第4話 数学者はまとまらないサラダを口から幻聴に悩まされています。
伊桜の中世ロココ調のお姫様のような部屋とは正反対に、真っ白い壁に黒の机、そして濃茶色のソファやラックの、邸の外観と揃いの都会的でシックな家具がまず目に入る。その色味の中でもなんだか暗い印象を受けないのは――。光のある方へ目を向けた。どういう建築方法なのか、壁が一面まるまる単純に取り払われたかのように、柱も段差もなく大きく開かれた広い広いバルコニーから射し込む日差しがある。時間という概念もないくらい幼い頃に見ていたような光がそこにあった。よく見ると窓ガラスは蛇腹のように折りたたまれて脇にある。広い軒の出の先は、徐々に芝に代わっていっている。二階に位置するここに現れた庭は、空中庭園のようだった。空が広がっている。その向こうにぺたんと座り、こちらを半身振り向いて小さく手を振っている白いカッターシャツの青年がいた。手には、厚めの本を持っていて、脇にも数冊詰まれている。白夜たちは、彼の元へ歩いた。
「瑠璃仁、いいかな?」
勝己がそう話しかけると、彼は、おや? とした顔で白夜を見上げる。
「こんにちは。初めまして」白夜は座っている彼の前に歩み出て膝をつき、視線を少しばかり低くして挨拶をする。「今日から看護を担当させていただきます、加藤白夜です」
彼は透明度の高い眼鏡越しに白夜の挨拶を穏やかに聞くと、
「こんにちは。新しい使用人さんですか。僕は一条瑠璃仁。あっちで木を刈り込んでくれている彼が、渡辺春馬くんです」
そう紹介を返した。彼の指した指先では、植木を刈っている長身の男性がいた。ぺこりと人の好い笑顔でお辞儀をされたので、白夜も返した。
「これはね、うん。アボットの『フラットランド』。小説ですね。この物語はね、二次元空間の住人が一次元空間を旅したり、三次元空間に連れてこられたりするはなしなんですよ」
白夜は、そう話し出す瑠璃仁に意識を戻す。
「うーん二次元空間っていうのは、上下と左右だけの、奥行きのないぺしゃんこの世界。そんな世界にある日、3Dの球体が突如として現れたら、どうなると思いますか?」
「えっ、と」
どうなると思う?
突然のことに、面食らって白夜は、うまく答えを思いつけなかった。
だが話は――
「二次元の住民には三次元には見えないよ! ふくらんで、消えちゃう! あははっ! 脳の構造が規格外」
先へと進んでいく。
「四次元は話して病気が杼はどこにいるの?」
「えっ?」
今、なんて?
自分の聞き間違いだろうか? 白夜は聞き返そうとするが――
「したおかげ悪夢って特異点と張り付いて落ちて、落ちて、落ちて……永遠が蛍光色ぼよ見ているぼよ僕分裂眺めもう一人2春のそよ、ふ、ふわ、もう言う精神外」
「あの……?」
え――? え? いや……
「君は僕が妄信し受けた気がする。最外殻電子が閉殻構造を取るため、反応性はほとんど距離が電子による遮蔽でイオン化しやすい。熱は大丈夫かな? でも、ついていてくれるからね。それに、僕がいる。四次元の方向にはあって、不明さえ貫いてみせる。というか、ナンセンスが豊かにべきとは思わないか? 科目単位で分け……っと、居座って医者はリンクの未来の状態で、きっとあの子は自分の意志で優秀な脳外科かな、心臓外科? だから病名つまり病気なのかな、って思うんだ。不安のシナプスが緑色で蠢いて、不安が繋がっちゃってる! レセプターが薬! とって、箱のレンガのだ! そうだ!」
ごく変わらぬ調子でとうとうと語る瑠璃仁に、白夜は圧倒されていた。
日本語、だけど、文法もなにもかもめちゃくちゃだ。何をしゃべっているんだ?
「あー……君もしかして」瑠璃仁はすまなそうに尋ねてくる。「この本について僕に質問なんて、していなかったかな?」
もう、何事もないように微笑みながら。――意味の分かる言葉で、話しかけてくれる。
「は……はい」
とりあえず、白夜は頷く。何の本なのかな、とは、思ったが、聞いてはいない。
「ああ、失礼。じゃあ幻聴だったみたいだ。うん」
瑠璃仁はさらりとそう詫びた。その単語に、白夜ははっと現実に戻された。
「僕は、たびたび幻聴を聞いたり幻覚を見ることがあるからね。混ざってしまって、こうしてわからなくなることがあるから、みなさんには迷惑をかけてしまいます。ああ……今も、僕の言ったことは、めちゃくちゃな文章になっていたかもしれません。そうだとしたら、すみません」
空を往く鳥を見つめながら、彼はそうつぶやいた。「……たぶん、そう、だよね?」
「は、はい……」
「ごめんね。いつか僕の転ばぬ先の杖になってください」
「……もちろん、全力を尽くします」
カルテには精神障害――「境界失調症」のことが記されていたのだ。そうだ。これは、幻聴、妄想、言葉のサラダ――境界失調症の症状じゃないか。
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