第10話 名前

 翌日、崩れかけた防御掩体の修復と偽装を行っていると色をなした斥候がバイクに乗ったまま駆けていった。大隊本部からの伝令が来たのは夕方だった。


「参ったな」


 分隊長以上集合で中隊本部に出向いたジェフが帰ってきた。夕食であるレーションの固いハンバーグにスプーンを突き刺す兵長は温めてあったジェフのレーションを渡した。


「参ったって、分隊長」

「敵はもう反撃してくる」

「こんなに早く?」

「班長、飯食いながらでいいから集合」


 二、三班長の兵長と上等兵が口をもぐもぐさせながら集まった。ジェフはレーションを食べながらスプーンで地図を示した。


「昨晩敵を撃退し後退に追い込んだが、予備隊と交代したらしい、戦車を有する連隊規模の機動部隊が迫っている。到達予想時刻は明朝0900。これから対戦車壕を掘る工兵の護衛をして、今夜半陣地に入る」

「分隊長、部下が疲れてます」

「みんな疲れてるさ。護衛隊は俺が率いる。各班二名ずつ、できるだけ疲れてないやつを選出しろ。なあに、敵はまだいないんだ。護衛してる時にうたた寝すりゃいい」

「分隊長も、疲れてませんか」

「なあに、俺はピンピンしてる。30分後に集合だ。選出して俺の前に出せ」


 護衛の任は確かに楽であった。部下は寝かせ、突然現れた工兵隊の将校にこの隊は怠惰だとジェフが一度張飛ばされただけで済み、それからも分隊員は短い夢を見た。ジェフだけはわざと心を緊張させて起き、警戒を続けた。


「あの少尉、殺したろか」


 帰り道、ジェフは殴るジェスチャーをしながら変な顔をした。分隊員は笑いながらもジェフの軽く腫れた頬に謝った。

 

「申し訳ありません。寝ていたのは我々なのに、分隊長が制裁を受けてしまって」

「いいんだよ、寝ろと命令したのは俺だ。気にするな」

「しかし、分隊長はいつ寝るんですか」

「敵が来るのは朝の9時、配置につくのはその二時間前だから、少しは寝る時間あるだろう」

「少なくてもよくお休みになってください」

「いらん心配するなよ。動くのはお前らなんだから、お前らだけ寝てりゃいいんだ」

「はあ、すみません」

「戻ったら、もう一度銃を点検・・・」

「どうしました?」


 ジェフは止まり、続く分隊員に静かにするよう指を立てた。誰の耳にも聞こえる、敵のいる方角から大部隊の動く音。戦車の音も混じっている。裏をかかれた。


「急いで戻るぞ、駆け足」

「あ、あの音って」

「うるさい、早く戻るぞ!」


 陣地に戻ると、前方で曳光弾が飛び交っていた。分隊より一つ前の線だった。分隊は既に配置を終え、鉄帽を被り双眼鏡で目を凝らすジェフに後退支援の命令が下された。


「もう下がるんですか⁉︎」


 ジェフは無線に向かって叫んだ。無線の向こうは騒々しく、本部の混乱が手に取るようだった。


『戦闘斥候だ、面倒な連中だ。布陣完了前を襲われてる。後退してきたら、二曹の壕で収容しろ』

「そんな、こっちもほとんど余裕ないですよ!」

『残念ながら被害が大きい。後退してくるのは半分以下だろう。では頼んだ』

「ったく・・・前線の味方が後退してくる、その支援をする。一班はあの丘の左右に展開、追ってくる敵を撃退しろ!負傷者がいたら手を貸してやれ」

「分隊長、寝れなくなりましたねえ」

「こら新兵、呑気なことほざいて野戦ズレした気になるな。負傷者も来るはずだ、衛生兵呼んでこい」

「はい!」

「他の者、警戒を続けろ!」


 前線部隊の幾人かが撤退してきた。這々の体で逃げてきた彼らの多くは銃を持っておらず、隣に滑り込んできた将校にジェフは毒づいた。


「ちぇ、銃くらい持ってこいよ」

「なにを貴様下士官のくせして!」

「少尉の隊の方が装備がいいんだ。機関銃でも持ってくりゃいいのに」

「布陣前を急襲されたんだ、そんな暇あっか!無線寄越せ」

「それですよ」


 少尉はボロボロの軍服から垂れ下がるエポレットを引きちぎり無線にかじりついた。一班が負傷者を抱え帰還した。追跡がいないかどうか確認したが追手は来ず、双眼鏡で襲われた陣地を見ると敵も逐次撤退していった。手を挙げた捕虜が連れ去られ、重傷者が始末されるのを目撃した。ジェフは唇を噛み少尉の背中に双眼鏡を投げた。


「砲撃要請!前哨第五陣地、そのまま叩き込め!」

「よしなさい、捕虜がいる」

「なんだと⁉︎」


 少尉は双眼鏡で先まで自分の住処であった陣地を見た。彼は自身の右腕であった先任下士官が二人の敵兵に引きずられていくのを目撃した。不意に冷静となった少尉は落ち着き払って無線を口元に当てた。


「今の砲撃要請取り消し。陣地内に侵入せる敵は捕虜を連れ逃走を図る模様。生存者確認できず。指示を請う」

『捕虜がいるため追撃はするな。別命あるまで待機』

「少尉、煙草は」

「もらおう」

「辿り着いた部下を掌握してください。負傷者を後送します」

「もちろんだ、二曹」


 やむを得ない撤退とはいえ、多くの部下を失い自身は生き残った少尉が哀れに見えた。指揮官は死ぬべきではない。だが部下の生命を預かる身として、下士官兵を置き去りにする葛藤と板挟みとなり苦悶は止まない。

 ジェフはもっと惨めだった。一班が収容した兵隊の中に一人死体がいた。第三分隊第一班の兵隊だった。


「分隊長、戦死一」


 兵長の顔面右半分に血が飛び散っていた。ジェフはてっきり彼の負傷だと思い、これだけの出血で平然と立っていられる兵長が不思議だった。


「お前、怪我したのか」

「自分の血ではありません。戦死のケーン上等兵」

「どこだ」


 ジェフはケーンという名を思い出せなかった。彼は元々人の名前を覚えるのが苦手で、開戦数日経ってなお分隊員全員の名をまだ把握しきれていなかった。鉄帽の頭を叩きながら兵長に着いていくと、後頭部の割れた死体が横たわり仲間がケーンの名を叫んでいた。それ以上近づけなかった。

 

「済まない」


 それだけ言うと死体と負傷者の後送を要請するよう通信兵に告げ、元の配置戻させた。 

 一言だけだったが、「済まない」という言葉で身体中が溢れた。新編で初対面のいきなりできた部下とはいえ、ケーン上等兵はジェフを指揮官と信じ死地に身を投じた。その指揮官は自分の名前すら覚えていなかったのだ。たかだか十名前後の部下の名前を覚えられない、ジェフにとってこれ程情けないことはなかった。


「はああ・・・」


 ジェフは雑嚢の底に手を突っ込み皺のままプレスされていた人員表を取り出した。今一度彼らの名を確認し、これからは名で呼ぼうと決意した。

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