第18話 壕よ、屍よ

 夕暮れは空が曇っていることと煙で全くの灰色だった。対峙していた敵兵は壕から出てきていつもとは比べ物にならない量の射撃を加えてきた。ジェフは突撃前の制圧射撃をしていると感じた。


「もういいよ、残っている弾全部出して配れ」

「なんですって、分隊長、いや、小隊長」

「弾全部使っちまえ」


 片耳を失ったシューマだけが聞き直した。他の者はジェフの言うことの意味を最期の時だと捉えた。ハンバートがもう一人を伴って弾薬箱を取ってきた。射撃を交代した者から弾倉と手榴弾を配り、ジェフの背を叩いた。


「遺書書く時間ありますか。自分は開戦の時書いてきましたが、他の者は誰も書いてません」

「遺書?アホ」


 突撃の合図でも出すのか、信号拳銃片手に身体を上げた指揮官らしき敵兵を射殺した。ジェフはハンバートの鉄帽を配られた弾倉で叩いた。


「撃つだけ撃ったら下がるんだよ。いや、その前に敵が辿り着くかもしれん。白兵戦やってからだ。皆んな、全部使い切れと言ったが弾倉二本と手榴弾二個だけ残せ」

「下がってどうするんです。下がったところで包囲は縮まってるし、どうしようもありません」

「どうしようもなかったらどうするんだ。死にゃせんよ、そう思え。各分隊に伝達、伝令は危険だから、紙に書いて石包んで壕に投げろ。おいチャン、生きてるな。今度は手榴弾じゃなくてこれを左右の分隊に投げろ」


 用無しとなった弾薬申請書二枚に命令を書いて石を包み、手榴弾投擲手のチャンに渡した。チャンは言われた通り左右の壕に投げ誰かが拾っていた。


「生きたいんなら、投降したらどうですか」

「白旗振った隣の隣の陣地は敵の集中射撃受けたぞ。気が立ってるのか捕虜は取るなと命令されてるのか知らんが、まあ望み薄じゃない。敵突き殺したら大人しく下がれ」

「それよりはここにいたいですね。小隊長もそうなんじゃないですか」

「まあここにいたい気もある。だけどな、下がれ」

「・・・」

「命令だ」

「・・・はい」


 下がるに下がってきて最後ずっといたこの陣地に、誰しも妙な愛着がある。それに、ここには死んだ仲間がいる。ジェフもハンバートに言いながら強く後ろ髪を引かれていたが、生き残れる道を探さなければならない。自分たちより多い敵と白兵戦を演じてからどれだけ生き残れるのかは未知数だが、今背を向けて弾雨の餌食になるより、敵に混乱をもたらしてから逃げた方がまだいいと判断した。正しい決断なのかは自分でもわからない。

 信号弾が上がった。敵は一斉に身を乗り出し突撃を始めた。


「来るぞ、着剣しろ!無理だと思ったら下がれ、本人の判断に任せる、だが三人くらいは刺突しろ!手榴弾!」


 ジェフは前から黒テープで銃身に括り付けていた銃剣を強く握った。小隊は各々手前に並べた手榴弾を二個だけ残すと全部投げ、数十人規模の敵が斃れた。かなり数は減らしたはずだが、後続の隊は陣地制圧を諦めなかった。ジェフは敵に一連射喰らわせると銃を支えていた二脚を畳みセレクターを三点射に切り替えた。


「前へ!」


 小隊は壕外に踊り出し撃ちながら一歩踏み出した。

 一人の心臓に深く銃剣を刺し込み、そのまま撃って貫通した弾が後ろの敵兵に命中した時だった。百m程後方の敵群集に爆発が起きた。弾の無くなった小銃の再装填を諦め拳銃を抜き、後ろを振り返る敵兵を射殺した。同じように振り返っていた隣の敵兵は顔を前に戻すと驚いたように目を剥き数発の弾が身体を貫いた。敵は逃げ始め、ジェフは何が起こっているのかわからず立ち尽くした。突如風が吹き、懐かしい車の排気ガスが鼻をくすぐった。

 横を走り抜けたWDWKの、運転するチャルと銃座からカービンを乱射するシャーリーと目が合った。二人はおかしそうに笑ったようだった。


「このー!」


 シャーリーは銃座から飛び降りると背負っていた刀を抜き、逃げ遅れてヤケになり銃剣を振り回す敵兵に刃を払った。頸動脈削がれた敵兵は傷口抑える暇なく絶命した。

 ジェフは停車したWDWKに近づいた。直後多くの戦車や歩兵戦闘車が駆け抜けて敵を追い、土煙が上がって咳する音が聞こえた。


「こほこほ」


 咳の主はシャーリーで、マグポーチから布を出すと刀身の血を拭い背に回った鞘と格闘していた。ジェフは彼女の鞘を掴み刀を収めさせた。シャーリーはジェフに気づくとじっと顔を見つめ、しばらくすると頬を膨らませて吹き出した。


「あはは!チャル、やっぱりジェフだ!ヒゲ剃ってるよ!」


 運転席からチャルが降りてきてジェフを抱擁した。車から分隊が出てきて小隊員の元へ駆けていく。分隊長らしき人物がシャーリーに礼を言い、彼女はそれに手を振って答えていた。ジェフは片手に持った小銃の銃剣がチャルに当たらないようにその場に放り出した。広すぎる背にゆっくり手を回すと、そのまま硬直してチャルの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。シャーリーもジェフの鉄帽を脱がして首にかじりつき顔中にキスをした。


「無事だったんだねジェフ!来てよかった!」

「まったく心配かけさせて!あんたは命令通り大人しく司令部にこればよかったの!」

「タリー君がここを指差して、あの壕だって案内してくれて、そしたらほんとにジェフがいて!」

「ばかばかばか!ジェフのばか!・・・無事でよかった!」

「・・・愛してる」

「え?」


 二人の言葉を聞いてるうちに何か言わなきゃと頭を回転させ、「愛してる」と選んだ。口にすると、込み上がってくるものがありジェフは号泣した。


「愛してる、愛してる。チャル、シャーリー、愛してる。あのな、愛してるよ」

「ジェフ!」

「僕たちも!」

「愛してるぜ!」


 首をうんと伸ばしてチャルの首筋に吸い付き、シャーリーにはモロに唇、抱きしめたまま舌を入れた。シャーリーは急なことに頬を真っ赤にしてジェフを離した。離す時思い出したかのように自分の服から隊長章を外し、ジェフのポケットに掛けた。


「じ、じぇふ、まだ早いったら!あとこれ、隊長章」

「ははは!好きだ好きだ!大好きだ!よくここまで来たなあ、遠かったろ!そうだ、シャーリーを隊長にしてたんだっけ。そっちの生活は?司令部ってどんなとこだ?」

「僕たち、師団長さんのお世話になってて」

「それでそれで」

「それからねえ、おじいちゃんと一緒に生活して・・・」

「小隊長!敵は逃げます、追いましょう!」


 血糊が固まった銃剣の付いた小銃を抱くように構えハンバートが走ってきた。ジェフは二人を肩に抱くように彼に向くと涙顔のまま笑った。


「ハンバート、追わなくていい。俺たち帰るんだ」

「しかし、戦線の維持が!」

「維持なんてもう必要ない。これからどんどん広げて、ほら見ろ、あの戦車、あいつらが敵を駆逐してくれる!」

「はあ、じゃああの壕は」

「もう引っ越しだよ、それぞれの家へ」


 あれだけ離れたくない陣地だったが、交代部隊が来たとようやく理解すると彼は万歳した。味方が代わって壕に住んでくれるとなると嬉しくて仕方なかった。


「じゃあ下がれるんですね、それに戦いに勝って!」

「そうだ!そうだよな、シャーリー?」

「ええそう。戦闘団は丸々ロント支隊と交代、皆んな帰れるの!」

「やったあ!部下に伝えてきます!」


 ハンバートは「おーい引き上げだぞー!交代だ!」と飛び上がり、交代の分隊と抱き合い合流を喜ぶ小隊に戻っていった。


「さージェフ、あなたの部下を集めて。WDWKで送っていくわ。40人くらいならきっと乗れるでしょ」

「そんなに残っちゃいない。せいぜい十数人だろ」

「辛い戦いだったんだね」

「そうさ、辛かった。でも、それでも残って頑張った甲斐があったよ」


 ジェフは鉄帽と銃を取り、ナイフを借りて銃剣の黒テープを切った。銃剣を鞘に戻すと銃を片手に下げ集まってきた部下に告げた。


「皆んな、激戦ご苦労だった。我々は生き残り、晴れて凱旋できる身となった。陣地を交代部隊に引継ぎ、俺たちは帰る。未練は残すな、皆んなはあの壕を守ったんだ。装備を持ち怪我のない者はこの車に乗れ。負傷者と死者は交代部隊に指示を仰ぐ。以上」

「はい!」

「それからな、脱出したタリー、生きていたぞ。車に乗ってるらしい」

「皆さん!よくご無事で!」

「あっ!タリーだ!あのヤロー生きてやがったな!」


 銃座から手を振るタリーを求め、同じ分隊の生き残りはWDWKによじ登った。シャーリーがジェフの背をつつき、振り向くと煙草とチョコバーを手にしていた。


「どっちがいい?」

「煙草だ」


 箱ごと掴み取ると、ぐしゃぐしゃになっていた自分の煙草を陣地の方へ投げた。死んだ者たちへのはなむけだった。

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