黒い海

叢雲前線

第1話忘却の想起

 ここはどこ…… 黒い流体、次第に視野は漆黒に包まれ、光は潰えた。

 そうか、僕はセルリアンに食べられて…… 不思議と痛みはない。体の自由はきかないものの意識だけはしぶとく留まろうとしているようだ。

 そういえば前にサーバルちゃん達がセルリアンに食べられても死ぬことは無く、元の動物の姿に戻り、記憶を失うだけだって言ってたっけ。それなら僕はどうなるのだろうか。蛇の子のようにフードもなければ、鳥の子のように羽もない。ヒトであるらしいが「ヒト」とはなんだ。そもそも僕がフレンズなのかも分からない。どちらにしろ記憶を失うならこんなことを考えても仕方の無いことだか……

 記憶を失う。それはサーバルちゃんを始めいろんなフレンズさんとの出会いが全て失われてしまうという事ではないか。あの時、一緒にジャパリまんを食べたこともお話したことも全部…… あれ、なんでだろう悲しいのに涙が出ない。もう、忘却が始まっているということか。この失いたくない気持ちが失われる感覚、それでいてそれに悲しみを感じない。焦燥と無力感。全身を拘束され胸のあたりに重く渦巻くドス黒い何か。今にも吐いてしまいそうなそれは何度も僕を攻撃し、感覚を麻痺させてくる。

 そういえばサーバルちゃんは元気にしているかなぁ。あれからどれだけ時間が経ったのか……分からない。ここだけ時間が止まっているのか、それともそもそも時間という概念が無く僕だけが一人取り残された白い部屋に閉じこめられているのか。どちらにしろ目がきかないので確かめる術はない。そもそも僕は生きているのか。ダメだ、頭が回らない。痛みというよりもむしろ喪失。僕は痛いのが本当に嫌いだったけど喪失がもっと痛いだなんて思ってもいなかった。


 気が付いたらまたサバンナにいてサーバルちゃんは僕の名前を呼ぶけど僕は全く覚えていなくて、今までに覚えた木登りの仕方とかも全部忘れてて。でもきっとサーバルちゃんはまた一から教えてくれる気がする。優しいフレンズだから。でもきっと心の中では泣いていて、僕の形をした僕じゃない何かを悲しみを隠した笑顔で迎えるのだ。でも時間が経ったら僕とラッキーさんとの冒険は忘れちゃうのかなぁ。サーバルちゃんは少し忘れっぽいから。それがサーバルちゃんらしいけどやっぱり悲しいよね。

 

 暗闇しかない地において闇はもはや黒でなく空気のようなあくまで自然的で隣り合ったものとなる。あれ、僕って誰だっけ。ここらへんに腕があったはずだし、こっちには足があったはずだ。いや、もしかしたらなかったかもしない。シャクトリムシの如く細長く線のような体をくねらせ地面を這いつくばっていた。電池の無くなったバスは走れないのだ。存在を失った僕はもはや無用の長物で忘れ去られた存在。

 ふとここで気づいたのだが、もしかしたら僕が喪失しているのではなく周りが喪失しているのではないか。いや、それはない。僕が挨拶をしても誰も僕を知らない世界。それは食べられることよりも辛いことだ。やはり、僕だけが異種なのだ。前から感じていた浮遊感はより一層浮き彫りになり高所から落ちるような気持ち悪さが体のような何かを貫く。体? 何?

 

 窓の隙間から見る景色はいつも新鮮で、頬にあたる風の香りは優しく、隣には……

隣には? あれ、隣には誰がいたんだっけ。そもそもなんでバスに乗ってたんだっけ。バス? うーん、さっきまで誰かのことを思っていたはずなのに思い出せない。失いたくないって思っていたのは覚えていたのに肝心の誰かが思い出せない。金属製の筒にボールを落とすとそのまま落ちていくように脳内の網に引っかからないのだ。何のフレンズだっけ。

 

 途端に怖くなってきた。すでに肢体の感覚はなく、音も聞こえず、声も発せず、記憶もなく、自分が何なのかも分からない。宙ずりにされたプシュケーはあまりに脆く壊れやすい。怖い、怖いよサーバルちゃん。

 サーバルちゃん? サーバルちゃんって誰?

 

 外が騒がしい、騒がしいというのは音が聞こえるというわけではなくそういった感触がするのだ。黒から白へ、静から動へ、誰かが呼んでる? 声は聞こえない。魂の叫びというのか見えない何かによって引き寄せられている。引力というのが表現的には近いかもしれない。まるで光が線になって導いているような。黒塗りのキャンパスに色がついていく。鮮やかな光が黒い海に乱反射して溶け込んだ。道は見えた。細くとも明確に。忘れかけた何かはもはや記憶ではなく現実に。

 

 風の匂いがする、若干の塩分量を含んだしょっぱい風と何か焦げた匂い。揺れる地面。

 あれ、サーバルちゃん、みんな。うーん、今まで何があったんだっけ。そういえばセルリアンに食べられて、みんなが助けてくれたのかな? サーバルちゃんもこんなに泣いちゃって、らしくないじゃない。やっぱりサーバルちゃんは笑顔じゃないと。みんなも、そんなに視線を貰っちゃうとちょっぴり恥かしいよ。でも不思議と悪い気はしない、今までの思い出が輪になって繋がっていく、忘却の想起。

 

 え、一番最初に会った時のお話?


「食べないでください」


 凍りついた秒針は再び時を刻み始めた。

 この匂い、感触、声、色。全てが懐かしく思えるのはなぜだろう。なぜだかわらない。分からないけど当たり前が当たり前である内に爽やかな日常を犯すものを倒さないと。僕は再び心の剣の柄を握った。 



 

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黒い海 叢雲前線 @always9ago

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