第6話 母娘

「なーチャル。あの女、何者なのかな」

「あの女って、アーニャさん?」

「そう。ただ散歩してただけで警報装置の位置までわかるか?普通」


 翌日、ノアを車に残して四人は豪邸の調査に来ていた。といっても、ノアの母親と接触できたら襲撃の旨を伝えるくらい。ジェフとチャルは母親の元へ潜入すべくノアの店に一台だけあったバンに乗って偵察、シャーリーとアーニャは情報収集のため、門の見張りに色仕掛けの罠を張る。

 ジェフはシャーリーとアーニャと別れてから疑問を口にした。どう考えてもアーニャはただボーイッシュな美少女というだけではなく、銃の扱いから身のこなし、観察眼に至っても凄腕だった。


「拳銃だって持ってる。タダモノじゃないぜ」

「そうだね、それに強盗を撃った時のあの動き」

「軽やかだったよな。よっぽど訓練されてるように見えた」

「訓練っていうと」

「最悪の想定はノース・キャッスル商会の手下。しかしいやに協力的でその線は薄い。でなけりゃ・・・」


 ジェフは黙った。先程から覗いている双眼鏡のレンズの先に動きがある。アーニャの言った通りの場所に陣取り建物を監視していたら、二階の窓に人影が映った。ノアの写真で見た美女に違いなかった。


「見てみろチャル、女だ」

「ほんとだ、アーニャさんの言った通り」

「行くかあ」


 昼間は屋上のチンピラが二人動哨して周囲を監視しているのだが、目線が道路から離れた隙を突きジェフとチャルは素早く塀に忍び寄った。ジェフはチャルの手に乗り易々と塀を飛び越え、チャル自身も軽々と侵入すると壁に身を寄せ監視の死角に入る。ちょうど女のいた窓の真下だった。雨樋を伝ってその上チャルに肩車までしてもらってようやく手が窓に届く。


「ジェフ」

「ん?下になってもらって悪いな」

「いや、スマホでノアちゃんの画像出して呼んだら」

「そうだ、そうするんだった」


 今朝撮った、確認用のノアの写真をスマートフォンに表示しそれを持ったまま窓を叩いた。影はなかなか近づいてこなかった。

 二十回も叩いただろうか、突然窓が開け放たれると女が身を乗り出し素早くジェフの腕を掴むと引き上げようとした。下のチャルは急にジェフの重みが肩から消え慌てて窓枠に飛び上がり室内に転がり込む。屋上のチンピラは巨体のチャルがしりもちをついた音を察知したが、その方向を覗き込んだ時にはもう誰もいなかった。


「いってえ、急に引っ張るもんだからびっくりしたよ。チャル、大丈夫?」

「う、うん。おしりぶっちゃった」

「そりゃ災難。さて、奥様。ヘレン・ソッピースさん」

「あなたたちは何者ですか。娘の写真を持ってたりなんかして」


 どことなく色っぽい服を身にまとい小さくとも高い声を震わせるのは、ノアが見せてくれた写真の美女に間違いなかった。ジェフよりも背は低いのだがスタイル抜群に美しく、こんもり膨らんだ胸で長い脚、くびれた細い胴と均整良い小顔がそう思わせていた。


「我々は国際予備兵士強襲遊動隊です。司令部からの命とノア・ソッピースさんの依頼でノース・キャッスル商会の襲撃とあなたの救出に参りました」

「ノアからの・・・?」

「半年ほど前、ノース・キャッスル商会会長から愛人になることを強要された、そうですね?」

「え、ええ」

「逃げましょうや、あんたが相手に惚れてなきゃ」


 ヘレンは慌てて首を振った。会長からは厚遇されていたらしいが捕らわれの身、娘にも会わせてもらえずそれがなにより、大柄でやたら絶倫の会長に抱かれるより辛い。惚れるはずがなかった。


「そんなことは、惚れてるなんて!」

「なら決まり。私はジェフ、こっちはチャルです」

「どうも」

「さっそく本題ですが、普段の起居はこの部屋で?」

「はい、会長の部屋にいるとき以外、ほとんどここで過ごしています」

「会長のとこ行く時ってのは、つまり、だと思うけど、今夜にその予定は?」

「・・・昨日はありました。だから今夜のお相手はありません」

「失礼。じゃああなたは普段通りこの部屋にいてください。夜になったらお迎えにあがります」

「え、今救出して下さるんじゃないのですか?」


 ヘレンはきょとんとする。てっきり今すぐここから連れ出してくれると思ったのだ。だがジェフたちには別の計画もあり、組織襲撃と悪行の数々の証拠も押さえなければならない。ジェフはヘレンの焦燥混じる質問に手短に答えると、彼女は納得したようだった。


 脱出の打ち合わせを終えるとマゴマゴしている暇はなく、夜に奪還するヘレンの許から帰ろうとした。彼女が思いつめた顔して冷や汗飛ばしたのはその時だった。


「あ、あの」

「なんですか」

「娘と連絡は取れるのでしょうか」

「そりゃ、彼女は我々の車で待っていますから」

「お願いです、話をさせてください!声を聴けるだけでもいいんです」

「・・・ちょっとだけですよ」


 一方留守番のノア、昨晩からなんとなく居着いたのは心強い顔ぶれがいたからで、皆出払ってしゃべり相手がいなくなってしまうと不安の思考が止まらない。うろうろと広い車内を歩き回ってみたり無意味に何度も手を洗ってみたりするも落ち着かず、溜息吐いてベッドに横になった。


「愛人なんて意味、知りたくなかったな」


 恋もしたことのないノアが男女凹凸の目的を知ったのはつい最近で、愛人というのが何をする人間なのか、聞いて蒼ざめたのはヘレンが連れ去られてからだった。会長の手下からヘレンは住み込みで働くことになったと聞いても諦めきれず、商会邸まで行くとあしらう門番の嘲笑が耳に残った。


「お前の母親、もうそっちには帰らないんじゃねーの。あんな汚いことしてて娘の前に出れるわけないっしょ」



「・・・帰るもん。帰ってくるもん」


 あの嘲笑を思い出すと決まって涙ぐんだ。言霊信じてカラ元気な言葉を口にするものの、空虚極まりない。最後の希望、偵察に行った車の借り主たちは母と接触できたのだろうか。奪還は今夜と聞かされていたから緊張が沸く。戦えない自分が行っても足手まといになるだけだろうが、襲撃にはついていきたい。できるだけ母の近くへ。

 電話が鳴った。車に複数備え付けられている物で、台所や運転席の子機が鳴っている。一番近くにあったのは丁度ベッドの横で、ノアは戸惑いがちに受話器を取った。


「あの、えと、ルガ―・バレットです。じゃなかった、こちらはジェフさんたちのお車です」

『ノア!その声ノアなの⁉』


 脳に電撃が走ったようで、反射的に頬に押し当てた受話器は歯を鳴らした。嬉しいとも悲しいともつかず、ただ衝撃で涙が出る。


「お母さん!お母さんお母さん!」

『よかった元気そうで・・・いい子にしてる?お店は?』

「いい子にしてるよ。お店も、ドロボーが来たけどジェフさんたちがやっつけちゃった」

『泥棒が⁉ああ、あなた方にどうお礼していいのやら』

「お母さんは、お母さんは元気なの?」

『ええ、元気よ。あまり連絡してあげられなくてごめんね。もうちょっとで帰れると思うから』

「あの人たちが連れ出してくれるんでしょ?大丈夫だよ、強いもん」


 車に帰ると、受話器下の床がひどく濡れていた。ノアが涙にむせびながら電話していたのは明白で、ヘレンもヘレンでジェフのスマートフォンに水滴を作っていた。ベッドの横にノアが立っていて、泣き腫らした目で鼻をすすりジェフとチャルを迎えた。


「泣いたみたいだな、ノアちゃん」

「すみません、床を汚してしまって・・・」

「いいっていいって。でも涙は明日の朝に取っとけよ。嬉し泣きに泣くことになるんだから」

「あの、そのことなんですが」


 自分の意志を言いかける前、シャーリーとアーニャが帰ってきた。を用いたのであろう、肌艶は良くなっているが、多少疲労の色は隠せなかった。


「あー疲れた。二人はヘレンさんに会えた?こっちは大変だったんだから」

「お疲れ様、お茶を淹れておいたよ」

「ありがとーチャル。ジェフと違っていい子よね」

「ふん、俺はチャルじゃないからな。こっちは所期の目的を果たした。そっちは?」

「大体目的達成ってとこ。スパイも楽じゃないわ」

「会長秘書が見つかったからよかったよ。ちょーっと気持ちよくしてあげたらすぐなんでも教えてくれた」

「そら、抗えませんわな」

「ともかく、ビジョンが固まったわね」


 昨晩のようにアーニャがノートに略図を描く。部屋の見取り図や見張りの配置など、より細かなものになっていた。ジェフは煙草で図を指しながら説明した。


「まずヘレンさんの奪還、これが第一目的。それから不正の証拠資料確保、商会の武装解除と捕縛、排除が上からのお達しだ。別に難しいことじゃない、武器は拳銃程度で俺たちのより質は劣るだろう。件の強盗のことを考えると」

「じゃ、手っ取り早く襲撃ね」

「そ。二手に分かれて、一組はヘレンさんの救出、もう一組は敵の無力化。どっちがいい?」

「私とアーちゃんは救出!」

「あっそ。チャル、俺と一緒に襲撃でもいいか?」

「いいよ。僕は運転かな」

「頼むことになる。この車で突撃だ。となれば、ノアちゃんを一旦店に・・・」

「わ、わたしも連れてってください!」


 一同唖然とする。気弱そうなノアが戦闘に参加すると宣言し目を丸くした。「はあ?」と尻上がりな声を出したジェフはたしなめるように言った。


「馬鹿言っちゃいけねえ。お子様ランチ卒業したての子どもを、弾の飛ぶとこに連れていけねえよ。足手まといだ」

「いいえ、ついていきます!一刻も早くお母さんを安心させたいんです」

「返してやるって言ってんでしょ」

「それでも、お母さんが危ない目に遭うのは一緒です。そんな時こそ親子は一緒にいなきゃいけないんです!」

「そんないい子ぶった屁理屈・・・」

「まあまあジェフくん」


 二人を仲裁するのはアーニャだった。彼女はノアの隣に座ると抱き寄せて頭を撫でた。にかにか笑いながらこの子どもを擁護する。


「どうせノアちゃんをお店に置いてったって、ついてきちゃうでしょ」

「そうです、そのとおりです」

「ほら。それに作戦時にボクたちの把握できない状況で屋敷周りをうろうろされたら面倒なことになる。なら一緒に連れてった方がいい。」

「それもそうかもねーノアちゃんは私たちが責任持つよ。主にドンドンパチパチするのはそっちなんだし大丈夫でしょ」

「シャーリーまでそんな」

「たしかに、親子は一緒の方がいいよね」

「チャルまでそう言うんじゃなあ・・・」

「じゃ、じゃあ!」

「おとなしくしとれよ、大人のケンカにガキ巻き込む趣味はないんだから」

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