第7話 開戦

 すっかりおじいちゃん子になったシャーリーの事情は知らず、暇さえあればどこかに出向いているのをジェフは何も言わなかった。朝方帰ってきてから努めて優しく謝ると「俺も、悪かったよ」と返すだけで素っ気なかった。

 ジェフは急に忙しくなっていた。いよいよ敵が近くなってきたというのだ。決まらぬ戦闘序列の会議に連日出席を求められ、三人だけならどうとでもなるからと言っても臨時編入された機動歩兵第82大隊の副官から一応来てくれと頼まれる。会議中は、勝手にしろと煙草片手にずっと弾薬申請や整備機材の員数表を作成していた。時折意見を求められるが、その度に「我々は遊撃隊です。どこだって構ない、車に乗ってどこでも行きますよ」とだけ言ってあとは黙っていた。

 敵は、陸島連合に叛旗を翻す新秩序革命軍を名乗る輩で、救世を騙るこの連中は連合にとって悩みの種だった。装備は劣るがジェフたちも人のことは言えず兎角数が多い。いったいどんな了見でワーカシュトを攻めるのか見当もつかなかったが、研究施設の情報は高く売れるし、またこの国には資源食糧を始めとする特殊で有益な情報が秘匿されているとか。本当のことは誰も知らない。だが世界にとって最重要の事物が収められているのは確かそうだった。

 あの抱擁以来、ジェフとケイトは会っていない。ケイトはケイトで有事の際国民の避難誘導や緊急時国予の後方支援も行うことになりその打ち合わせで忙しいというのもあったが、ただ、お互い再会してはいけない気がした。忙しいのが救いで、その時は思考が停止されているのだが、ふと一息ついて余裕が持てると、知らずに募っている想いがあまりにも重苦しくのしかかった。救われるわけではないけれど、一人で身を慰める術を知るジェフはまだマシかもしれない。何も知らない純情可憐な乙女であるというだけのケイトはなおさら悲惨だった。枕と毛布を抱きしめ身体に押し付けていると、謎の感覚で僅かに安らいだ。涙とは気づかず妙な寝具衣類の染みに母は首を傾げたが、それだけだった。


 ようやく戦闘序列が決まり、701分隊は大隊本部付予備隊となった。ジェフがどうでもいいと繰り返していた通りどうでもいい配置になり、つまり斥候の代わりや段列に属し補給の手伝い、負傷者捕虜後送が任務だった。それぞれ正規に任務を負う隊はちゃんとある。よく言えば何にでも出せる便利屋だが、実際、不遜な古参下士官を長とする風変わりなこの分隊を持て余し気味だった。それでも人手はいくらでも欲しく、どのような時に出動させるかは取り決められていた。不遜でもジェフの戦闘経験や、分隊の功績は認められていたのかもしれない。

 降伏勧告に行った軍使が戦死した。戦闘は確実となり臨戦体制が命じられ、一応の配置につくこととなった。配置といっても決まった陣地がないから布陣はせず、大隊本部付近の資材集積所にWDWKを移動させただけだった。王国に入ることもなくなったので、借りた乗用車は返納された。返納場所は工廠で、急遽防弾装備が施されるという。ジェフは車から降りるとケイトとの隔絶を感じた。

 徒歩で帰る途中ジェフを見つけた偵察中隊の隊長が小走りに駆け寄ってきた。彼の方が上官であるのに、先に敬礼されたのには弱った。事情を聞くと、斥候に出る下士官が急病を起こし代わりに誰か寄こしてほしいと言う。断ろうと思ったが、下級者にも敬語で丁寧な態度だったので突っ返せれなかった。

 帰ると、シャーリーが例の軍刀をくれた将校に入れ知恵されたのか気取って懐紙を口にくわえ梵天で打ち粉を刀身に当てていた。彼女とはあのことがあってからロクに会話もしていなかったが、ごきげんそうに刀を手入れしている姿に苦笑した。シャーリーは車に入ってきたジェフに今更気づいたが、僅かに口角が上がり口元に軽く握った手を当てる様子に安心し微笑みかけた。ギクシャクしたわだかまりがようやく解けたのだと。ちょうどチャルが作った夕飯を運んできて、ジェフは二人に告げた。


「偵察から急病が出たというんで誰か欲しいとよ。俺行ってくる」


 そのまま装備を取りに二階へ上がると、慌てて刀を納めシャーリーが付いてきた。チャルも料理の乗った盆を落とさないようにしながら上がってきた。ジェフはいつもの機関短銃ではなく、たまにしか使わない中口径自動小銃アサルトライフルを取り弾倉の箱を引きずり出した。弾倉はどこでも見る5.56mm小銃弾用だったが、側面に残弾カウントの穴が空いている。初めて持った時は、銃共々シャーリーの軍刀と同じく苦い記憶を思い出したものだった。実は普段使いの拳銃も、苦々しく目に映る刻印が刻まれているのだが。大隊本部から貰った弾薬を装弾クリップを用いて弾倉に挿入していく。シャーリーは立ち尽くして、マガジンフォロワーを押し下げ送り込まれる実包を見つめていた。


「偵察って、ジェフ一人で?」

「そうさ、よほど急いでるらしい。中隊長自らが頼みに来たよ」

「もう敵は来てるのよ⁉︎この前軍使が護衛隊もろとも殺されたじゃない!」

「そうらしいな。本部の戦闘詳報で見たよ」

「行かないで!」

「いやに優しいじゃんか」

「そうよ、せっかく仲直りできたのに」

「仲直り?」

「つい今さっき、笑ってくれたじゃん」

 

 困り顔のシャーリーがおかしくてまた笑った。ジェフは彼女の頭を撫でてやった。


「最近しゃべんなかったからな。心配させた。別に、もういいよ」

「おじいちゃん・・・あの師団長とひょんなことから縁を持って、色々相談したの。それで、どうしてもまたジェフと仲良くならなきゃって」

「閣下と?どんな縁なんだいったい」

「それは、ほんとにちょっと変なんだけど。ケイトのことも話した。あの人は、部下や憲兵に報告しないって約束してくれた」

「・・・」

「ジェフとケイトの関係について色々教えてくれたわ。だから、それを!」


 ジェフはニヤリと人差し指を立てシャーリーの唇に当てた。彼女の心は風が吹き抜けるように広がり、不意なときめきが言葉を詰まらせた。ジェフは至って穏やかだった。


「全部終わったらだ。今はそっと俺だけで考えさせてくれ」

「全部終わったら?」

「うん。その時までには俺も答えを出す。そしたら、それが正しいことなのかどうか、師団長の意見を交えて考えてみてくれ」


 果たしてジェフの答えを聞ける場所にいるのか、それは不安だった。全てが終わった後、シャーリーとチャルの側に彼がいてくれるのか、「答え」という言葉はどちらにでも捉えられた。もし側から消えれば、それがそのまま答えになるはずだったから。


「ねえ、わがまま言っていい?」

「なに?」

「ジェフの答え、私の望むものにしてね」


 ジェフはなにも言わず、シャーリーと後ろで震えながらもじっと聞いていたチャルの肩を抱き階下へ降りた。彼は軍装のまま椅子に座り、チャルの料理を受け取って置いた。


「飯くらい食ってくよ。みんなで食べような」

「・・・うん」

「泣くなよチャル。ちょっとしたことだ、ちょっとした」


 涙ぐむチャルの背中をさすってやると、逆にもっと涙が出てきて、キュッと強く閉じた瞼の端がみるみるうちに濡れた。ジェフは横でかがみこんでいたシャーリーも一緒に抱き寄せた。


「また後で会おう」


 ジェフはベッドの毛布の隙間に、外しておいた隊長章をポケットから出し気づかれないように入れた。おそらく、このまま戦闘になると予想していた。その時は、師団長に頼んだっていい、WDWKごと二人を後方に下げる気でいた。またここでも隔絶があり、車内から天に向け自分の魂が立ち昇り消えていくのを感じた。

 とんでもない嘘つきだな、俺は。と、口元歪めて二人を抱く腕の力を強めた。


 偵察車は、よくもまあまだ残っていたもんだと呆れを通り越して感心してしまうような前世代のジープだった。生産は20年以上前に終わっているはずだった。周囲をぐるりと見て回っていると運転席から車の主が降りてきた。どう見ても成人前の少年で、成長を見込んで支給されたのか大きな軍服の裾をたくし上げ敬礼した。上げた裾はすぐにずり落ちた。


「ジェイン一等兵です。お世話になります」

「701分隊のマックィーン二曹だ。君と俺の二人だな」

「はい!よろしくお願いします!」

「しゃちこばるな。楽に行こうぜ」

「は、はい!」


 ジェインは肩を叩かれると緊張した肩を張ったまま再び偵察車に乗り込んだ。ジェフは発進してから煙草を出し一本くわえた。


「ジェイン一等兵、煙草いいか」

「か、構いません」

「君もどうだ?」

「いえ、僕まだ未成年で」

「そうだろうな。どっかで聞いたようなセリフだ」


 煙を外に吹いたつもりだったが、いくらかは車内に入り込みジェインはそれを避けているようだった。ジェフは悪い気がしてその一本だけで止めた。


「異常なしです」

「確認する」


 夕暮れ時の荒野は双眼鏡を通すとより暗く見えた。視界の端に見える森林にも動きはなく、枝一つ揺れない。仕事はこれで終わりだった。


「平和だな。戦争なんてどこでやってるのか」

「これから始まるそうです。軍使がやられました」

「知ってるよ。まあもっとも、こんな方面から攻めても仕方ないだろうが」

「でも、始まるんですよね」


 始まるんですよねばかり繰り返すジェインは背を丸く固まっていた。緊張の様相は初戦の自分と重なり哀れより懐かしく見えた。


「君は戦闘は初めてか」

「はい、教導隊を先月出ました」

「力抜けよ。でも、ちゃんと教わること教わって出たなら安心だ」

「そういうものですか?」

「ああ。俺は教育途中でいくさに出された。何ヶ月も教導隊にいなかったんじゃないかな」

「そんなことが?」

「ひどく損耗率の激しい戦争があったのさ。後方にいたはずが、いきなり敵に来られて狼狽した」


 ジェインはいきなり身を起こしてジェフを見た。今の言葉は安全地帯であっても突然戦闘が始まることを意味していた。ジェインの怯えに唇を噛み、自らにへりくだった評価を与えて安心させようとする。


「教育が終わってりゃなんとかなったんだな。初めて戦闘に参加しても、教導隊をちゃんと出た連中は上手く立ち回って活躍したよ。もちろん被害もほとんどない」


 半分本当で半分嘘だった。教導隊を出た兵士たちでも、被害は相当なものであることに違いはなかった。ただ、教導隊はずば抜けて損害が大きかったというだけで。ジェインはほんの少し人心地がついたのか、無理やり笑おうと歪んだ顔を作った。


「そうですか、教育ですか」

「助かる方法は教わっとくものだ。君はまだ実感ないかもしれないが、身についてるはずだ。戦闘になっても、不思議と勝手に自分が自分を助けてくれる」

「そうありたいものです。マックィーンさん、いえ、マックィーン二曹のようなベテランがそう言ってくれると安心します」

「さん、でいいよ。二曹と呼ばれることはほとんどないんだ」

「でも分隊長なんでしょう?」

「友達同士で仕事してるようなもんだよ、歳の近い三人だけだし。そりゃほとんどの場合俺が指揮を執るが、俺は部下という気で接してない」

「そんな軍隊もあるんですねえ。僕はずっと小隊で生活してるから、想像もつかないです」

「ま、俺たちがおかしいんだろうな」

「いえ、羨ましいですよ」


 一旦戦闘のことは頭を離れたのか、ジェインは自然のまま微笑んだ。動揺が止んだと見えてジェフも得意で、羨ましいと言われたのは初めてでくすぐったいような思いだった。


「そろそろもういいだろう。帰ろうか」

「はい!本部に連絡します!」


 ジェインは荷台に積んである野戦携帯無線機で本部を呼び出し始めた。やたら長く伸ばされた細いアンテナが大振りに揺れる。黒いメトロノームを見つめながら車外に降り、帰還前の一服と煙草に火を点けた。

 聴き慣れない轟音と共に地面が揺れた。まず地震かと疑ったが揺れの持続はなく、偵察車の横百数メートルを土煙が上がっていた。飛翔音はないから砲爆撃ではない。地雷にしても、人員殺傷用のパチンコ玉は飛んでこないし、全然見当違いの位置だから対車輌用でもなかった。ジェフは火を点けたばかりの煙草を捨て靴底で踏み消した。


「なんです今の⁉︎」


 無線機をぬいぐるみのように抱えてジェインが飛び降りてきた。ジェフは彼の口を手で抑え、小銃を釣る三点スリングのロックを解除した。


「わからん。銃を外せ」


 外せ、といってもジェインの銃はPDWという機関短銃より小型だが強力な自動火器で、一点スリングでぶら下げられているだけだった。ジェインは銃を構えると震える手で薬室を点検した。ジェフはいつでも撃てるようにセレクターに指を添え一歩前に出た。


「マックィーンさん、双眼鏡!」


 ジェインが双眼鏡を投げ渡した。ジェフは早くなった呼吸を抑えレンズ越しに土煙を凝視した。風が吹き、ジェフの髭をなびかせ煙が晴れるのは同時だった。黒い人影が幾人も地面から飛び出し展開していた。鉄帽を被っていないのにもかかわらず長い棒を銃のように構えていた。敵であるとようやく判別できた。


「乗車!すぐ発進させろ、クソッタレ、坑道戦術なんて古臭え手使いやがって!」

「なんなんです!」

「敵だ!トンネル掘って地面から来た!」


 ジェインは蒼ざめて運転席に滑り込んだ。抱えたままの無線機で通信しようとするから、ジェフが引ったくって送信スイッチを押した。


「お前は早く発進させろ!こちら偵察7、331-265地点において敵約一個中隊展開、坑道だ!」


 エンジンはなかなかかからなかった。偵察車を発見した敵はすぐさま向かってきて銃撃加えた。ジェフは銃を構え安全を解除し引鉄を握った。調整は済んでいたし銃そのものの命中精度はよく、数人の敵はつんのめって倒れた。


「早くしろって!」

「かかんないんです!ええこのポンコツ!」


 ジェインはエンジンキーの横っ面を蹴飛ばした。するとエンジンは急な唸りを上げ排気管を温めた。ジェフは単発で撃っていたのを連射に切り替え、顔が見えるくらい近くなった敵に制圧射撃で弾をバラ撒いた。最後、手榴弾のオマケ付き。


「逃げ切れ逃げ切れ!フルスピード!」

「は、はい」


 助手席に戻ったジェフは無線機を手に取った。カバーの側面に触れると粘り付く感触、掌を見るとベージュの手袋に血の紅がべったり移っていた。驚いてジェインを見るとまったく白い顔で、切らせる息も小さくなりがちだった。全体重を頭と腕と右脚に振り分けハンドルとアクセルを目一杯抑え込んでいた。背もたれの数点が裂け身体と直線で繋げると背中だった。


「おい背中をやられたな⁉︎」

「はい・・・」

「クソ、衛生材料は何かないか。運転は?」

「やれます、このまま。傷は深いですか、浅いですか?不思議と痛くなくて」

「浅いさ。傷口見ると.22口径で大した弾じゃない、安っぽい弾薬だ」

「そうですか、なら大丈夫ですね、がんばります」


 嘘であった。ジェインは未だ必死になって衛生材料を探すジェフに気づいていない。弾はもっと大口径かつ強力な物が命中したと見え、軍服の紅い溜まりを広げ続けていた。下手したら致命傷になりかねない傷。未舗装路の振動が恨めしく、不敵に笑おうとするジェインに心は急かされた。結局荷台の片隅に放置されていた個人携行の救急バッグが一つあるだけで、銃創から無理やり軍服を裂き止血ガーゼを突っ込んだ。

 ブレーキを踏む力は残されていなかった。味方の歩哨線が見えるとそのまま突っ込み、アクセルを緩めたエンジンブレーキだけでは暴走は抑えられなかった。歩哨小屋に激突すると少し前慌ててシートベルトをしていたので双方放り出されずに済んだ。ハンドルに突っ伏したジェインの身体がクランクションを押し続け、その音に兵隊たちが各々の銃を射撃姿勢で駆けつけた。


「敵か⁉︎」

「違う、斥候だ!」


 気絶しかけたジェフはなんとか気を取り直すと横に倒れかけるジェインを抑え叫んだ。


「衛生兵!偵察7のジェイン一等兵胸部貫通銃創だ!」


 衛生隊がぞろぞろやってきてジェインを運び出した。ジェフにも衛生兵が付き添おうと身体を調べ始めたが断り、先程の救急バッグから小さなガーゼを引き抜き剥き出しの皮膚に幾らかできた切り傷を拭いた。


「二曹、君は無事か?」


 声をかけられると後ろに軍医と偵察隊長が立っていた。ジェフは激しく縦に頭を振るとポケットから煙草を出したが、残り少ない中身はぐちゃぐちゃに潰れ細かい煙草葉が溢れて散った。投げ捨てると、中隊長がおそるおそる新しい煙草の箱を差し出し、軽く頭を下げ一本取り出した。


「私は平気です。切り傷が首と額に少しできただけ。大隊本部へ報告に行きます」

「後でもいいから、衛生隊に来たまえ。一応の検査をする」

「ふん、暇があったらな」


 無礼な口から煙を吐きその場を後にした。軍医は仕事上当然のこととはいえ親切な言葉をかけたのにと、不快感露わにして衛生隊を追った。大隊本部までの道を中隊長がついてくる。


「マックィーン二曹、申し訳ありません」

「はあ?」


 彼はジェフの隣に並ぶと苦悶の表情で怯えていた。労をねぎらうならともかく、謝罪される謂れはない。聞きもしないのに中隊長は続けた。


「突然の申し出を引き受けてくださった他隊の方なのに、こんなことになってしまい申し訳ありません」


 ジェフは、この中隊長も戦闘が初めてであると直感した。それも士官育成の将校学校を出たばかりであると。人が良い善人なのであろう、自分の部下より借り物のジェフの方を気にしていた。


「作戦中のことですよ、気にしないでください。なにも敵襲があったのは中隊長の責任ではありません」

「しかし、怪我させてしまった。申し訳なくて」

「大した傷じゃない、ピンピンしてる。あんた人が良いね、悪いことじゃない。でも、自分のせいじゃないことにあんまり謝んなさんな」

「でも・・・」

「さあ部下のとこへ行った行った。おっと、失礼しました。まず貴官あなたに報告申し上げねば」


こんな荒くれの軍隊、あんたの優しさじゃもったいないぜ


 続けようとして、それはあまりにも他人に踏み込んだ出過ぎた真似だと慎んだ。

 偵察中隊長に報告すると彼は先に本部へ走って行った。伝えることは正確に伝えたし、自分がわざわざ出頭することはなかろうと衛生隊に寄った。身体に異常がないかどうか調べられ、傷の出血も止まっているから休養だけ申し渡され足早に衛生隊の天幕を出た。すると、外では本部伝令が待っており、大隊長の呼び出しを告げた。


「マックィーン二曹参りました」


 忙しそうに副官や諸隊長と作戦会議をしている大隊長はマックィーンを一瞥すると紙片を渡して話し合いに戻った。怪訝な顔で紙片を開くと、なんと転属の命令書だった。強襲遊動第701分隊師団司令部護衛小隊附を命ずと。青天の霹靂で、将校を押しのけ大隊長の前に命令書を叩きつけた。


「どういうことですこれ!」

「二曹、作戦会議中だ、用が済んだら出てけ!」

「うるせえ!こちとら用があるんだすっこんでろ!」

「貴様!下士官のくせして将校に楯突くか!」

「アホ、くだらん階級章チラつかすな!」

「双方そこまで。マックィーン二曹、君がいくら精鋭とはいえ口が過ぎるぞ。謝罪しなさい」

「・・・すみませんでした」

「命令は、その通りだ。理由はわからんが司令部から伝令が来た。君以外の二人は先に出発している。二曹も早く荷物をまとめて出頭せよ」

「人手が足りないんじゃないんですか」

「そう言ったが、師団長の名指しだそうだ。どうしようもできん」

「お断りします」


 大隊長は驚いてジェフを見た。他の将校も不思議な物を見るかの如く鉄帽から戦闘靴の爪先まで見回した。ジェフは背筋を伸ばし踵を鳴らした。


「隊長章は置いてきました。現在は、クエイ特務士に分隊長を委任しました。私はここ以外行く場所はありません」

「なぜだ?後方へ下がれるというのに」

「結構です。前線へ置いてください、なんだっていい、一般隊員でもなんでも」


 帰れるわけがないじゃないか、心の中で反芻させる。自分より経験浅い兵士が命を懸けて任務を果たしたのだ。たとえシャーリーとチャルが安全地帯で待っていてそこへ行けるとしても、望まなかった。シャーリーとチャル、ケイトのために、戦わねば。はっきりした目的と意志があった。だからといって、暗い覚悟はせずにしておいた。ワーカシュトを守り抜き、かつ自分も生き抜くこと。これがケイトへの恋の総決算と答えを出した。


「下がりません、絶対に」

「・・・わかった。斥候からの情報により敵の兵力配置が掴めた。大隊を再編成する。分隊長の職で構わんな?」

「結構です」

「二曹、君の決意を歓迎する。この件は私から司令部に報告しておく。命令は追って伝える、それまで休養を取れ」

「はい、マックィーン二曹帰ります!」

「諸君ら将校も、二曹を見習うんだな」


 ジェフの態度に圧倒された将校たちは大隊長にたしなめられた。彼は伝令を呼ぶと、クエイ特務士分隊長委任の照会とマックィーン二曹を歩兵分隊長として任命する旨を通信隊に伝えに行かせた。

 ジェフはガスマスク使用を想定し髭を切り剃り落とした。まだこんなに若い顔してたのかと目を丸くする。普段から手入れして気まぐれに全て剃り落とすことはあったが、このような形でトレードマークを変えてしまうのは一抹の寂しさがあった。でも自分で決めたこと、と朗らかに笑ってみせる。切った髭を外に出ると風が吹き、どこかへ飛ばされて行った。心なしか王国と師団司令部の方向であるような気がした。風に乗って砲声が耳に入った。伝令が来て、再び大隊長に呼ばれた。


  元々が新編の部隊であったからか隊員に戦闘未経験者が多く、過剰に怯えたりまだ感じぬ戦闘への情熱を息巻いたりと様々だった。小銃分隊にあるはずの軽機関銃や擲弾銃グレネードランチャーは渡らず、仕方なしに、小銃の全自動射撃専門の指定銃手にした。アサルトライフルという銃種が生まれた頃、分隊支援火器をも更新すると考えられて編み出された方法である。また射程としては大幅に劣るが、手榴弾投擲に専念する力持ちの兵を指名した。十名前後であるからWDWKにも乗れたのだが、これはシャーリーたちが転属の際持っていってしまった。最も防御戦闘が主となるはずなので、車があったところで必要なのかどうかは疑問である。

 シャーリーたちはどうしているのか。出動の命が下った時聞いてみると、大隊長は笑った。


「揉めたらしいね、君が来ないと知って。転属も願い出たそうだが、護衛小隊の一部が補助憲兵として転出したから、その補填が必要で許されなかった」

「そうですか、よかった」

「君は、部下たちといた方がいいかね」

「クエイとペックは部下というより友達です。友達は安全なとこにいた方がいい。今はあの分隊が部下です」

「馴染めたようでなによりだ。それから701分隊は、護衛というより召使いとしての任務が与えられているらしい」

「召使ィ?」


 ジェフは無くなったはずの髭を癖で撫でた。「あ、無えんだった」うそぶくと煙草をくわえ火を点けた。


「どういうことです召使いって」

「さあ、二人ともずっと師団長の側についてなにかしら仕事をしてるそうだ。閣下の洗濯物を、701の大男が干していたのを連絡将校がみかけた。丁寧にピッシリと干していたらしい」

「チャルだな。シャーリー、女の方は?」

「仲良く談笑していたと聞いた」

「なーにやってんのかなあいつら」


 まさか、愛妻家として知られたあの老人の情婦になっているとは考えにくかったが、師団長をおじいちゃんと呼びかけたシャーリーを覚えている。彼女らの関係は目下のところ不明だが、二人とも元気に暮らしているならそれでよろしい。

 ケイトのことは、流石に何もわからなかった。

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