第8話 地下にて

 王国は国始まって以来の騒ぎだった。王国地下は家屋そのものを収容できる退避施設があり、要は地上にあるものは全て地下に。王宮だけは巨大で収容できないのか、無機質な更地にポツンと古城が取り残されていた。騒ぎといっても、住民が暴徒化するわけはなく、皆整然として地下に収まった。店々は閉ざされ閑散としていたが、寧ろ国民は家の屋根よりずっと高い所を支配する施設天井を面白がる節があった。収容翌日には、玄関先に近所こぞってベンチや椅子机を持ち出し天井を眺めて紅茶を楽しんでいた。

 そんな中、この国唯一の公務員ともいえる近衛警護士たちは危険箇所の見回りと人々への食糧配給が主な仕事だった。


「みなさんお昼の配給が届きました。こちらは並んでください!」


 ケイトは、仲間と運んできたパンスープ茹で野菜、おかずの惣菜を並べ手でメガホンを作り周囲の町民に告げた。警護士たちは自分の住む町を任地と定められていて、列を作る人々の中にデイビス夫妻とピート、エミルの姿も見える。


「お姉ちゃん、おつかれさま!」


 ピートが鍋を差し出した。ケイトは自分の家族だからと贔屓せず人数分のスープを定量で流し込んだ。


「ピート、いい子にしてる?みんな元気かな」

「うん、私たちのことは心配いらない。ケイトこそ丈夫に過ごしてるかね」

「私は元気よ。前よりちょっと忙しいけど、毎日陛下が励ましてくれるの。もうがんばっちゃう!」


 王族への感激とともに勢いよく大匙をスープのバケツに突っ込んだ。飛沫が飛び、ピートの髪に白い水玉が付着した。


「もー姉ちゃんたら」

「ごめんごめん、拭いてあげるからね」

「・・・」


 パン籠を抱えたエミルがじっと天井を見つめていることに気づいた。釣られて見上げると、ドーム状に曲げられた長方形のパネルが幾多も連なり、白に近い灰色の空を形成していた。ちょうど曇り空のようだった。


「どうしたのエミル」

「お姉ちゃん、チャルさんたち元気かな」


 エミルは、しばらく会っていない、遊んでくれた大男のことを思い出していた。国民は戦闘前よりここにいるから、外の状況は何も知らなかった。エミルに至っては、チャルの着ている軍服の意味すら知らない。ただ、外から来た人間であるということだけ知っている。

 ケイトの頭の中に忘れられずにいた髭面の男が浮かび上がった。彼もまた、チャルと着るものを同じくしていた。戦争の様子は何もわからない。ジェフがどんな働きをし、またファントム戦闘機が如何に空を駆け巡るのかも。最近はもう泣くこともなくなったが、恋慕が消えたわけではなく恋煩いの奇妙な慣れだった。


「ケイト、どうしたの。後ろ使えちゃってるよ」


 隣でパンを配る仲間が急に考え込むケイトを心配した。彼女はハッとして頭を振ると再び大匙を引き上げた。


「ごめんなんでもないよ。じゃあね、みんな。明日には一度帰るから」


 デイビス家は各々のさよならを言うと次の料理の元へ小走りで向かった。次の家族にスープを配りながら、ケイトは小声で仲間に言った。


「明日の王宮巡邏、私たちだよね」

「そうだよ」

「だよね、うん」


 王宮に登れば、外の様子が少しでもわかるのではないか。不穏な思いつきが脳裏によぎった。

 王宮からもそこに住む人間は全員退去していたが、一応の警備のため警護士たちが日ごとに警備していた。10人の班を二人ずつに分け王宮内を巡回した。ケイトは王宮城壁の西望楼が担当であった

 望楼は爆風防御のためか全ての窓が板で塞がれていた。暗い望楼の中にランプによって二人の長い影が壁に沿って伸びた。望楼を過ぎてから影の一つが片腕を伸ばす。


「ランシャちゃん、ちょっと気になることがあるから、もう一度望楼を見てくる」

「気になること?」


 ケイトは予備のランプに火を移しにかかり頷いた。仲間のランシャは首を傾げて自分の持つランプを開いた。


「どこかおかしなとこあったっけ?一通りちゃんと見たはずだけど」

「勘違いかもしれない。でも一応私見てくる」

「私も行くよ」

「ランシャちゃんは先に戻ってて。すぐ追いつくから」

「そう?じゃあ先に行ってるよ」

 

 手を振って歩き始めたランシャが円を描く通路の向こうに消え、ケイトのランプの丸い灯だけが残った。そのまま数分、静寂だけであることを耳で確認すると踵を返し望楼へと走った。

 ガラスがない石垣が四角に切り取られた窓には取っ手付きの板がはめ込まれているだけだった。ケイトはランプの火を吹き消し手探りで取っ手を探した。取っ手を掴んで引いても板はビクともしなかった。よほど密着するようにはめ込まれたらしい。細い取ってで手を痛め、ケイトは腰から鞘ごとサーベルを外すと取っ手に差し込み力の限り引いた。


「くぅぅぅぅ・・・」


 壁に足を突っ張らせ顔を赤くした。ようやく板は数センチ動き、サーベルを引き抜いてそっと板を外した。板は馬鹿に重く幅が十数センチもあった。重い板を落とすように地面に置くと思いの他大きな音が木霊した。驚きの声を上げかけ口元を押さえた。慌てて周囲を確認したが、誰がやってくる様子もなかった。周りを気にしてビクビクしながら、窓に手をかけ外に少し身を乗り出した。


「・・・え」


 思わず声が漏れた。駐屯地にあれほど整然と並べられていた国予の戦車や車輌がほとんど定位置になく走り回り、撤収されたのか天幕やプレハブの施設もまばらだった。灯火管制でそれらは全て暗い影だった。駐屯地の遥か向こうは森林地帯になっていて、夜だとういうのに夕方のように赤く空が燃えていた。そこがおそらく戦場なのだろう。砲声が小さく耳に震えた。

 群れをなした黒い機影がカラスのように飛んでいた。カラスたちは森林に細長い何かを落とすと、その中の一匹が光り煙を吐いた。カラスはだんだん近づいてくる。飛行場までなんとかやってくると、地上に滑り込み爆発した。何の機体か確信した。F4戦闘機に違いなかった。

 ケイトは知らずに溢れていた涙を拭い板をはめ込み体当たりした。何度か繰り返すと元の位置に戻ったようだった。もう何も見えず何も聞こえない。つい今まで見聞きしていた光景が現実と思えず悪い夢を見た気がした。


「ジェフさんがあの中に、ほんとうに?」


 二本のマッチを折り三本目でやっと着火させるとランプに火を灯した。ケイトは走って集合場所に戻った。

 

「デイビス警護士、大丈夫?」


 整列した一隊にケイトが並ぶと、ただならぬ様子の彼女に上官が心配した。ケイトは呼吸を整えると強張っていることに気づいた顔を揉んだ。


「はい、大丈夫です。遅れて申し訳ありません」

「そう?一度望楼に戻ったそうだけど、異変は」

「異常ありません。私の思い過ごしでした」「了解。これから衛兵勤務を申し送った後本部へ戻り解散。分隊前へ。歩調取れ!」


 指揮官の号令で地下退避所への道を歩き出した。王宮内に連絡通路が設けられているから外の様子を再び見ることはない。ケイトは冷汗収まらず二列縦隊の横に並ぶランシャに耳打ちされた。


「ケイトほんとに大丈夫?顔色悪いよ」

「大丈夫。久しぶりに走ったから疲れたみたい」

「下番したらお休みもらえるから。よく休んで」

「うん、ありがとう」


 無理に作った笑顔は引きつっていた。ランシャは、疲れのための汗だろうとしか思わなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る