として、姉御にしっかりお仕えいたしやす。ほら、おめぇたちも、お願いしねぇか!」
カエルのお頭の言葉を聞いて、後ろのクマたちも、姉御の足にすがりつきました。
「姉御~、お連れくだせぇ~」
「お仕えしやす~」
「連れてって~」
盗賊団は可愛いクマの姿で、モコモコと姉御の足につかまりました。うるんだような瞳で上目遣いで懇願して来るファンシーな破壊力は、相当なものでした。
「くそ――、クマに入れるんじゃなかった!」
プリティー攻撃のすさまじさに、流石の姉御も邪険に蹴散らすことが出来ません。
「……ちゃんと、言うこと聞くか?」
「へいっ」
姉御が絞り出すような声で尋ねると、カエルのお頭とクマは、威勢よく返事をしました。
「うぅ~もぅ~、わかったよ! その変わり、俺の仲間に酷いことしたら、可愛いクマだろうが何だろうが、焼却炉にぶち込むからな……覚えとけ」
姉御が、低い声で恫喝しました。
「へ、へい……」
盗賊団は、ぶち壊された市松人形の残骸に目をやってから、神妙に頷きます。可愛さで押せば何不自由なく暮らせるんじゃないか、と言う安易な考えを捨てた瞬間でした。
姉御は、カエルのお頭、茶クマ6匹、クリームクマ6匹、カイザーたぬきを抱えて帰ることになりました。マウンテンバイクのかごにカイザーたぬきとお頭を詰めると、残りは風呂敷に無理矢理包んで背負いました。
「背中が塞がると、山道は通れんか……普通の道で帰るぞ」
姉御の言葉に、カイザーたぬきがほっと一安心します。
「行くぞ、つかまってろよ」
猛スピードで発進しました。
平地でも、山の上り坂でも、スピードは変わり無いようで、後ろを走っている車が全然追い付いて来ません。
「こ、これは、オートバイでござんしたか――!?」
カエルのお頭が、風圧でもげそうな首を抱えながら叫びます。
「違う、脚力――――――!」
カイザーたぬきも、叫びました。
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