第12話 隊長章
最近シャーリーは手持ち無沙汰に暇していた。チャルは逆に忙しく、激務の司令部要員や師団長の身の回りの世話をしていたが、シャーリーは苦手であまり手伝わなかった。時折遠くで砲撃音のする方向を見て、ひっきりなしに飛ぶ戦闘機爆撃機を数えたりした。戦地へ向かうこれら航空隊は、数時間の後幾らか機数を減らして戻ってきていた。
「いち、にい、さん・・・二機減ってる。編隊も組めてないや」
師団長の居室で窓に肘をついて空を見上げていた。一本残っていた煙草をくわえると箱を握り潰してゴミ箱にシュートする。狙いが逸れ、軽い音を立てて床に転がった。
「ふん」
拾わず、そのままにしてライターのポケットに手を突っ込む。ライターを掴んで引き抜くとポケットから小物が落ちた。ジェフの隊長章だった。
「・・・」
乱立する木々の間から木漏れ日を浴び、隊長章は鋭く光った。シャーリーは眩む反射にジトリ徽章を見つめてから、溜息混じりに拾ってポケットに戻した。風が吹き、煙草の煙が屋外に流れて消えた。
「これ角あって痛いんだから、早く取りにきなさいよ」
隊長章が再びふくよかなシャーリーの太腿で温められ始める。本来の持ち主の胸を去って久しく、冷たい銀色にはなかなか温もりが宿らない。
師団長から護衛小隊転属の命令が来た時、小躍りして大隊本部へ走った。だがジェフは出発した後で、やむなく命令書のコピーをその場でとり大隊長に渡した。
いくら待ってもジェフは来なかった。師団司令部で髭面の軍服姿を見かけると何度も近寄って確認したが、彼は一向に現れない。そのうち、ジェフは転属を拒みそのまま大隊指揮下で分隊長になったと大隊の連絡兵から聞かされた。チャルを連れて無理やり戻ろうともしたが、護衛小隊から前線へ出た分隊の補充という名目足抜けは許されなかった。抽出分隊に加わることも。
師団長の命令は半分私情で半分は
ジェフと一緒にいることができないと知ったシャーリーは師団長を激しく面罵した。なぜ自分たちを呼んだのか、卑怯だ、一万もの部下を持つというのに聞いて呆れる、等々。師団長は黙っていたが、初めて祖父のような人を持ったシャーリーは詰るのに疲れてくると段々申し訳なくなった。軍人としては全く不適格な行為だとしても自分を守ろうとしてくれたこの老人がどこか愛しくなり、これが家族愛の盲目なのかと錯覚であることは自覚しつつ彼といることにした。どちらにせよ、ジェフと会うことは容易ではない。彼が危機に陥っているとも今は聞かず、どこで何しているのかという不安は不安としてとりあえず心の奥底に押し込めた。
チャルはシャーリーほど思い詰めてはいなかった。たしかにジェフの安否をシャーリー同様心配していたが、彼女より少し長く一緒にいて戦闘時の彼の壮健さは誰よりも解っていたし、それに司令部で好きな家事ができるということで水を得た魚。
「あんた、ジェフが心配じゃないの」
時折、夜遅く家事を終えて帰ってくるチャルに、毎晩の習慣となった寝酒のウィスキー傾けつつぶっきらぼうに言う。チャルは身支度済ませてベッドに座り、シャーリーも詰め寄るつもりで隣に腰を下ろした。チャルは片目だけ開いた視線を三白眼に睨むシャーリーに向け、わがまま言う子犬をなだめるように広い掌で頭を撫でた。そのうち縫物を始めて、少し前からの彼の習慣。
「大丈夫だよ、ジェフは強いし。生きて帰れる公算がなければ脱走もするっていつか言ってた。それでも無茶するようだったら、僕たちが助けに行けばいいんだよ」
「こんな敵の警戒厳重な中をねえ。転属は無理、WDWKだって取り上げられちゃったし」
「護衛小隊に属してるんだから、しょうがないよ。車も兵器扱いとして申請されたらしいし。でもここでちょっと無茶する分には危険もないし、もしもの時は車を取り返してジェフを助けに行こう」
「穏やかばっかりと思ってたけど、言うこと言うわね、チャル。それなに作ってんの」
「ないしょ」
「ふんだ。たまには私の相手もしてよ」
「それは、ジェフの仕事」
「ふんだ!」
不貞腐れて寝てしまう。こんな荒っぽい態度をとっていても、ドッシリ構えるチャルが側にいると不思議と安心した。しかしケイトとジェフの関係だけは言及しなかった。危険な恋愛の話だけは、チャルを不安にさせるだけなのは目に見えていた。
司令部に出入りする人間が火薬臭さを増し、加えて何人かの増加参謀と思しき佐官が飾緒を揺らして作戦室に入りなかなか出てこなかった。夜遅くになっても帰らない師団長を迎えに司令部へ出向くと、シャーリーと顔見知りの副官がげっそり頬がこけた無精髭塗れの顔でドアを開けた。急に中の喧騒が大きくなる。
「クエイ特務士、作戦参謀たちが揉めてて会議がまだ終わりそうにない。伝令にもそう言って帰りなさい。帰れそうだったらこっちから閣下を送るから」
「終わりそうにないって、もう日を跨いで1時よ?」
「とにかく、あんたたちには関係ない。忙しいんだ、じゃあ」
「あ、そうだ。あんた疲れてるみたいだから、これあげる」
扉が閉められる直前、チョコバーを差し出した。熱で柔らかくなっていたチョコバーを副官は握りしめ、暗く下卑た笑みを浮かべた。
「お相手してくれりゃな、もっと元気になるんだけど」
「バカ!」
ビンタをくれてやると、嬉しそうに頬をさすりながら中に引っ込んだ。女に殴られるのもいいもんだ、と小さく聞こえた。
「ヘンタイ。チョコあげなきゃよかった」
シャーリーはジェフと別れてから
師団長の帰りがどんなに遅くなろうとも、夜中乗用車の音が聞こえ衛兵司令の異常なしの報告が聞こえると飛び起きて迎えに行った。チャルも寝ぼけ眼を擦りつつ師団長の好きな紅茶を淹れついてきてくれた。寝間着の上に一応軍服を羽織り、師団長の図嚢と御守り代わりの拳銃が下げられた弾帯を外してやった。
「おじいちゃんおかえりなさい。疲れたでしょ?」
「ああ、くたくただ。チャル君、いつも紅茶すまないね。チャル君もシャーリーも寝ていてくれていいから」
「ううん、閣下が帰ってきたなら僕もお世話するのが仕事ですから。ふわあ」
「チャル、あくびしないの」
「いいんだ。すぐ寝ることにするよ。チャル君、シャツと下着の洗濯を明日頼めるかい?」
「もちろん」
「いつも助かってるよ。風呂に入る時間もなくて汚い身体だけど、清潔な服を着られて仕事に身が入る」
シャーリーが後ろから上衣を脱がし、チャルは急ぎ居室から洗濯された着替えを持ってきた。師団長は礼を言って着替えを受け取ると寝室に消えた。大きないびきはすぐに聞こえ始めた。
「私たちも寝ましょう。起こして悪かったわね」
「シャーリーがお出迎えして僕が行かないわけにはいかないよ。ひどく疲れてるみたい」
「いくら下着が綺麗でも、風呂にも入らずにいるのは不潔で不健康よ。シャワーくらい浴びてくれるように進言しなきゃ」
「そうだね」
防戦を展開する部隊の長がこうも疲労困憊であるのは嫌な兆候だった。あれほど荒れている作戦室からして、前線の様子は芳しくないに違いなかった。
「ジェフ、綺麗な身なりをしてるといいけど」
チャルがポツンと言った。シャーリーは軽く首肯するだけで一言も発しなかった。
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