第3話 ケイト・デイビス

 城内の街では住民に混じって国予の兵士たちが賑わいを見せていた。検問の憲兵が言った通り、おそらく私服憲兵や調査官が控えているのだろう、陸島連合の連合旗世界旗がはためく店が数軒目に入った。


「あの旗がある店なら入れるぜ。街を見たら飯にして飲んで行こう」

「さんせー!」

「どんなご飯があるのか楽しみだなあ」


 国予のOD色は数多く、至る所で写真を撮ったり人々の生活風俗を眺めたりと様々だった。善人の純粋培養が為されるこの国で、ここまで部外の人間が自由に動いていいものなのかと、王族は気に入っても国民には疑問を持つシャーリーは首を傾げた。


「ねえ、この国は研究対象でもあるんでしょ?こんなに私たちみたいな部外者がいていいのかな。それも戦うことを仕事にする兵隊が」

「凶悪そうな兵隊はいないだろ。実は城内に入り込める人間は選別されてるんだ。定期的に出す報告書や個人個人の身上調査なんかを判断材料にしてさ」

「あれ、身上調査なんてやった?」

「俺はよくシャーリーとチャルのことを知ってる。書いて出しておいたよ」

「なーんだ、一言伝えてくれればよかったのに」

「だから、いい男や女いても口説くなよ」

「ここではお妃さまだけでいいの!」


 二人のやりとりをチャルがニコニコ見ていた。だがそんな彼の巨躯に誰かがぶつかった。チャルはビクともしなかったが、相手は跳ね返り手に持っていた物を取り落とした。


「わっ!ごめんね、怪我はない?」

「すみません!急いでいたもので・・・そちらこそお怪我はありませんか?」


 スラリと身体の細い少女だった。ジェフの鼻先くらいまである背の彼女は、茶色の地味なブラウスの前に手を組み申し訳なさそうに頭を下げる。短めに切り揃えられた黒髪の下に少々尖った睫毛と澄んだ瞳、芯の通った凛とした声が誠実を感じさせた。


「僕は大丈夫だよ。でも荷物が」

「拾ってやろう。シャーリー、そっちにノートが」

「すみません、ありがとうございます」


 石畳に散乱するのは本やノートだった。四人してそれらを集めるが、一つの黒表紙の冊子、ジェフが拾い上げると彼は見覚えのある文字と絵に気づいた。


「F4・・・?」

「あっ!」


 表紙の題字と絵は見慣れたジェット戦闘機を示していた。最新型ではなく世代を経た古い戦闘機だったが、今もなお国予の制空任務を負う航空部隊では使用されていた。王国の住民であろう少女がその戦闘機についての本を持っているのは意外としか言いようがない。


「はい」

「あ、ありがとうございます」


 ジェフが冊子を差し出すと、少女は慌てて受け取りノートや他の本の隙間に押し込んだ。他人の目に触れさせたくないかのように。


「どうもすみませんでした。皆さんは外世界の兵士の方たちですよね?」

「そう、国予強襲隊」

「私たちと一緒に働いていただいて感謝しています。それでは!」


 早口で再び頭を下げるととことこと走って行ってしまった。三人は彼女が持っている本や最後に言った言葉を思い顔を見合わせた。


「私たちと、だって」

「王族関係かな、公的な仕事をしてるのには違いなさそうだ」

「若いしっかりしてそうな子だったね。でもあの本」

「チャルも見えたか。ファントムの本だぜ、アレ」

「この国にジェットなんてある?」

「なわけない。それにしても謎だ」

「私たちの世界、あの子がいう『外の世界』の物だとしたら・・・」

「勘ぐるなよ、どうだっていいじゃないか」

「きっと何か事情があるんだよ」

「ますますこの国がわからなくなったわ」


 シャーリーの言うことは最もだった。なぜ、古典的な文化ばかりが目立つこの国で、ジェット戦闘機の本を年端もいかない少女が持っているのか。三人は頭にクエスチョンマーク浮かべながら酒場を探した。

 


「おいしーい!お酒も料理も最高!そ・れ・に」


 街見物も兼ねて歩き回り、酒場に入る頃には夕方になっていた。客は国予兵士や陸島連合の勤務員ばかりだったが、店員は王国の住人で本物のワーカシュト料理と酒が供された。強くない酒と素朴な料理ばかりだったが三人は気に入り、入って時間が経たないうちにシャーリーは何杯ものグラスを空にした。

 また、懐かしいほどではないが久々の、親しい顔も酒場にいた。シャーリーはボーイッシュな一見美少年に見える美少女を抱き寄せ頬にキスする。


「まさかシャーリーたちと会えるなんて思わなかったよ。警備地区に配属されたとはお兄ちゃんからきいてたけど、まさかこの酒場で会えるなんて!」


 アーニャは自分からも、それに直接唇にキスを返した。満面の笑みのシャーリーはさらに抱きつき続けてキスを求めた。


「ほら、ジェフくんとチャルくんにも」


 シャーリーの口づけから一旦離れると首を伸ばし、ジェフには唇、チャルには彼がウブなことを知っているから、頬にそっとキスした。ジェフは彼女との一夜と共闘、ニーノの妹である正体を知った時を思い出し目を細めた。


「ホント、ここで会えるなんてなあ。ノアちゃんの事件からそんなに経ってないけど懐かしいよ」

「僕も嬉しいよ。アーニャさん元気そうでなにより」

「ふふ、ありがとうジェフくんチャルくん。みんなも元気そうだね」

「おかげさまで。アーニャは調査官として街の巡邏かい?」

「そんなとこ。休養も兼ねて、ここで飲んでるんだけどねー」

「アーちゃん好き好き!ねーこの後夜ヒマ?暇よね?」


 シャーリーは早速湿っぽい瞳で、アーニャの首に腕を回し離さない。しかしアーニャは申し訳なさそうに肩をすくめた。


「ごめんねーこの後官舎に戻ってミーティングなんだ。警備期間が終わってからね」

「えーつまんない!でも約束よ?任務終わったら楽しいことしよ!」

「もちろん。浮気せず待っててね」

「んーどうしよっかなー」

「もーシャーリーったらあ。あ、それからさ」


 アーニャは少し真剣な眼差しに変えて三人を見た。シャーリーはともかく、後の二人はその視線に彼女が調査官であることを思い直した。至極真剣な口調だった。


「チャルくんのことは心配してないけど、ジェフくんにシャーリー、ここの人たちを口説くのはダメだよ。友達になるくらいならいいかもしれない、でもこの任務が終われば別れて二度と会えなくなることを考えて。ボクたちの任務は、やりにくいけど外の世界の住人とこの国の人たちが深い仲にならないように見張ることでもあるんだ」

「そりゃそうだろうな、この国は研究対象でもあるんだから」


 「研究対象」というところは声を潜めた。カッコつけて研究対象モルモットと言ってもよかったが、親切な王族や善良な人々に悪い気がした。もう一つ、チャルにぶつかった少女のことが気になる。拾った黒表紙の冊子を思い浮かべて口を開いた。


「なあアーニャ、さっきさ・・・」

「さっき、なあに?」

「いや、なんでもない。俺はこの王国の人は誰も口説かないよ。でもシャーリーがなあ、お妃様を口説こうとしてるぜ」

「えーシャーリーそれほんと?不敬罪もいいとこだよ」

「だってえ、すてきなんだもん!」


 少女のことを言うのはやめ、酔いが回ったシャーリーに話題を転換した。あの切り揃えられた黒髪が下げられたのを思い出し、伝えてはいけないと。

 純粋培養の善良さゆえ澄んだ瞳、ここの人々と真反対な生活を送るはずのジェフに妙な親近感を持たせ、大切に自分の中だけに持っていたい気がした。


 何時間も酒場にいた。尽きせぬ物語はまだ足りなかったが、アーニャにも任務がある。シャーリーは珍しく悪酔いしたらしく、蒼い顔して黙りこくっていた。


「大丈夫かよシャーリー。お前らしくもない」

「飲み過ぎだね」

「シャーリーお酒に強いのに、ここのは身体に合わなかったのかな」


 口々に言う三人は石のように固まったシャーリーをヨイショと担ぎだし店の外に運んだ。少しでも頭が揺れると目に涙溜めて無理やり唾を飲み込むのが判る。


「吐くのかなあ。俺も結構飲んだけどピンピンしてるぞ」

「弱ったなあボクも付いていたいけど」

「アーニャは任務がある。俺たちでなんとかするから帰りなよ」

「でも、みんなもあと30分もしたらここを出なきゃ。夜間、国予は出歩いちゃいけないから憲兵が巡回するよ」

「なんとか出るさ。迷惑はかけん」

「そう?じゃあ頼んだよ。シャーリー、ジェフくんにチャルくん、またね!」


 アーニャの頭にした口づけに、シャーリーはほんの少しだけ手を挙げただけだった。彼女が行ってしまうと辺りの静寂が耳に痛く、どこかで巡回しているのか憲兵の軍靴の音が小刻みに響いていた。


「なんとかするったって、どうすっかなあ。素行に気をつけろだなんて言われて、憲兵に見つかったら面倒だぞ。城外に出る時どうせバレるけど」

「うん、車の運転はお酒飲んでない僕がしたらいいけど、きっと検問で何か言われるよね」

「車なんざ、全員飲んだ場合は置いていってもいいらしいが、なんかいい手ないかなあ」


 シャーリーの回復は望めず時間ばかりが経っていく。まごまごしていると、走っても門限に間に合うかどうかわからない時間になった。焦るジェフは無理やり立たせて、引きずっていこうとした。


「うえええええええ」


 力の抜けた腕を思い切り引っ張ると、ついに最後の堤防が破れた。チャルがとっさにもう片腕を引き上げなんとか吐瀉物が袖に付くのを防いだが、直後ものすごい力で腕を振りほどくと側溝に両手をつき、口から汚らしい轟音。


「きったねえ、ついにやりあがった」

「吐いたのが溝でよかった。水も流れてるし」

「あーあ、こうなったらゆっくり行って憲兵に叱られるかあ」

「あのー、大丈夫ですか?」


 初老の男が後ろから覗き込んでいた。労働者風で、城内に入る時見かけた石畳修復の作業者に格好が似ている。彼は振り返る二人に帽子を取ってお辞儀をし、その礼儀正しさにジェフも挙手の敬礼をした。チャルも帽子を取っておどおど頭を下げた。


「すみません、仲間が飲みすぎて吐いちゃって」

「ご迷惑をおかけしてます」

「いえいえ。皆さん外の世界の軍人さんでいらっしゃいますか?他の人たちはみな外に帰ったようですが」

「ええ、我々も退去しようとしていたところです。あっ、時間過ぎた」


 時計を見ると門限を五分過ぎていた。これで701分隊になんらかのペナルティが課されることが決定した。


「門限を過ぎた。叱責だけで済みゃいいけど」

「営倉なんてことは」

「多分ならんだろ。でもフェリーニのやつに一応相談するかあ。シャクだけど」


 二人がぼやいている間に、男は目の前の家に小走りで走っていった。そこが彼の住まいであった。少しすると細君らしき小柄な女性を連れて出てきて、彼女はボウルのような木の容器に水を入れて持っていた。


「兵隊さん、お飲みなさい」


 細君はシャーリーに歩み寄ると、優しく口を拭ってやり容器を差し出した。シャーリーは頷きながらボウルを空にしやっと長い息を吐いた。


「私の家はそこです。今夜は休んで行ってください」


 男の言葉に二人は驚いた。善良な人間たちとはいえ、酔っ払いを連れた、それも外の世界の自分たちにも破格な親切を払おうとしていた。


「そ、そんな、悪いですよ」

「門に着くにも距離があります。この方は相当酔っているようだし、それに門限も越してしまったというなら、いっそ私の家でお休みになってください」

「しかし・・・」

「ジェフ、城外に出なかったら憲兵さんに判るかな?」

「膨大な人数の整理だ。入る時に身分証と通行許可証見せただけだから、正直中に居たままならバレないかもしれないが・・・」

「じゃあ、今日は泊めさせてもらわない?明日他の隊に紛れて出ようよ」

「チャルがそんなこと言うなんて珍しい」

「親切に甘えるってことも、時には相手への礼儀だよ」


 チャルの言葉に男は嬉しそうだった。「決まりだ」と手を叩くと彼の子どもたちを呼び、シャーリーを運ぶのを手伝わせた。


「ケイト!お前も手伝ってくれ」

「今行くわ父さん!」


 10歳にならないくらいの兄妹に続き、十代半ばほどの少女が玄関から駆けてきた。切り揃えられた黒髪に見覚えがある。それもつい最近出会ったような親しさ。


「あっ!さっきの!」

「君の家だったのか!」


 通されたのは質素なダブルベッドが端にある夫妻の寝室だった。家のトイレで再び吐いたシャーリーを寝かせ、風呂まで入れてもらったジェフとチャルは一息ついた。


「煙草、止した方がいいよな」


 ジェフは窓際に座り、くすんだ鏡面仕上げのジッポライターを月明かりにかざした。チャルはベッド横の椅子に座り、シャーリーが落ち着くからと朦朧と要求した通り肩を撫でていた。


「だめだよ喫っちゃ。この家の人が吸うかどうかわからないんだから」

「そうだな。非常識な質問だった」


 ニコチン不足の自らを恥じ一度ジッポの蓋を開けて閉じた。チャキンと小気味よい音と扉のノックが重なった。


『ケイトです。入ってもいいですか?』

「どうぞ」


 寝間着姿の少女、ケイトがランプの小さな光に浮かび上がった。彼女は申し訳なさそうに笑うと机に水の入ったコップとタオルを置いた。


「パジャマでごめんなさいね。皆さんの身体にも、お父さんのパジャマが合えばよかったけど」

「いやあ、これ以上お世話になるのも。お気遣い感謝します」

「どうも、ありがとうございます」

「敬語はやめてくださいな。年上なんだから、私が困っちゃいます。それから、きっとどなたかが煙草をお吸いになられると、お父さんから。ほんとはここにもあるんだけど、洗ってたんです」


 差し出されたのは深みのある丸い皿だった。装飾されたそれはパイプ用であるはずだった。


「確かに煙草喫みだけど、どうしてそれが?」

「煙草の匂いがしたんですって。お父さんも煙草を喫うもんだから」

「すみません、できるだけ喫わないようにします」

「ふふ、お気になさらないで。それから敬語はやめてくださいな」

「ありがとう、そうだったな」

「近くに座ってもいいかしら」


 ジェフが頷くと、うとうとしているチャルに毛布をかけ正面に椅子を持ってきて座った。彼が少女のため煙草を躊躇していると、更に灰皿を勧められたので一本火を点け美味そうに煙を吐いた。ケイトはジッポを珍しそうにしげしげと見つめた。


「珍しい、だろうね」

「ええ、お父さんはこんな機械使わないから」

「きっとそうだろうね。そうだ、自己紹介がまだだった」


 ジェフは一旦煙草を置き背筋を伸ばした。ケイトも元から伸びている背を更に真っ直ぐにし、気持ち肩を張った。


「国際予備兵士強襲遊動第701分隊、分隊長の二等兵曹ジェフ・マックィーンです」

「ケイト・デイビスです。お昼は失礼しました」

「いえいえこちらこそ。あの大男はチャル・ペック、酔っ払いの女はシャーリー・クエイ。俺たちの容貌はおっかないかもしれないけど、みんな気のいいやつらだ。よろしく」

「こちらこそよろしくです。分隊っていうと、何人くらいの隊なのかしら」


 ジェフはケイトの質問に、彼女が少なくとも軍隊に関わる仕事をしていると確信した。昼間の別れの挨拶から気になっていたことだった。


「この三人で全部。本当は分隊って十何人かいたりするけど、俺たちは特殊でね。デイビスさん・・・なんて呼ぼう」

「ケイト、でお願いしますわ」

「じゃあ俺のことはジェフと。ケイトちゃんは、昼に『私たちと一緒にお仕事できて』って言ってたけど、何か公的な仕事でも?」

「私は近衛隊の警護士をしてるんです。普段は陛下のお側で、あと街や王宮の警備をしています」


 警備と聞き思い浮かべるのは治安の確保だが、この国でそんな必要があるのか疑問だった。そもそも犯罪も起きないという。王宮に近衛兵が近衛兵がいるのを漠然と受け入れて考えもしなかったが、この少女兵を前にして警備と聞くと不思議な気がした。


「街の警備?」

「はい、困ってる人がいないか見回ったりするんです」

「暴漢を相手取ったりとかは?」

「ボーカン?そんな人見たことないし、これまで出たこともないですよ」

「なるほど、善良な人々か。でもそれなら兵士の必要もないんじゃない?」

「陛下や国民がお困りにならないよう、また安全面において危険からお守りするのが私たちの使命です」

「兵士の鏡だ。本心からそう思う」

「ジェフさんたちは違うんですか?」


 純真な瞳の中にクエスチョンマークが揺れている。ジェフは床にまとめて置いてある兵器類を見やって、また彼女の持っていた冊子を頭に浮かべた。


「違うんですかって・・・ケイトちゃん、君はファントム戦闘機の本を持っていたじゃないか。あの戦闘機が外の世界で如何にか、知ってるんじゃないのかい?」

 

 ケイトはあからさまにたじろいだ。大きく開いた目から疑問は消え、変わって焦りの色が見えた。彼女は観念したように言った。


「あの本、何なのか気づいたんですね」

「俺たちにとって身近な戦闘機だ。古いけど、そこそこ強力な。なんでケイトちゃんがファントムの本を持っていたのか不思議で仕方なかった。深くは聞かないけど」

「気づかれたかなってちょっと思ってました。言っちゃうけど、憧れがあるんです」


 窓枠に膝をつき、どこか諦めた表情で手の上に顎を乗せていた。


「秘密のことだからあまり言えないけど、昔からこの国の中に外の世界の人がいる部屋があるんです。以前王女様とかくれんぼしていた時、本当は立ち入っちゃいけないんだけど、その部屋の近くに来てしまったことがあります。扉が開いていました。駄目とわかっていながら出来心で覗くと、小さい板に動く精巧な絵が流れ、その中にあの戦闘機が空を駆けていました。それからです、鳥のような機械、こっそり調べて飛行機という名を知り、私の心を掴んだのは」


 初めて会った時持った奇妙な親近感の正体だった。ケイトは、外の世界に僅かながらも触れていた。しかし彼女が外の世界として出会ったものが悪かった。悪すぎた。目的はなんであれ、人や物を破壊するために特化した戦闘機。この国では最も必要とされない、存在すら許されないであろう物だった。

 ケイトは、ジェフが聞きもしないのに、初めて持ったかもしれない暗い好奇心や後悔混じりの心から喋り続けた。


「あの戦闘機がどんな働きをするのか全然知りません。それに、知ってしまったらもうここにはいられない気がするんです。この王国が始まった頃からいた人、私の両親などは飛行機の存在を知っていて、ただそんな機械が外にはあるとだけ言いました。国民の多くは遠く空を飛ぶ影だけ見たはずです。でもはっきりとその姿を、不思議と惹きつけられる形を見てしまった私は・・・」

「もういいよ、もういいんだよケイトちゃん」


 ジェフはケイトの目から流れる涙を拭いてやった。こんなことをされるのは初めてなのか、丸い瞳を更に大きくさせ見つめてきた。辛い視線だった。

 知らなくていいことを知ってしまったこの少女がとてつもなく哀れに見えた。彼女の持つ好奇心等は、平和に善良に暮らす世界では邪魔になるだけだった。外の世界を知ってしまった人間を陸島連合がどうするかは知らない。善良の研究対象であるから、おそらく手荒な真似はしないだろうが、彼女の好奇心をそのままにしておくはずがない。

 それでも、この世界がシャーリーが言うようなディストピアだとは考えなかった。汚れた動乱の世界で必要とされるような向上心や競争心、成長を持たず、争いのない地球最後の楽園となるのであればそれで良かった。ケイトにとって残酷なことでも。


「好奇心ってすごい楽しいことだよ。でも俺たちの世界はともかく、この世界では必要ない。間違いなくここは楽園だ」

「ジェフさん、でも」

「争いのない世界、結構じゃないか。俺は、俺の世界に住んでるから、自分が持つ兵器、航空隊の持つ戦闘機のような兵器を愛してる。だけど平和な世界にそれは必要ない」

「私の、知りたいって心はどうすればいいんでしょうか。この心が抑えきれず、一度あった外の部隊見学で航空隊に出向いて、こっそりファントム戦闘機の操縦などの書かれた本を手に入れてしまいました」

「航空隊に呆れるよ。機密を易々と渡すなんて。ケイトちゃんが俺たちの世界と同じくするなら、君の好奇心を迎えてやりたい。だけど・・・」


 また潤む瞳。今度はジェフもだった。これまであった、シャーリーたちと会う前の凄惨な経験、苦手な向上心だの成長だのが無理強いされる世の中に彼女が生きていけるはずもないと、ケイトと近い心を持っていたであろう少年の自分が如何にして変貌してしまったか。

 会って間もない、大して言葉を交わしていない二人が心を開き合えたのは、互いに違う世界で生きる人間であったからなのかもしれない。特に幼くも不器用に複雑な思いを抱えざるを得ないケイトにはそれが顕著だった。

 ケイトは立ち上がると隣に椅子を持ってきて座り、僅かに上体をジェフに傾けた。彼はケイトの動きを理解したくなかった。


「生まれる世界が違うって、辛いことなんですね」

「俺はこの国に生まれて生きたかったよ」


 ジェフはケイトの肩を抱き寄せた。この行動をおそらく後悔する解っていながら腕の力を強めた。ケイトの体温が急に上がるのが伝わる。

 この少女が見せる戸惑いにジェフは唇を噛んだ。ケイトはためらいがちに腕を伸ばしジェフの肩を掴んで身体を密着させた。心臓の鼓動がシンクロすることを互いに恐れ、あまりにも中途半端な感情の重なりは小さく温まった。しかしそれを包む記憶や認識は飽くまで冷徹だった。


「ジェフさん」

「ケイトちゃん」

「私、わかんなくなっちゃった」


 投げやりな溜息が燃え尽く煙草の煙と混じり消えた。

 ジェフは窓の外に視線を移した。駐屯地のある辺りの上空が夜であるというのに白じんでいる。そこに遅く見える黒い機影から、ファントムの特徴的なエンジン音が静かに聞こえた。


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