第4話 禁忌
改めて自己紹介を終え用意された朝食を、チャルとすっかり復活したシャーリーが慌ててパクついていた。ジェフは落ち着いた様子でベーコンをゆっくりナイフで切っていた。細君は苦笑いで紅茶のポットを取り替えた。
「そんなに急がなくても。ゆっくりしていってくださいな」
「いやあでも、知らずと昨晩は遅くに転がりこんじゃったみたいで。それに朝にお風呂まで。これ以上ご迷惑かけるわけには」
「記憶、ないんだね」
「呆れた。よく礼を言いな」
「ジェフ、あんたなんでモタモタしてんの。とっとと行くわよ」
シャーリーの文句に首を振る。二人は否定の意味がわからなかった。
「帰るんなら先に帰れ。俺今日もここにいる」
「え⁉︎」
喉につかえたパンを紅茶で無理やり流し込む。ジェフはデイビス家を見渡すと彼らはにこり頬を緩めた。ケイトの妹と弟が席を立ってジェフの両脇にくっついた。
「ジェフさん!ぼくたち街を案内するよ!」
「それわたしの役!」
「はは、みんなにお願いするよ」
「いつのまにか懐いたね」
「ほんと、なんでこんな男に懐くのかしら。じゃなくて、ここにいるってどういうことよ!」
兄妹はシャーリーとチャルにも同じくくっついた。チャルは子ども好きで抱きつく彼らを抱擁し、シャーリーも困ったように笑って頭を撫でた。
「憲兵来るわよ」
「大丈夫、さっき定期巡邏に来たけどご主人がうまく言ってくれた」
「そうじゃなくて!」
「まあまあ、シャーリーさん。ここはいい街ですよ。私たちが案内します。きっと気に入りますよ」
パイプをくわえた主人がシャーリーの煙草に火を点けてやった。彼女は礼を言い煙を吐きつつデイビス家の申し出を断ろうとしたが、子どもたちを軽々と両腕に持ち上げるチャルに遮られた。
「すっごーい!力持ち!」
「今日はたくさん遊んで!」
「うん!ピートくんエミルちゃん。シャーリー、皆さんの言う通り街を見ようよ。昨日も回ったけどまだ見足りないよ」
「チャルまでえ」
「シャーリーさん、ぼくたち嫌い?」
「そんなことはないけど・・・」
ピートのねだるような声には勝てなかった。
シャーリーは王族や個々としてこの家族は気に入っていたが、やはり国民そのものとなると世界の違和感が強かった。そしてやたら朗らかなジェフがなんだか気に入らない。
「決まりだな。チャルはともかく、シャーリーはどうする?」
「私は・・・」
「行きましょうよシャーリーさん。それに、ケイトは仕事で皆さんたちにご厄介になるそうで、そのためにもジェフさんたちについていたいって聞きませんの」
シャーリーは食卓の隅で葡萄をちぎる少女を見やった。彼女はそれに気づくとバツの悪そうに小さな実を口に運んだ。ケイトが時折ジェフに視線を注ぐのを見逃さなかった。しかめた眉をわざとらしく上げ、両手を膝に揃えた。
「そうですね、そうしましょう。私も王宮のことなどケイトさんから聞きたいですし」
喜ぶ家族、ケイトは急ぎ部屋に戻り近衛警護士の服装に身を固めて出てきた。王宮で見た近衛兵の服より地味ではあったが、黒いピスヘルメットのような軍帽に王家の紋章、紺サージの上衣には金糸で縁取られたエポレット、腰の銀鞘サーベル吊るす刀帯と脛を締め上げる白ゲートルが細身の良いスタイルを強調した。ジェフは微笑んで軍装を褒めた。
「似合うよ、ケイトちゃん」
残りの家族が身支度を始めると分隊も寝室で服装を整えた。ジェフは鼻歌交じりに何度も軍帽の位置を確かめた。
「チャル、ジェフに要注意よ」
「要注意?」
「わからないの?ならいいわ」
不満そうなシャーリーに気持ちの知れないチャルは困り顔だった。彼女は軍刀を吊ると、あれだけ気に入っていたのに腰の重みにぼやいた。
「邪魔ッけねえこれ」
先頭を行くのはジェフとケイト、子どもを両脇に連れるチャルと夫妻に挟まれるシャーリーが続いた。ケイトは道がそれほど混み合ってないのにジェフの袖をしっかり掴んでいた。
「あれがパン屋さん、その隣がお皿屋さん、あと、それから」
「うん、うん」
皆は二人の様子を気にも留めなかったが、シャーリーだけはじっと見つめていた。夫妻の説明に上の空だったが彼らは気をよくして話続けた。
「いやあ、お客さんをこうやって案内できるなんて嬉しですよ。この国だとそんな機会はありませんからなあ」
「ええ、でしょうね」
「チャルさん!あれがエミルたちの遊ぶ公園!」
「行こうよ!」
「あはは、待って待って」
チャルは子どもたちに引っ張られ広場へと連行されていく。夫妻はそれについていき、シャーリーは立ち止まって先に行こうとするジェフとケイトに叫んだ。
「ジェフ!みんな向こうに行くって!」
「先行っといてくれ。俺ケイトちゃんといるよ!」
「後で参ります、待っていてください!」
それだけ言い残し、二人は足早に消えていった。残されたシャーリーは石畳を蹴飛ばすと肩をいからせ広場に向かった。
ケイトは自分の好きなところをジェフを連れ歩いた。街は思っていたよりも広く、また立体的な構造だった。王宮近くで警護士や国予兵士、憲兵とすれ違ったが、その度にいちいち身分を名乗り城内の案内であると説明した。二人が軍装であるから誰も怪しまなかった。
王宮裏の警護士しか入れない場所にジェフを連れて行き、高台のそこからは街と城外が一望できた。
「気に入ってくれましたか?私の国」
先に買っておいた穴のないドーナツを取り出しジェフに渡した。二人は側の噴水に腰掛けドーナツをかじった。
「いい所だね。これも美味い」
ジェフの口角上がった唇の端にドーナツのかけらが付いていた。ケイトは笑いながらハンカチで口元を拭った。
「ありがとう」
「気に入ってくれてなによりです。ジェフさんの国はどんな所ですか?」
「俺の国、か」
聞かれると返答に困った。あまり話したくないことでもあり、シャーリーやチャルにも言ったことがなかった。それを察してか二人から聞かれたこともない。
ジェフの国はそこそこ豊かだった。発展した国であったが政府のある策略から世界大戦にも巻き込まれず平和ではあった。彼もその平和を享受していたはずだった。だが問題を多く抱えていることも確かだった。ふとしたことから社会に合わないと思いそこを出て、しかし今では家出を後悔することもある。複雑な心境で言葉を濁した。
「まあまあ、かな」
「まあまあ?」
「うん、まあまあ」
「まあまあって?」
「まあまあは、まあまあだよ」
「それってどういう」
彼女の興味は一変した。遠くの荒野に設営された臨時飛行場から数機の戦闘機が飛び立っていたからだった。はしゃいだりはせず、視線が釘付けとなってケイトは固まった。
「ファントム、ですかね」
「イーグルだな。ファントムじゃなさそう」
「イーグルってどんな飛行機ですか?」
「イーグルは・・・」
ジェフはF15戦闘機について知っていることを話しかけ止めた。次の言葉を待っていたケイトもはっとして顔を背けた。聞いてはいけないこと、答えてはいけないこと、昨晩からの二人の不文律となっていた。
「聞いちゃいけないですよね」
「そうだな、その方がいい」
「でも、かっこいいなあ」
ケイトはもう一度だけ飛行場の方を見るとジェフに向き直った。頬を染めはにかむような笑みに吸い込まれるようだった。小さな唇が若い艶に光る。
「ファントムの代わりに、ジェフさんのお顔を見ててもいいですか?」
「え?」
「なんででしょう、こんなこと言うのは変だけど」
「不思議なこと言うね。でも気のすむまで俺の顔見てていいよ」
「なんだか、ファントムとジェフさんって似てるんです!」
「どういうこっちゃな」
「えへへ」
もう一歩近づく。ケイトの頬は紅に染まっていた。ジェフは見つめられて瞬きできなくなり吸い寄せられた。指をほんの少しだけ伸ばすだけで届く距離だった。ジェフの太い指がケイトの袖に触れ彼女は両手で袖を握り返した。少女は男を求めていた。その求めに応じ抱き寄せるとケイトはジェフの肩に顔を埋めた。
「だめジェフさん。私、変わっていっちゃう」
詰まるような声に腕をしっかり背に回した。ジェフはケイトの頭に顔を押し付け幼い情熱の香りを胸いっぱいに嗅いだ。吐く息は震えていた。
「こんなことしちゃいけないんだ。お互い」
「それは、ジェフさんもわかっているはずです」
「そうなんだ、君だって。でも俺は」
またケイトの香りを吸い込む。髪が息に撫でられ、くすぐったく微笑んだ。だがジェフは涙を流した。あまりにも惨めで似合わない涙だった。
「ケイトのこの香りが愛おしい」
絶対に言葉にしてはいけないことだった。ケイトは黙ったまま更に顔を押し付け生地に染みを作った。小さく頷くと両腕を背に回しきつく結んだ。
二人の世界が混じっていく。禁忌の世界が出来上がる。水と油は求め合っても溶け合わず歪な模様を作っていた。
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