第14話 出立

 師団長はいつもより早めに帰ってきた。通過部隊が挨拶に持ってきてくれたワインを副官に渡して、残った一本を大事そうに抱えて玄関をくぐった。


「ただいま。帰ったよ」


 出迎えがなかった。代わりに給仕の軍属が食堂から出てきて頭を下げた。


「おかえりなさいませ。申し訳ありません、いつもならクエイさんがお出迎えしているので」

「うん、そうだね。二人はどうしたのかな」

「それが、クエイさんが昼に戻ってきたきり、お二人とも部屋に閉じこもってる様子で」

「なんだって?」


 師団長は階上へ上がると、自分の居室から明かりが漏れているのが目に入った。自分以外でこの部屋に入るのはシャーリーくらいのもので、頭を傾げて半開きの扉から顔を覗かせた。


「シャーリー、ここにいるのかい?」


 卓上の電灯だけが点けられ、ソファに二人の影が浮かび上がった。シャーリーの胸には701分隊の隊長章が鈍く光っている。異様な空気が師団長の肌を刺した。


「おじいちゃん、ごめんなさい。私たち行かなきゃ」


 机の上にワインを置いて二人を見ると、シャーリーは怒っているのか悲しんでいるのか見分けのつかない表情だった。チャルは申し訳なさそうに俯いていた。

 師団長は昼間、司令部の作戦室前にシャーリーがいることに気づいていた。ジェフの所属官姓名告げる高らか声も。赴任した増援部隊の作戦参謀が機動歩兵第82大隊を含む433戦闘団救援は後回しにすると説明する中で廊下で部下と揉めていた。その後虚脱した部下が戻ってきて事情を聞くと、シャーリーと言い合いになったと。蒼ざめた彼の表情からもしやジェフが窮地に立たされていることを教えたのではないかと危惧していた。しかし、その危惧がいざ現実として実行性を持ち目の前に現れると、諦めにも似た、シャーリーへの束縛が消えていった。


「行かないでおくれって、私は言いたいんだけどね」

「なんのことかわかるの?今から言おうとしてたけど」

「マックィーン二曹の許へ行きたいんだね。ゴトー上等兵の様子からもしかして話したんじゃないかと思ったよ。しかし、そんな危険な許可はとても出せない」

「やっぱり、ジェフの救援はできないのね」

「そういうことになるかもしれない」

「行かせて、おじいちゃん!」


 シャーリーは拳銃を抜き撃鉄を上げた。涙にむせぶ声で銃口を向けられても、師団長は冷静に椅子に座ると手を組んだ。老眼鏡を掛け、引き出しから出した何枚かの紙片にサインし、地図と共に並べた。


「兵器はロクな物が残っていないだろうが、予備の小銃と手榴弾くらいはある。左から救援に出てるロント支隊の転属命令書、兵器引渡命令書、弾薬引渡命令書、車輌引渡命令書だ。略式だけど。君たちが乗ってきた車もこれで出せるはず。あと、検問の通行證。大隊の所在はこの地図にある通りロント平原。そこまで広いわけじゃないからジェフ君の所在も掴めるだろう」

「ああ、おじいちゃん!」


 シャーリーは撃鉄を戻し師団長の椅子側に回ってひざまづいた。彼は腰に抱きつくシャーリーの髪を撫で、自分の頬を伝う涙を指で弾いた。


「ごめんね、ごめんね・・・」

「謝ることはない。シャーリーとチャル君は勇敢だ。友達を助けておやりなさい。私からも、ジェフ君にはぜひ戻ってもらってやってもらいたいことがある」


 師団長は腰ポケットから鍵を出した。なんの変哲もない古式な鍵だったが、やたらと長くワーカシュト王家の紋章が刻まれていた。手に握らされたシャーリーはしげしげと鍵を見つめた。


「彼の悩みにケリをつけられるかもしれない」

「これは?」

「最後の手段であったのだけどね。王国周囲に防御電子層を張る装置の鍵だ。砲爆撃はもとより、核攻撃にも耐えられる」

「どうして最後の手段だと?」

「この装置が作動すると、王国への出入りはできなくなる。解除方法は万全を期しあえて設けられていない。王国を征服できなければ敵の攻撃は無意味だから戦争も早期に終わるだろう。増援は来たもののこれ以上の出血を国予に強いることはできないし。ジェフ君から王国の近衛警護士に渡してほしい」

「もう二度とあの国に入れなくなるの?」

「それは私にはわからない。全てが終われば解除方法も考案されるが、もしかしたら、永久に出入りはできないのかもしれない」

「中の人々の生活は?王国にいる外の世界の研究員は?」

「自給自足体制は既に整っている。人工的に食糧を作り出せるように。研究員は、あの王国に骨を埋める覚悟の者が大勢残留志願した」

「・・・あとは、ジェフが決着つけるだけね」

「そう。まだ防御層展開の発令まで時間がある、行きなさい」


 付いていた長い紐で鍵を首に掛け胸元にしまいこんだ。鍵を両側から挟む乳房が冷たく、服の上から拳で押さえつけた。一瞬、デイビス家の面々と王家の姿が頭によぎった。


「ねえ、一つお願いしてもいい?」

「なんだい?」

「戦争が終わったら、おじいちゃんのお家に行きたいな。私によく似てるお孫さんと会って話してみたいの。あなたのおじいちゃんは私のおじいちゃんにもなってくれた。だから、姉妹になった挨拶を」

「姉妹か、たしかにね。孫も喜ぶだろう。歓迎するよ。三人でいらっしゃい」

「必ず行くね」


 立ったシャーリーは師団長を抱きしめ頬にキスした。家族との挨拶そのものだった。


「じゃあ、またね。おじいちゃん」

「師団長さん、お世話になりました」


 チャルも固く握手を交わし抱擁した。彼は今になって初めて、まだ存命の自分の祖父と師団長を重ね合わせた。


「これを持っていくといい。昔の戦争から私の御守りだ」


 師団長は腰からピストルベルト外しホルスターを引っ掛けたままシャーリーに渡した。ドロウしてみるとなるほど古びた拳銃で、世界に冠たるガバメントといえばこれを指すくらい有名なコルト社製M1911A1サービスピストル。第二次世界大戦の代物だが、隅々まで丁寧に手入れされていてパーカーライズドのスライド、フレームにはサビひとつない。


「古いがね。充分撃てるはずだ」

「ありがとう。大切に使うわ」


 ピースメーカーのガンベルトを外し代わりにM1911A1のピストルベルトを胴に巻いた。ダブルフックワイヤーによって提げられたホルスターは通常のヒップホルスターより下に位置し、太腿に提がるピースメーカーに慣れたシャーリーには具合がよかった。

 シャーリーはホルスターをパシンと軽く叩き背筋を伸ばした。命令書と地図を図嚢にしまったチャルもぐんと身体を伸ばす。二人はニヤリ笑って敬礼してみせた。


 とても軍装とはいえない、私服にゴチャゴチャと装備をくくりつけた二人に兵器掛の下士官は眉をひそめ、命令書は本物だから管理の兵隊に案内を命じた。まだ少年の彼は二人を兵器庫に案内し照明を点けた。


「うわあガラガラ。機関銃もないのね」

「いい物はみんな先に持ってかれちゃって。補給もあるんですが明日なんです」

「それじゃあ遅いわ」

「ライフルが何挺かあるよ。あれをもらっていこう」

「ああ、あれですか」


 兵器庫内の奥にまばらに立てかけられている小銃があった。「これがいいでしょう」と少年が手に取ったのはまだ他の銃より新しそうなカービンで、伸縮ストックにダットサイト、フレームのマガジン挿入部に構えやすくするためのマグウェルグリップがはめ込まれていた。


「民間の射撃場にあったM4A1カービンで、ハンドガードにレールもなければセレクターも片方だけだけどいい銃です。使い方は?」

「ちょっと前にM16A1の説明は受けたから多分大丈夫」

「M16A1も持っていって構いませんよ。こんな古い銃が国予の主装備だなんて」

「あとなんか、強いのは?」

「そうですね、あ、あれは」


 少年は銃架から離れ角を曲がった。そこには空っぽの棚の下に一つ箱があり、引っ張り出して蓋を開けた。太い銃身を持つ擲弾銃だった。


「これ、ひとつだけ残ってました。中折単発の40mmグレネードランチャーM79です。対人と軽装甲の車輌には効果があります」

「これこれこういうの!」

「これは大きくて重そうだし僕が持つよ」

「ううん、私が持つわ。チャルには運転をお願いしたいの。使い方は?」

「ここのラッチを右に押してブレイクオープン、模擬弾があるな、これをこう挿入して銃身を閉じ、セーフティのスイッチを前に押して引鉄引いたら発射です。撃ったらブレイクオープン、打殻は手で抜き取ってください」

「それだけ?」

「照尺を使うときはこのボタンを押してサイトを立て、横のネジで距離調整してください」

「わかったわ、ありがとう!」


 M79を受け取ったシャーリーは強そうな兵器に嬉しくなり、少年を抱きしめ頬に唇を当てた。急なことに舞い上がった少年は思わず自分の銃も差し出した。


「これも持っていってください!戦死した友達のだけど、取り回しよくて高性能な銃です!」


 初めて見るPDWで、すこぶるコンパクトな本体をそのままバックパックの隙間に差し込んだ。シャーリーは他にお礼がないかとバックパックをまさぐり、手に触れたチョコバー何本かを引き抜いて少年に握らせた。


「これ食べて」

「ありがとうございます!」

「気をつけてね。お友達のことは気の毒だけど、キミは死なないで」


 シャーリーは穏やかに笑ってチャルの手を引き出口へ急いだ。兵器庫の入口まで見送った少年は胸にチョコバー握ったままの手を当てぼうっと二人をいつまでも眺めていた。


「行ったか。何渡したんだ」


 兵器掛下士官が出てきて少年の握るチョコバーを一本取ろうとした。少年はそれを素早く開封すると自分の口にくわえた。


「これは誰にもあげられません!」

「なんだお前。まあいいや」

「M4A1一挺とM16A1二挺、残ってたM79と自分のMP7A1です」

「MP7って、偵察隊にいた戦友のか。後送されてきたけど死んで、それもらったんだろ」

「ジェインも、ちゃんと使ってくれる人に銃が渡った方がいいと思いますから。きっとあの方を守ってくれます」


 少年はチョコバーを噛み砕いた。渡した銃の分重量が消えて軽くなった右脇を撫で、戦地の方を見つめ続けた。

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