第38話 そして人生の夢になったのです。
「白夜」
瑠璃仁は、真っ直ぐ射抜くように両の瞳を白夜に向ける。
「はい」
「どうして、白夜は、そうなりたいと思うの?」
理由?
「どうして、ですか?」
俺がこの道を志した理由だろうか。
言おうかどうしようか、少し悩んで――結局、
「実は、僕、父親が医者なんです」
白夜は、あまり人には言わないようにしていたことを打ち明けてみた。瑠璃仁はきょとんとして、「わお」と声を上げる。「お父様が、医者だったんだ?」納得するような、ますます不思議に思うような瑠璃仁に、白夜は付け加える。
「はい。……って言っても、親父はほんと、ロクな医者でもなかったんですけどね……あははは……」
「そう、なの?」
「ええ、もう。自分は父子家庭で育ったんですけど、父親は未婚で……物心ついて、同級生と自分の家庭を比べて、どうして自分には母親がいないのかって質問すると、俺が産んだーなんて、そんな理由で通されたり……なんて」
おかげで医者の息子にもかかわらず間違った生物学的知識のままずいぶん長くいた。
「それに、今はどこで何しているのかも知らないし……あの人に育てられたとは、自分では思っていませんから」
「それで……どうして白夜は、看護師になったの?」
「はい、それは、ええと、あんまり人には言わないようにしているんですが……」
苦い記憶だ。
医者としても、父としても、人としても、――本当に最低な人だった。
仕事が多忙なのはわかる。未婚なのも、何か事情があったのかもしれない。でも――
✿
壁は手作りの折り紙とちぎり絵で彩られ、季節ごとに新しく替えられていた。
毎日のように、おもちゃの車のクラクションと、戦隊ヒーローの電子絵本からの効果音、それから赤ちゃんの泣き声が鳴り響いていた。
そこはにぎやかな小児病棟の八人部屋だ。
「えーん! ちゅうしゃやだようー!」
「なかない! なかない! いたいのいたいの、とんでけー!」
「外行きたい!」
「病気が良くなってからねー!」
「えーっ。やだっ! サッカーしたい!」
「ボードゲーム対戦でがまん、がまん」
「売店行ってきていい? コロコロ買って」
「ふろく目当てならダメよ?」
「えーいいじゃんケチ! どうせヒマなんだからあーねえ買ってよー」
「まあ、そうね……入院中だけよ」
「はーい。よっしゃ」
幼い患者も、若い親も、看護師も、みんながエネルギーに満ちていた。ある者は、やがて過ぎ行く非日常を楽しみながら、ある者は必死に生きようとし、ある者はそんな姿を応援した。
窓際の一角を除いて。
「はーい、はくやくん~? 検温の時間よー」
「……いらないよ、そんなの」
「あらあらー? どうしてかなー?」
「ぼく、病気じゃないもん」
「朝ごはんも食べてなかったわねー。どうしてかなー?」
「……」
「そんなんじゃ、栄養失調に、なっちゃうわよ~~?」
「……栄養失調って、病気?」
「そうよ~」
「じゃ、昼ごはんも食べない」
「あららー。白夜くんは、病気になりたいの?」
「……そうだよ」
だって、ぼくが病気ならすべてが丸く収まるんだ。
本当に病気で入院している子や、一生懸命看病に当たっている看護師さんに対して申し訳なく思う必要もなく、父さんに捨てられたなんて思わなくてもいい!
ここにいていいんだと、思えるから。
だから――
「ねえ、どうやったら病気になれる? 治し方知ってるなら、病気のなり方も知ってるんでしょ。教えてよ、看護師さん」
ぼくは、本当は病気じゃない。
ぼくは健康だ。
健康なのに、どうしてぼくはここにいるの?
どうして誰も、迎えに来てくれないの?
そんなの答えなんてわからない。――知りたくもない。
だったら、病気になりたい。
ここにいる、理由をください。
「あらあら。病気になりたいなんて思う子はねえ~……」
それを聞いた看護師は、ツカツカツカと、靴音を鳴らしてにじり寄る。
(……叱られるパターンだ……)
悪いこと、言い過ぎたかな。
悪いのは、病気でもないのにここにいる、ぼくなのに。
お腹が痛くなってきた……。……あ、やった、病気かな?
「もう、病気なのよ」
「え」
「ホントにあるのよ? リューゲルハウゼン症候群っていうんだから」
「ぼく、病気?」
「ええ、そうよ」
「ぼく……病気、なのか……」
体中から、緊張が抜けていくのがわかった。
「だから、ここにいていいよ!」
お腹の痛みも消えた。
「でも、ここにいる子は、健康を目指さなくちゃいけないの」
「……どうしたらいいの?」
「リハビリしましょ!」
「リハビリ?」
それは、看護師のお手伝いだった。
小さい子も多くて、俺は時間の許す限り看護師の真似事をした。
今思えば、子供のお手伝いみたいに、看護師の手間ばかり増やしただけかもしれないけど、俺はそこで自分を受け入れられて、自分も役に立てていると思えて、心からここにいてもいいんだと思うことができて、やっと安定したんだ。
それは、ひきはじめていた心の病気を治すための、本当のリハビリだったのだと思う。
自分の病みかけた心を救ってくれたのは、優しい看護師さんだったから。太陽のように眩しくて、ぽかぽかと暖かくて、その輝きに憧れて、自分もそんな看護師になることが、人生の夢になったのだ。
✿
そこまで話して、白夜は一時中断した。針間が入室した。
「おー。入るぞ」
「あ、針間先生。お疲れ様です」
「主治医様のおなりだ。どーだ、具合は」
「まあまあです」
儚く微笑む瑠璃仁の下、針間は落ちている瑠璃仁の白衣を拾い上げる。
「加藤……あとで、ちょっと来い」
「はい?」
なんだろう。ここでは言えないようなことなのか。診察の後、白夜は瑠璃仁に断って針間の後に続いて外へ出る。
「さっきの話、あれは本当か?」
「えっ」
そのことか! 親父の話……聞かれていたのか。
「まあ、はい……恥ずかしい話」
「俺は……」針間は、ちょっと首をひねって言う。「加藤センセーに、会ったことある」
「え!? あるんですか!?」
「まだ俺が研修医のころの話だ。外科で研修医やったときに、いた」
ごくり。そうか、同じ医者として――そういうこともあるだろう。
「家庭との両立だとかの話になったときに……言っていた。息子は母親の元に、預けている、と」
「え……?」今、なんて?
「自分の都合で、母を名乗らせてやれなかったことへの、せめてもの償いだと」
「どういう、こと……だ……」
白夜には、母親に育てられた記憶なんてなかった。病院に入れられて、学校は院内学級で、母親は、看護師に求めたんだ。
「看護師……?」
まさか。まさか――! 「あの中に、本当の母親がいたのか!?」
本当の風邪を引いた時、ほとんどつきっきりで看ていてくれた人がいた。長い眠りから覚めてもまだ、手を握ってくれていた人が。白夜はそのとき、ああ、俺もこんな看護師になろう、って決めたのだ――。
「母さ……ん……だったのか」
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