第2話 男と女

「あーくたびれたぁ」

 

 目的地までの運転を終えたシャーリーが、綺麗な薄茶の髪も気にせず頭をかきながら、リビング兼ベッドルームになっている階下に降りてきた。

 この車は二階建てであることは先ほど記したが、各階とも巨体のチャルが立ち寝られるだけの高さと広さを持ち合わせるということも特筆すべき点である。もちろんトイレバス付で、快適な家にそのまま動力とタイヤを付けたようなものだった。

 シャーリーはシャワーでも浴びてさっぱりしようと、タオルを取りにベッドへ向かった。ちょうどベッドの上方に洗濯紐を張り、そこに洗濯物を吊るのが常であった。朝シャワーを浴びたときに使ったバスタオルが干してあるはずで、もう乾いている頃合いだった。

 だが、ベッドに来ても洗濯紐がない。バスタオルと一緒に干してあった他の洗濯物は乾いていてベッドに置かれていたが、肝心のバスタオルはそこにはなかった。ちょうど洗濯紐をかけるフックにハンモックを取り付け、その中で幸せそうに寝ているジェフの身体の上にバスタオルがかけられていた。


「・・・・・」


 シャーリーはけたたましくPCから流れるBGMを止め、仏頂面で机の上の拳銃を取った。そしてシリンダーを開放し弾薬が抜いてあることを確認すると、撃鉄ハンマーを起こし引鉄を引いた。

 パシッ、という撃鉄が空を叩く音がしてから数秒、ジェフはゆっくりとまぶたを開いた。


「・・・空打ドライファイアち」


 大きく息を吸うようにあくびをする。その間延びした声はまるでトドのようで、本来の声が太く低いものであることは誰にでもわかった。あくびを終えると、しょぼついた眼をこすりながらシャーリーに抗議の声を上げた。


「するなよな、所有者の許可なしに・・・非常識だぜ」

「こんなとこに自分のピストルを放っておくあんたに言われたくないわよ。いつも銃の管理について口を酸っぱくして説いてるくせに」

「整備の終わったとこだったんだよ。それより、到着したのか?」

「ついさっき着いたとこ。もうへとへとだわ」

「そいつはご苦労さん。チョコバー、食う?」

「食べる」


 まもなくチャルが食事をもってやってきた。夕食はランチョンミートを混ぜ込んだ焼飯と細切りホウレンソウのバター煮という簡単なものであったが、二人は喜んでありつく。街に着きしばらく滞在するようなとき、その第一日は簡単でも油っ気のあるものをジェフとシャーリーは所望した。これは二人のある思惑に基づいたものであったが、今日のシャーリーの方は普段以上の疲労感のためいつもと様子が違っていた。


「食べた食べた。おいしかったよ、チャル」

「ごちそうさま。お皿、洗ってくるわね」


 ジェフは膨れた腹をさすり、傍らシャーリーが手際よく皿を片付けていく。チャルはリンゴの皮をむいていて、手持無沙汰に見えるジェフは心なしかそわそわしているようだった。落ち着きなく視線を泳がしたり足をピクピク動かしたりする彼の動作に気づいたチャルは、キウイを半分に切り分けながら声をかけた。


「何かうれしいことでもあるの?」

「え、おれ?」

「うん。なんかそわそわしてるみたいで、落ち着きないよ」

「そうだったっけな。まあ、楽しみがあるといえばそうだけど」

「この街に何かあるとか」


 チャルはてっきり街に楽しみがあるのかと思っていた。

 こうしてどこを訪れるのかという裁量は、基本的にジェフに任されていた。普段あまり何も考えずから送られてくる情報マップを基に行く場所を決めているようであったが、そうでなければ稀にジェフ本人の興味のある場所に車を向かわせていた。魅力のある場所は旧時代に大方消えてしまったといわれているのに、不思議とジェフはその場所に何かしらの価値を見出すこともあった。


「前だって、何もない場所だというのに何枚も写真を撮ってた」

「あれは大昔の映画の舞台だったってだけだ。聖地巡礼ってやつさ」

「ここも聖地?」

「いや、この街に目立ったところはないよ。休養に寄っただけ」


 そう述べるジェフは、不意にニヤとした下品じみた笑顔をつくると少し声をひそめてチャルに言った。


「最近ご無沙汰だったからさあ。ちょっとこれから燃料補給してやろうと思って。シャーリーだって、もう油が切れてる頃だろう」


 チャルは彼の言う意味を察して赤くなった顔を背けた。この三人の中で一番屈強に見えるのは間違いなくチャルであり現実に強大なパワーを持つが、一番乙女らしいのもチャルだった。そんなチャルをからかうともなく、むかれたリンゴをひとつまみして席を立った。


「デザートを食べてくるかな」

「ぼく、ちょっとココアの残りを確認してくるよ」


 そそくさと立ち去るチャルを「そんなに恥ずかしがらなくてもいいのに」と見送り、鼻歌交じりに洗い物をしているシャーリーに近づいた。


「しゃ・あ・り・い」

「なーに、変な声を出して」

「デザートをもらいに来た」

「デザートなら、チャルがリンゴをむいてくれてるよ」

「シャーリーの果物が欲しくてね」

「もってないかな」

「持ってるさ。どこにだって」


 後ろから抱きつき鼻先に女の首筋の冷たさを感じた。ぴったりと身体を擦り付け、それに驚くこともなくシャーリーは平然と作業を続ける。ジェフはいつものように調子に乗りシャーリーの身体を内外にまさぐった。

 ジェフとシャーリーは、別に恋人関係というわけではない。どちらかといえば仕事仲間から発展した友人といったところで、それはチャルも同様だった。ただ違うのは、若い健康な肉体を持て余す二人は、しばしば情交セックスに興じるということであった。もっとも、同じく若い健康的な肉体を持つチャルは、その性格ゆえ性欲は少なくシャーリーと身体を重ねることはなかったが。


「ふーん、食べごろだ。瑞々みずみずしさがよく伝わってくる」


 ジェフは両手の感触を楽しみながらシャーリーの頬に唇を寄せていた。性感帯を弄ばれシャーリーはわずかに顔を赤らめながらも、洗い物を続け呆れたような声を出した。


「シャワーもまだだから汗臭いわよ」

「それは興奮する。汗だくで絡み合うのも乙なもんだ」

「洗濯が大変」

「おれが全部やってやるさ」

「今日はダメ。疲れてる」

「もうちょっとでその気になるって」


 耐えているつもりだが、何度もシャーリーと身体を重ねたジェフは彼女のツボを心得ており、その指先の猛攻幾らかは打撃を与え心身共にを起こす。そしてジェフは耳に優しく歯を立てた。


「正直になっちゃえよ。身体の方は素直みたいだぜ」


 蛇口を締め、皿を並べ終えたシャーリーは、瞬間ジェフの両腕を身体から離すと手を握って向き直った。ジェフはなんともうるうると滴った両眼に見つめられ、陥落に成功したと思い込んだ。そして、相手の唇をついばもうと首を傾けたが、それよりも早くシャーリーの唇はジェフの顔に飛び込んできた。歯がぶつかり合うようなディープいキス。女の舌は情熱的で、男の方が気圧されそうだった。柔らかく甘いシャーリーの唇と舌、それに口腔を思う存分堪能してから、いよいよベッドに押し倒そうとした時だった。


「はいここまで。疲れた!」


 ベッドに倒された、いや、突き放されたのはジェフの方であった。官能的な軽い水音の余韻を感じつつ、惚けたような顔で下腹部を爆発しそうに膨らませた哀れな彼は、彼女の疲労に敗北したことを悟った。シャーリーはすでにバスタオルを持って浴室に入ったところだった。


「そりゃないだろう⁉こんな思わせぶりなことしといて、どうくれるんだ!収まりがつかねえぞ!」

『しらなーい』

「責任取れ!」

『今はあんたと戯れてるほど元気じゃないの』


 擦ガラスの向こうでは揺れるスタイル抜群の肌影が湯気に映し出されている。興奮したジェフはいてもたってもいられなくなった。


「堪えられねえ」


 彼はハンモックまで戻り、シャーリーが先ほどいじくっていた拳銃を取るときびすを返して浴室の前に立った。


「・・・・」

『まだそんなとこにいたの?の弾は早く抜いちゃったほうがいいわよ』


 またしても無慈悲かつ無遠慮な言葉が返ってくる。ジェフはイラつく勢いまかせに拳銃を黒ジーンズに挟んだインサイド・ホルスターにねじ込み、逆上したかのような声を出して車を飛び出した。


「もうしばらくは頼まねえよ!」

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