第8話 頬に小さく

 黒から水色に変わり、更に白じんでくる空を小鳥の鳴き声が迎えた。額に絆創膏を貼ったジェフは煙草の煙を吐きつつ空の果てを見つめていた。町外れの広場にはほとんど人の姿が無く、ジェフたちと数人の警備隊員がいるだけ。


「もーまたサイズ変わっちゃってる。なんなの?小綺麗にして制服着用って」


 ジェフの背後から、手首に湿布を貼ったシャーリーが国際予備兵士の軍服を着て出てきた。

 濃緑色の開襟に、陸島連合の月桂冠星鷲と六連発リボルバーのシリンダーを模した国予強襲隊のマークが目立ち、任務地域別の星章が光る。エポレットにも星が一つずつ、これはジェフによって現地採用スカウトされた特務隊員であることを示す。あとは右胸に、701と数字の入った部隊胸章。これだけの徽章でも賑やかだったが、ジェフが羽織る上衣にはさらに多くの略綬や徽章が縫い付けられている。右肋骨部に隊長章、左胸の略綬も教導隊卒業章や従軍記章、負傷特別章に精勤章と、それから戦闘功労勲章がひしめき合う。左腕には拳銃射撃優等特別章がべったりと。肩章も星だけでなく一本金筋がエポレットの付け根に入る二等兵曹。これが、十代終わりから今に至るまでのジェフの存在証明だった。

 ジェフもおかしな命令に要領を得なかったのでシャーリーの質問には答えず、少し離れた群衆から戻るチャルに手を振った。彼の軍服も徽章類はシャーリーと同じだった。


「地元警備隊の報告も一緒にまとめておいたよ」

「ありがとう、確認して本部に送るよ。警備隊の連中、商会がブッ潰れたとたん元気になりあがって」


 捕縛した敵を連れて豪邸から出ると、住民の取り巻きに混じって警備隊が眺めていた。彼らに事情を説明すると、これまで商会に抑圧されていた恨みもあってか喜んで収監を願い出た。高圧的に捕虜をしょっ引く姿、どことなく小物で、満面の笑みで礼を言う警備隊長に苦笑した。

 警備隊と同じく抑圧されていた住民はというと、どことなく怯えた様子でジェフたちを見ていた。街を商会に乗っ取られた時も同じような状況だったから無理もないとヘレンは言った。


「アーちゃん、なかなか帰ってこないね」

「うん、ヘレンさんたちと店に帰ったまま。預けてある物を取ってくるって言ってたけど」

「民間人でも協力者には賞金が出るのに。あ、ヘリの方が先来ちまった」


 陸島連合の大型ヘリが数機、断続的な爆音を轟かせ薄暮の空に現れた。ジェフたちの数十メートル先に着陸し、中から行政指導官とその護衛が降り警備隊の車に乗って街に入っていった。彼らは警備隊への治安指導と、また街再建の指導を行う。指揮官機から護衛も付けずに一人の男が出てきた。背広の襟に陸島連合徽章をつけ、その太い縁取りが金に光るのは高等官である証だった。小脇に平たい箱を抱えている。


「ニーノ・フェリーニだ。いっつもあいつじゃんか」


 ジェフは男の名を呆れたように呟いた。ジェフたち701分隊が任務終了後、このようにして行政指導や事後の調査をしに来るのは決まってニーノだった。いつも自信げな笑みを浮かべ、動作の一つ一つが挑発的に見える彼がジェフは苦手だった。


「やあやあ701分隊の諸君。襲撃ご苦労だったねえ。しかしジェフ、いつものことだけど仕事が荒い。あんなに敵の死傷者出して」


 嫌味ったらしく顔を近づけるニーノ。ジェフは思い切り眉間に皺を寄せ、べぇと舌を出した。


「僕の鼻は繊細なんだ。誰のであっても口は臭い、喫煙者の口はなおさら臭い」

「くたばれ。なんで毎度毎度お前なんだ」

「なんでだろうねえ、君のお目付役ってとこかな。あ、ジェフ以外の二人はしっかり仕事してると思うから信頼してるよ」

「それはどうも」


 チャルとシャーリーは揃って答えた。何気なく笑うだけで、ニーノには悪感情を持っていない。ニーノはジェフにのみ嫌味を言い、それに対する反論がいつも子どもの喧嘩に見えた。実のところ、二人は仲が良いのだと分かりきっている。


「おべっか使うなよ。お前、いつか酔っ払った時『シャーリーちゃんとアレしてコレして』なんて言ってたじゃないか」

「ば、馬鹿!あれは、僕がお酒弱いの知ってるのにジェフが飲ませたから!」

「ほー発言は訂正しないんだ。高潔ぶると疲れるぜ、フェリーニ君」

「あらフェリーニさん、私でよければいつでもお相手するわよ?」

「ち、違う!僕はそんなことに興味ない!助けてくれチャル君」

「ほらほら、ジェフもあんまりフェリーニさんを虐めないで」

「ふん、化けの皮はとっくに剥がれてんだよ。そんで、俺たちが軍装する意味は?お前たちの指令だぞ」

「そう、そのことなんだ」


 チャルの後ろに隠れたニーノは、わざとらしく咳払いをすると抱えていた箱を開いた。中には徽章と公用手帳が入っている。陸島連合総合調査部の初等調査官の物だった。ジェフたちの国際予備兵士を軍隊とするなら、総合調査部はスパイのような存在だった。これらの組織は連携している。


「なんだこれ、調査部のじゃないか」

「授与しに来たんだ。今回の事件で君たちに協力した者がいただろう?」

「協力者はいたけど、調査部の人間には会わなかったぜ」

「いや、君たちの言う協力者が見習調査官」


 そこまで言うと蓋を閉じた。協力者といえば一人しかいない。もし本当にそうだとしたら、彼の人の観察眼や護身術、拳銃についての辻褄が合う。

 顔を見合わせていると横にバンが走ってきて止まった。ルガー・バレットの文字が書かれたスライドドアが開かれる。降りてきた人物の服装に三人は目を丸くした。


「アーニャ!どうしたんだその格好」

「ボクは陸島連合総合調査部見習調査官。知らなかったでしょ?」


 臙脂えんじ色の国予と似た制服に見習調査官章が光り、まさしく彼女は見習調査官。得意げに笑うアーニャの後ろからヘレンとノアが続く。二人とも、正装とまではいかなくとも着飾った身なりをしていた。


「アーニャさんが来た時からお預かりしていたお荷物、制服だったからびっくりしました。ほんとはジェフさんたちのお仲間だったんですね!」

「いやお仲間ってわけでもないけど」

「見習いを終えて、これから任命式をするってお聞きしたから私たちもご一緒しようと思って。ちょっとだけ良い服を着てきましたの」

「それはそれは、ヘレンさんもノアちゃんも綺麗です。それにしてもアーニャ、一言言ってくれれば」

「ごめんねー隠密性も見られる試験だったから。あ、お兄ちゃん!」

⁉︎」


 アーニャは一行をすり抜けニーノの腕に抱きついた。彼は妹を引き離そうともせず、愛おしそうに頭を撫でた。アーニャと一夜を共にしたジェフとシャーリーはにわかに蒼ざめる。


「アーニャ、よく頑張った。偽名を使わなかったのか?」

「偽名を使うとどうもボクがボクでなくなっちゃいそうで」

「まあ事件は解決したし合格だ。偽名のことは、これから鍛えろ」

「はあい」


 和気あいあいとする兄妹に、ジェフは恐る恐る尋ねた。まともにニーノの顔は見れそうになかった。シャーリーはチャルを連れて早くも後ずさろうとしていた。唯一アーニャとの性交渉を持たなかったチャルは、意外、といった顔で動こうとしない。


「あ、あの、アーニャさん。お兄ちゃんっていうとあのお兄ちゃん?」

「そうだよ、ボクの本名は、アーニャ・フェリーニ。ニーノ兄ちゃんの妹さ」

「やべえ逃げろ」

「なにを逃げるんだ。略式だが任命式をする。だから制服を着ろと連絡したんだ。アーニャは君たちに協力したんだろう、妹の晴れの門出を祝ってくれ」

「あ、そっか。ジェフくんとシャーリーはアノことを気にしてるんだ」

「あのこと?なんだそれは」

「言うな!言ったら逃げるぞ!」

「ふふーん、ナイショにしとく。で、二人とも、別れる前にもう一度どう?」

「やめとくやめとく。なんてえ恐ろしい正体だ」

「知り合いの妹だったなんて・・・」


 鈍いニーノは何のことかわからない。ジェフとシャーリーは蘇る甘美な記憶をかき消そうと、次々に浮かび上がるアーニャの裸体や嬌声を必死に抑え込んでいた。当のアーニャはいたずらっぽく舌を出す。


「ちょーっと秘密を探らせてもらったよ。国予かなあって思って目をつけたら、正解だった」


 結局、ジェフに近づいた理由は色仕掛けの腕試しだったのだ。付近にいる国際予備兵士要員を把握せよという試験の。ただ、シャーリーに関しては、少しだけ本気になったのはアーニャだけの秘密。


「整列。見習調査官アーニャ・フェリーニ、二等兵曹ジェフ・マックィーン、特務士シャーリー・クエイ、特務士チャル・ペック。フェリーニ見習調査官は一歩前へ」


 ニーノはわざとらしく官姓名を告げ、胸を張り前へ出たアーニャの見習調査官章を外した。そしてうやうやしく調査官章を取り付け手帳を渡した。


「本日付をもって総合調査部調査官を命ず。これから自信を持って任務に励むように。以上」

「はい!」

「終わり。もう制服脱いでいいぞ」

「え、それだけ」

「略式だからな」

「なーんだ。わざわざ服出してきて損しちゃった。でも、おめでとう、アーちゃん」


 シャーリーを皮切りに皆口々に祝いの言葉をかける。アーニャは太陽のように、ニカ、と笑うとそれぞれを抱きしめて回った。


「今回は助かったぜ。しっかりやれよ」

「ジェフくんたちも!ボクもこれから世界中を回るから、きっとまた会えるよね」

「ああ。その時はまた、手伝ってくれよな。今度は夜のことは無しで」

「どうしようかなー今度会った時は、是非チャルくんともお手合わせ願いたいな」

「ぼ、僕は、その・・・」

「チャルに手を出しちゃだめよ。それより、また会ったら私と遊びましょ」

「休暇が取れたら真っ先に教えるよ。その時はみんなでバカンスでも」

「決まりだな。地球の裏側にいたって飛んで行くさ」


 ヘレンとノアも抱きしめる。ノアは四人との別れが近いことを悟って涙ぐんでいた。


「もう皆さん行っちゃうんですね」

「ボクは、ノアちゃんがいるこの街が好きだよ。必ず近いうちにまた立ち寄る。その時はヘレンさんと一緒に作ったカクテルと料理を楽しませてね」

「ノアちゃん、初めて会った時馬鹿にしてすまなかった。立派に店を繁盛させてくれ」

「お部屋で騒いじゃってごめんね。素敵な妹ができたみたいで楽しかった」

「お母さんを大事にね。幸せになってね」

「本当にありがとうございました。またノアと暮らせるなんて、夢みたいです」

「また来てください、約束ですよ。そうだ、みなさんちょっとかがんでください」


 ノアに言われるように四人は屈んだ。彼女は照れたようにはにかんで、各々に歩み寄った。


「わたしからの、ちょっとしたお礼です」


 頬に小さくキスをした。思いがけない贈りものに、皆一様に顔を赤らめ笑った。

 この暖かな温もりを救ったことが何よりも嬉しかった。



「ねー今度はどこ行くの」


 アーニャとニーノを乗せたヘリは既に飛び立ち、運転席の窓から見えるノアとヘレンに手を振りながらシャーリーが言った。三人分のコーヒーを持ってきたチャルは穏やかな口調で要望した。


「山とかがいいな。このところずっと平地にいたから」


 シートベルトを着けたジェフは煙草に火を点け、煙を吐きながら考えた。特に目的もなく、ただ、今回休養に寄った街なのにとんだ仕事で疲れていた。次こそ本当に落ち着いて休みたかった。


「チャルの言う通り、山、それも高原がいいな。それなら銃を抜くこともないだろう」


 エンジンをかけ静かにシフトレバーをローに入れた。クラッチを繋ぐ。WDWK518は、疲れた三人の若者を乗せ、緩やかに発進した。

 ラジオからジェフの国の曲が流れ、彼は鼻で笑うと煙草の灰を落とした。





 三度目の世界大戦が終わって幾年過ぎたか。大国と大国の戦争は世界を巻き込み、運が良かったかズル賢い国を数国残して地球は荒廃した。荒廃した国々は大陸諸島連合を作り人々の統一化を図ろうとしている。

 国際予備兵士は、かつて様々な地域で補助任務に就いていた傭兵や民間軍事会社の集団だった。ほとんどの正規軍が滅びた今、国際予備兵士のマークを付けた兵士たちは唯一の国際戦力だった。強襲遊動隊は、世界を徒然に回って武力に関する問題を横殴りしている。

 現代兵器の大半を失ってなお止まない争いを平定すべく、彼らは行く。武力を武力で改める矛盾をぼんやり抱えつつ、だらだらと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る