第5話 苛立ち

 夕暮れになるとデイビス一家やシャーリーとチャルには会わず互いに戻るべき場所に帰った。検問の憲兵は大量に城外へ出る国予兵士の確認に忙しく、身分証見せると何も追及しなかった。やはり強襲701分隊の昨晩の不退出は把握されていないようだった。

 着替えもせずベッドに寝転がり煙草をくわえるジェフはしきりに指の匂いを嗅いでいた。ヤニ臭さに混じってかすかなケイトの香りが残っている気がした。


「帰ってたの、ジェフ」


 苛立つシャーリーの声だった。彼女は車に入るやいなや、無視するジェフから煙草を取り上げ自分で喫い始めた。シャーリーが脱いだ軍服をハンガーに掛けようとするチャルから上衣をひったくり、腰ポケットから彼女の煙草を抜くとくわえて火を点けた。


「私の煙草喫わないでよ!」

「馬鹿かお前。俺が喫ってる途中のを横取りしたくせして」

「うるさい!」


 シャーリーは声を張り上げまだ半分以上残っている煙草を灰皿に擦り付けた。彼女の怒りにチャルはオロオロし服の整理を続けた。ジェフは、ふん、と鼻で笑うとまなこ吊り上げたシャーリーの顔に煙を吹きかけた。


「なにイライラしてんだ。アノ日か?」

「馬鹿じゃないの」

「じゃあなんだよ」


 シャーリーはそっぽ向き灰皿に突き立てられた吸殻を指で弾いた。飛び出した吸殻が机の下に落ちジェフが拾った。フィルターに薄く写ったリップの跡をじっと見つめた。


「どこで抱いてたのよ。あの


 ジェフは吸殻を灰皿に戻しシャーリーを睨んだ。睨み返されると眼下の彼女を見下し頭を拳で軽く小突いた。返礼はビンタだった。


「シャーリー!いけない!」


 ジェフに摑みかかるシャーリーをチャルが慌てて取り押さえた。ジェフは急に腫れ上がる頬をさすり「おおこわ」と馬鹿にしたように吐き捨てた。


「この色情魔!違う世界の女の子にも手を出して、どうなるかわかってんの⁉︎」

「聞けよ、俺は手ェ出してない。お前とは違うからな。違う世界?承知だよ。承知だから悩んでんじゃねえか。お前には理解できやしない。偏見と性欲しかないお前にはな!」

「なにが承知よ!今自分で言ったようなものじゃない、気があるって!あの子の不幸を何も考えないで!私はあのディストピアへの偏見まみれで結構よ。少なくとも、ジェフみたいに誰かを不幸にはしないわ」


 真を突かれてジェフは黙った。ケイトに恋し、彼女の幸福を顧みず手放せない身勝手さを白状したも同じだった。シャーリーの方が、偏見は持つとはいえよっぽどあの世界を理解していた。彼女は王妃やデイビス家の親切と善良に感謝しつつも深く関わり考えることを避けていたのだった。

 酷い火傷だった。しかもこれほどまで複雑に焼き付けられた傷は初めてだった。誰かの悪意からではなく真に幸のため裂かれなければならない二人は、世界に対する反抗の正当性を持ち得なかった。


「惨めな両想いね。見てて気づいたわ」


 打ちひしがれるジェフはベッドに座り、シャーリーが私服に着替えるのを呆然と眺めていた。


「どこ行くんだ。アーニャに言いに行くのか」

「自分で解決しなよ。アーちゃんの手を煩わせないで」

「告発しろよ。そうしないと、ケイトを連れて逃げちゃうかもしれんぜ」

「その時はジェフを殺すわ」


 腰のホルスターに手を添えた。そのまま車外に出たシャーリーをチャルは追いかけ、彼は強く腕を掴み引き戻そうとした。


「痛い!放してよ!」

「シャーリー怒るよ、僕ほんとに怒るよ!ジェフにあんなこと言って、殺すだなんて!」

「だって!あのままじゃジェフがどこかに行っちゃう!」


 シャーリーはチャルに抱きついた。号泣する彼女の涙はチャルのシャツに染みを作った。チャルは語気荒く迫ったことを後悔し強く抱きしめ返すと頬を涙が伝った。

 シャーリーが言わんとすることはわかっていた。チャルも全く同じ気持ちで、だからこそ慰め合えなかった。


「チャルだってそうでしょ?日頃ふざけあって、笑って、怒って、泣いて、喜んで、互いに信頼して戦って。大好きよ、ジェフもチャルも・・・」

「僕だって・・・」

「ただ誰かに恋したのなら、それでもよかったかもしれない。だけど相手は私たちと同じ人間じゃないもの。離れ離れにならなきゃ幸せになれないもの」

「受け入れてあげられない幸せなんだ。いなくなるなんて耐えられない。僕は深く恋したことがないからかもしれないけど、ジェフが本気でケイトちゃんを好きなら、どうしていいかわからないよ」


 チャルも涙を流しシャーリーを強く抱きしめた。心のどこか穴が空きかけ、それは二人の中でジェフの居場所。崩れていくジェフはケイトと寄り添い暗く悲しんでいた。


「僕だって、ジェフとシャーリーが大好きだよ」


 二人の話はジェフにも聞こえていた。彼は出入り口に背を向け丸まり、目を見開いたまま泣いた。


 ケイトも同じように枕を濡らしていた。別れる時、次第に小さくなるOD色の広い背中が脳裏から離れなかった。

 ベッドから立ち上がってF4戦闘機の冊子をぐしゃぐしゃに痛めつけた。だが縦に裂こうと掴んだ掌に力が入らず、だらんとその場に取り落とした。

 心の中にできかけているジェフの居場所、脆すぎて、初めての心には抱えきれなかった。

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