8話 蔵の中
正月気分も抜けた、天気のいい日曜日の午前中、団子屋がこたつから立ち上がりました。
「さてと……今日は蔵の中でも掃除しようかな」
たぬき三兄弟は、ばっと一斉に団子屋の顔を見ました。しかし、何も言葉を発しません。不審に思った団子屋は、たぬき兄弟の反応に気付かないふりをして、廊下へ続く襖を開きました。
「い、いや……蔵の中は綺麗じゃよ」
カイザーたぬきが、団子屋の前に立ちはだかりました。
「キレーだよ、僕、掃除した」
秋太たぬきは、目を固くつむって、団子屋の足にしがみつきます。
「そ、そうよ。蔵掃除は私たちが任されているし」
春子たぬきは、頭のてっぺんから、大量の汗を垂れ流しています。
団子屋は、問答無用で外に出ました。こちらに住むようになってから、忙しくて一度も蔵には入っていなかったので、たぬき兄弟の不審な反応を見て不安を募らせます。蔵の前に立つと、たぬき三兄弟が慌てて駆けつけて来ました。
「何なの? 蔵に何かあるの? 態度が変だよ」
「そ、そんなことないじゃろう」
「そんなことあるよ。三匹とも、無駄に二足立ちじゃないか」
たぬき三兄弟は、後ろ足ですっくと二足立ちしていました。
隠し事がど下手なたぬきに呆れながら、団子屋は蔵の古い鍵を開けました。重い引き戸をスライドさせると、蔵特有の湿った土と埃の匂いが漂ってきます。手探りで電気を付けると、予想外に室内は閑散としています。
「あれ・・・物が少ないし、綺麗だな」
意外そうな団子屋に続き、たぬき三兄弟が蔵に入って来ました。
「うむ。じいさんが、残されたものが困らんようにと、ほとんど処分して片づけたんだ。残っているものは、価値のある骨董だと言っていた」
カイザーたぬきの言葉を聞いて、団子屋は寂しそうな顔をしました。
閑散とした棚をぐるっと見て回ると、場違いなお菓子の缶の前で足を止めました。不思議に思って開けてみると、団子屋が小さい頃に描いた祖父の似顔絵や敬老の日のカード、毎年送っていた年賀状などが入っていました。孫からの手作りの贈り物は、祖父にとっては価値のある宝物だったのでしょう。
缶の横には、小学生の時に描いた『夏休みの風景』の絵が、額縁に入って立てかけてありました。今、団子屋が住んでいる祖父の家と庭の絵です。庭の隅には、たぬきが三匹、小さく描かれています。
「そういえば、お前たち、昔からうろちょろしてたっけ」
「してたー。団子にいちゃ、小さかったー」
秋太たぬきが嬉しそうな声を出すので、団子屋は流れ出しそうだった涙を引っ込めました。
気を取り直して、二階へ続く階段へ目を向けます。その瞬間、たぬき三兄弟が張り詰めた空気を醸し出しました。蔵特有の階段は狭くて急で、しかも天井が蓋になって終わっていました。団子屋は階段を何段か上ると、階段上の天井板を器用に外しました。蔵の二階への行き方は、祖父に教えてもらって知っていましたが、昔開けた時よりも軽く、スムーズに板が外れたので、不思議に感じます。
二階に進むと、そこは、優雅なお部屋でした。
毛足の長い、ワインレッドの絨毯。和モダンな衝立で仕切られた三つの空間には、それぞれ生活するモノの個性が溢れています。
向かって左側は、パステルピンクのクッションに、レースで覆われた白い本棚。可愛らしいぬいぐるみも見えます。読み散らかしたままの雑誌の表紙には、美少年が二人。赤ちゃん用であろう、オシャレなベッドも置いてあります。
真ん中のスペースは、洋風で落ち着いた統一感があります。革張りの一人掛けソファーに、アンティークなランプ。何といっても、窓辺に置かれた大きな天体望遠鏡が目を引きます。深い茶色の本棚には、宇宙の写真集があるようです。壁には、宇宙艦隊を背にした男性二人のアニメのポスターが貼られています。
向かって右側は、子供部屋のようです。子供用滑り台に、散らかしたままのブロックやおもちゃ。子供用のミニハウスの中には、クッションと毛布が入れられているようで、寝床として使用しているようです。
階段側の壁には、異様に低い位置にある洗面台と水道、電気ポットにコップ類の棚、カップラーメンまで置いてありました。
「うわー、快適そうな巣だねー。水道まで引いてあるー」
団子屋は、笑顔で棒読みしました。
「い、言おうと思ってたんじゃ」
「てっきり、山に巣穴があるんだと思ってたー。毎晩、ここに帰ってたのかー。エアコンも付いてるしねー」
「そ、そうなんじゃけど」
団子屋は、カイザーたぬきがあわあわと言い訳するのを、ことごとく無視しました。ゆっくり、部屋の中央に歩み出ると、大きく息を吸い込みます。
「はい、小さい順に縦に整列! ぐずぐずしない!」
秋太たぬき、春子たぬき、カイザーたぬきの順で、縦に整列しました。
団子屋の体が動いた瞬間、たぬき三兄弟の視界から団子屋が消え、驚く隙も無く、三匹はぎゅうぎゅうに密着し、体を締め上げられていました。
「は、挟む力っ」
団子屋は、カニバサミを炸裂していました。床に倒れ込んだ団子屋の足の間には、たぬき三兄弟が挟まっています。
「昔から、なぜか挟むことと掴むことは得意なんだ。箸も鋏も、カニバサミも」
「こ、こういう使い方!? カニバサミってこんなんじゃった!?」
「たちけてー」
「ギブよ、ギブー!」
たぬき三兄弟は呻きました。
ギブアップと言ってタップする春子を無視しつつ、たぬき三兄弟から視線を外した団子屋の目に、額に入って壁に掛けられた絵が映りました。最初は、秋太たぬきが描いた絵だろうと気にも留めませんでしたが、よく見ると、見覚えがありました。芸術的な線で描かれたそれは、三匹のたぬきのようです。
挟む力が緩んだ隙に、たぬき三兄弟は団子屋の足の間を抜け出しました。物申そうと顔を上げたカイザーたぬきは、一点を凝視する団子屋の視線に気が付きました。目線をたどると、壁の絵に至ります。
「のあぁぁぁぁぁー!」
カイザーたぬきは叫びました。一瞬で絵の下に移動し、ぴょんぴょん跳ねて、絵を隠そうと試みているようです。
「……それ、僕が子供の頃に描いた絵だよね」
カイザーたぬきは、停止し背中を向けると、誰もいない壁に壁どんしました。
「そ、そうじゃけど?」
「……ふ~ん」
二人の間に、微妙な空気が流れ始めます。
「団子にいちゃが、小さい頃描いた僕たちだよ。嬉しかたから、飾ったんだ」
秋太たぬきが、明るく素直に言い放ちました。
「夏休みに、たぬきさん可愛いねって言って、描いてくれたのよ。あんちゃんは、上手い、絵の才能があるって言って、一番喜んでいたわ」
春子たぬきも、嬉しそうに続けます。
「……そう」
返事を返しながら横を向いた団子屋の顔は、赤くなっていました。ここにも、祖父と同じように、自分が描いた落書きを宝物にしているものがいた。自分ではすっかり忘れてしまっていたけれど、たぬき達はここで絵を見る度に、僕のことを思い出してくれていたのかもしれない。そんな思いから、嬉しさと気恥かしさが沸き上がりました。
「ばらすな――! お前も、赤くなるな――! ちょ、もう、何か恥ずかしいから。お前の感情表現方法が不器用なせいで、何か、すっごく恥ずかしいことになるんじゃよ」
カイザーたぬきも、赤くなっていました。
「そ、そうだね」
団子屋は、大げさな咳ばらいをすると、立ち上がって階段に向かいます。
「まぁ、とにかく、火事とかに気を付けて、綺麗に使ってね」
背中を向けたまま、誰ともなしにぽつりと言うと、蔵から出て鍵を掛けなおしました。
「まぁ、閉じ込めても、水も食料もあるようだから快適だろうけど……」
中から鍵は開きません。内緒にしていた罰はしっかりと与えるようです。
団子屋は、母屋の自分の部屋で、箪笥の引き出しを開けました。そこには、宝物と書かれた、お菓子の缶が入っていました。開けると、中には写真や紙が入っており、その中から団子屋が引っ張り出したものは、一枚のはがきでした。それは、祖父から届いた小学校の入学祝いのものでした。
『小学校入学、おめでとう! たぬきたちも、よろこんでくれているよ』
祖父の字でそう書かれた横には、たぬきの手形が三つ押されています。
「わぁー、僕たちのお手紙だ。団子にいちゃ、まだ持ってたー」
突然秋太たぬきの声がして、団子屋はびくっとしました。
「あら、懐かしいわねー」
春子たぬきの嬉しそうな声も聞こえます。振り返ると、たぬき三兄弟が背伸びをして、団子屋の手元のはがきを見上げて立っていました。
団子屋は、羞恥心からパニックになりかけましたが、ふと、蔵に鍵を掛けたことを思い出し、不審に思います。
「……お前たち、どうやって母屋に来たの?」
「……蔵の一階と、母屋の台所の床下貯蔵庫が、地下穴で繋がっておるんじゃ」
「へぇー、なるほどねー」
団子屋は、満面の笑みを浮かべると、渾身のカニバサミを繰り出しました。
たぬき三兄弟の悲鳴をよそに、居間では放し飼いのケサランパサランが飛び跳ねていました。
ぽんぽん、ぽんぽん、嬉しそうに。
何か楽しいものが、近くにやって来たようです。
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