5話 伝説の兄弟
集団が玄関に到着する前に、思いがけず、家の引き戸が開きました。
「何だーよ、お前たーちは! うーるさーいよ」
中から出てきたのは、やたらでかい白人男性でした。
タンクトップから伸びた腕は筋肉ムキムキで、ジーンズに押し込められた足も、パツパツできつそうです。頭には、テキサスチックなカウボーイハットを被っていました。団子屋は、一瞬どういうことかパニックになりかけましたが、男性から発されたカタコトの日本語が、聞き慣れたカイザーの声だったことに思い至ると、一気に体の力が抜けました。
「ヘイ、ブラザー、こいつら、だれだーよ? どうしたーよ?」
ブラザー呼ばわりされた団子屋は、ため息を吐きつつ、詳細不明で無茶な芝居に吐き合うことにしました。
「あぁ、ブ、ブラザー。 この間、泊めろって言ってきたやつらだよ。断ったのに、押しかけて来たんだよ」
団子屋の言葉を聞きながら、偽ブラザーは、集団の面々を吟味するように見まわしました。スーパーボディの白人に目を向けられた男女は、目を見開き、呆然としています。
偽ブラザーは、両手を腰に当てて、すっと目を細めます。
「めいわーくだな。ジャパニーズは、礼儀正しーいと思ってたぜ」
女性陣は小さな声で、怖っ、感じ悪いだの、誰なの、意味わかんないだの、こそこそぐちぐち文句を言い始めました。それを感じたリーダー男は、すっと前に出ると、得意げに英語で話し始めました。
「(流暢な英語)いやだなぁ、勘違いですよ。僕達友達ですから、いつもの悪ふざけです。こいつも、断ったとか、本心じゃないですよ。女の子連れて泊まりに来てもらえて、喜んでるんすよ。そうだよな?」
団子屋は動揺しました。カイザーの声を出すブラザーが、英語を話せるわけがありません。偽ブラザーに目をやると、何食わぬ顔で、目をしぱしぱしています。
偽ブラザーは、ハン? と言いながら、耳に両手を当てました。
「何だーよ、こいつ。俺がニホーンゴしゃべっているのーに、イングリッシュらしーき言葉で話しかけてきーたよ。しかーし、下手くそで、何いってるのーかわからなーいよー。はーくじんにはえいごーって、ロシア人、フランス人だったらどーうすんのー」
偽ブラザーは、自信満々に、日本語の毒舌を返しました。団子屋は言葉を失いましたが、不可解な状況が功を奏し、冷静さを取り戻すことが出来ました。
「え、えぇー……テキサスなんじゃ……」
恥ずかしいことを指摘されたリーダ男―が、間の抜けたような声を出しました。明らかに、テキサスっぽい偽ブラザーは、両手をちょっと上げて小馬鹿にするような仕草を見せました。
「おまーえ、テキサスではみんなカウボーイハットだと思ってーるのー? テキサスバカにするなよ。あやまーれよ、テキサースに」
そう言ってため息を吐いた偽ブラザーを見て、女子達は、自信満々だったリーダーを盗み見ながら、クスクス忍び笑いを始めます。
馬鹿にされている空気を感じ取ったリーダーは、顔を真っ赤にして手を振り上げました。ムキムキ外人に、まさかの力押しです。しかし、あまりの筋肉スペックの差に怖気付いているのか、胸ぐらを掴もうとしたであろう手は、そのまま握って下げられました。
「てめぇ、調子にのるんじゃねぇぞ。でかい外人使って、優位なつもりかよ。俺に逆らったらどうなるか、分かってんだろうな。こんなしょぼい店、一瞬でつぶしてやるよ。おら、その外人、帰らせろよ!」
リーダー男は、敵わない偽ブラザーから目を逸らし、団子屋へとターゲットを変えました。目で合図された他の男達も歩み寄り、にやにやしながら団子屋を取り囲みます。
「ヘイヘーイ、三人がかりだーと、ブラザーが怪我すーるかもしーれなーいね。ヘーイ、テリー、出―てきて手伝―うねー!」
偽ブラザーは、家にむかって大声で呼び掛けました。新しい登場人物、テリーの出番のようです。
間もなく玄関が開くと、完全な外人プロレスラーが現れました。裸に赤パンツで、足には黒いリングシューズを履いています。
「俺たーち、フォークで刺されたぐらいじゃ負―けないよ! カモン!」
偽ブラザーが、二人になりました。
やる気満々のテリーは、ウォーミングアップのつもりなのか、技をかける素振りを繰り返しています。
偽ブラザー達の設定は、どうやら外人プロレスラーのようです。団子屋は了解しましたが、無茶な設定に、多少イライラして青筋を立てました。
テリーが近寄って来ると、男たちは驚愕の表情を浮かべて後ずさります。完全に、戦意を喪失しているようです。
茶番劇の筋書きが解らない団子屋は、この隙を生かしてそろそろ無理矢理幕を引こうと、携帯電話を取り出して耳に当てました。
「あ、もしもし、駐在さんですか?
団子屋の会話を聞いて、男女は顔を見合わせてコソコソ話し始めました。
「あっ、車で来たみたいです。えっと、ナンバーは……」
電話で話しながら団子屋が車に近づくと、男女はものすごい勢いで車に乗り込みました。
しかし、リーダー格の男は、動こうとしません。団子屋を睨み付け、口元に嫌な笑みを浮かべると口を開きます。
「駐在? 呼べよ。俺の親父もじいさんも代議士だぞ。田舎の警察なんか相手になるかよ。この店もつぶしてやるからな」
団子屋は、黙ってリーダー男を睨み返します。呼ぶも何も、団子屋の電話はどこにも繋がっておらず、駐在さんとの会話は演技なのでした。
そこへ、偽ブラザーがざっと進み出て、リーダー男の胸ぐらを掴み上げました。
「やってみろ、若造。代議士ならよく分かるはずだ。今すぐパパに電話して、
いつものカイザーたぬきの口調で恫喝するように言うと、リーダーを地面に放り投げました。
「何すんだ、テメー! くそっ!」
リーダー男は怒鳴りましたが、力で敵わないと悟っているのか、カイザーたぬきの言う通りに、電話を掛け始めます。
「もう、お前ら終わりだよ。そっちの外人は、傷害で逮捕させる。あっ、父さん、忙しいところすいません。でも、生意気な田舎者に乱暴されまして。はい、多荼羅山に旅行に来て。外人をけしかけられて。え? はい、多荼羅山の麓の団子屋で、とちもりだとか、良く分からないことを言っています。もう、お前の家から代議士は出ないとか、うちの家の名誉を穢すようなことを言って……え? はい、そうです。はい……」
勝ち誇ったようにまくしたてていたリーダー男が、次第に静かになって行きます。電話からは、ものすごい怒鳴り声が漏れ響いていました。やがて声が静かになると、リーダー男が団子屋と偽ブラザーに電話を差し出しました。
「父が、代わって欲しいと……」
蚊の鳴くような声でそう言うと、団子屋にずいっと電話を押し付けます。偽ブラザーがその手を掴み、リーダーの体ごと払いのけました。
「己の言動の責任を取れ。許す気は無い。普通の仕事でも、探すんだな。今すぐ出て行かねば、お前の父にも、馬鹿息子の責任を取ってもらう」
カイザーたぬきの声が厳しく響くと、電話から再び怒鳴り声が聞こえてきました。
『土下座して、今すぐ戻ってこい。言う通りにしろ! 馬鹿が! いっそ死ね!』
そんな風に、息子に怒鳴っているようです。物騒な言葉に、偽ブラザーも団子屋も顔をしかめました。
言われた本人は、無表情を痙攣させながら地面に土下座すると、足早に車に向かい乗り込みました。中で仲間に何か言われているようでしたが、狂ったように怒鳴り返しています。
そして、車は去って行きました。
車が見えなくなると、団子屋が振り返り、口を開きます。
「アイツの父親、
「そうじゃ。伝説の呪術者集団、タケミは裏の世界じゃ有名だ。土地守もまた、それと対等な立場なんじゃよ。お前に手を出す者がおれば、タケミが黙っていない」
聖なる山のタケミ一族。お山の恩恵を受ける土地を守る団子屋。それは、祖父のノートに書いてありましたが、いまいち実感が湧きません。
「タケミの話は置いておくとしても……つーか、何で外人? どちらさま?」
偽ブラザーは、ニッと笑顔を見せてから、ぽんっと煙を出して消えてしまいました。足元の方のもわもわに残っていたのは、カイザーたぬきの姿でした。
「わしじゃ。カイザードリーじゃ」
同じように、テリーが消えた煙から姿を現したのは、秋太たぬきでした。
「秋太テリー。楽しかたー、みんなびびってたー」
「人間に化けられるのか……すごいな。でも、何で外人レスラー? 警察にでも化けて出て来てくれてたら手っ取り早かったんじゃ……」
「わしらは、一回につき十分間だけ、人間に化けられるんじゃ。わしは、インターバル一時間で、再び化けられる。秋太と春子は、もっとかかるがのぅ。外人レスラーはテレビで知ったんじゃよ。伝説的な兄弟レスラーじゃ! 知らんのか?」
カイザーたぬきは、団子屋のもっともな意見を無視して、聞かれていないことを説明しました。
「……時間制限つきなら、もっと作戦を詰めてから出て来いよ。十分間だけって、ぎりぎりだったよ?」
「化けてるとき、人の十倍動けるー力持ちー」
秋太たぬきも、団子屋の意見を無視しました。
「……」
団子屋は、突っ込みを諦めて家に入りました。
夕飯は、たぬきそばでした。しかし、ご飯から寝るまで、たぬき兄弟がテレビを占領しても、今日の団子屋は怒りませんでした。ただ、ひっきりなしに着信する電話を、笑顔で握りつぶした怒りの握力は、たぬき達をびびらせました。
その日の夜、団子屋が布団に入ると、スッと襖が開く気配がしました。
「お前が気に病むことは、何もないぞ。当然、タケミに頼んで、馬鹿を呪ったりもしない。あの馬鹿息子と、息子に死ねと言うような父親では、自ずと滅んで行くじゃろうよ」
カイザーたぬきの優しい声に、団子屋の顔には笑みが浮かびます。
「オーケー、ブラザー。でも、無茶な設定だけは、勘弁な」
団子屋が言い返すと、カイザーたぬきは、ぷくくっと吹き出しながら襖を閉めました。
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