二章:巨悪
その集合住宅は五階建てであった。エントランスは大理石を磨き上げたかのような美しい床が広がっており、二階部分まで吹き抜けのようであったと覚えている。
私は、その光景に目を奪われた。タワーマンションでなくとも、この住まいは高級に値すると確信したからだ。訪問員が職業ならばなおさらである。
「ここ、月20万近いらしいよ」
さらりととんでもない発言をしつつ、彼はオートロックのボタンを501と押した。
…聞きなれたピンポーン…と二回繰り返す音。
いつもならば、社員証を見せつけながら礼をするんだよな…などと、職業病にも似た思いが走る。これほど素敵な場所であれば、きっと衛星契約になるだろう。とも思った。
一瞬、プツリと音がした。それはインターフォンを対話にした証の音。501と言う数字が消えたのも、それを裏付ける。
そして…。そのままオートロックは解除された。
誰が住んでいるのか、その主の声を聴くことは出来なかった。
「ほい、入るぞ」
彼が言う。その後に続いて進む。
オートドアの先のエントランスは、これまた新築さながらの美しさがあった。
近未来的…と比喩しよう。
そして、同時にエレベーターのドアが開いた。
「ここさ、勝手にエレベーターが来てくれるんだよ」
「すごいですね」
「しかも、行先の階にしか行けない。勝ってにボタンが押されてるんだ」
改めて驚かされる。
エレベーターの広さは、1.2メートル×2.3メートル程度で、非常に広々としていた。
中の匂いも、床に敷かれた新品のカーペットから漂うかのような、非常にすっきりと、それでいて工業的であった。
そして、まるで私の運命はこの時点で地獄に向かう事が確定していたかのように…。
それは静かに、動き始めた。
…。
エレベーターを降りて左に曲がる。
距離はたったの2メートル程度の部屋。501と書かれていた。
ドアはノブを捻るような物ではなく、昨今の住宅でよく使われる「引く」タイプの物であった。
彼は、まるで自分の家のようにガチャリと明け、中へと入る。
だが、私は職業上、許しが出るまで…もしくは、もともと中に入る事自体を行わない為、ドアの前で彼から言葉が投げかけられるのを待った。
するとすぐにもう一度扉は開き、「なんで入らないの?」と思うような顔で、彼が出て来た。
「ほら、入っていいよ?」
「あ、ありがとうございます」
…。
玄関は1.5×1.5メートル…。それほどの広さは無い。
今まで仕事で培ってきた目で見れば、外観からは単身向けの集合住宅である事は分かっていた。玄関の広さも予想通り。
だが、全体的に几帳面な程に磨かれて光る床やら下駄箱やらは、ファミリー向けのデザイナーズ住宅のようであった。
玄関を入って正面と左手にはドアが一つずつ。彼は正面の方を開いてずんずん進んだ。
私はそんな事よりも、自身の足の匂いが不快感を醸し出さないか不安であった事を記憶している。
「おう、お疲れ」
…奥の方から、男の声が聞こえる。それは落ち着いた僅かに低めの声であった。声から察するに、20代後半から、30代後半までの人間であろう。
靴を並べて奥を見ると、これまた部屋の豪勢さに驚かされた。
…奥には仕切りのようにホワイトボードがあった為、どのようになっているかは分からなかった。だが、左手側に見える机、いや「台」は、見間違うはずがない。
あれは、「ポーカーテーブル」だ。
私が圧巻されて言葉を失っていると、男はホワイトボードの横をすり抜けるように現れた。
「ども」
…。
腹は若干のメタボ気味、服は黒色でワンポイントの絵や字すら無いシンプルな物…だが、少しヨレヨレである。ズボンは短パン。まるでトランクスを少し長くしたかのような、海パン?と当初は思ってしまうような物。少し太めの黒縁眼鏡をかけて…。
およそ、この部屋に住むには相応しくない男であった。
…正直、私はあっけにとられた。
この場所に来るまでにしていた緊張。それはまるでヤクザの事務所にでも向かうような雰囲気と内容からきているものであったからだ。
住宅の外観からしても、喪服に似たスーツを身に着け、金髪で見るからに…と言う事を想像していた。
「お疲れ様です」
Oは、男に一礼する。
その言葉に流されるかのように、私も一礼した。
「初めまして。Yと申します」
「おう、初めまして。Mです」
M。彼はMと名乗った。
そして同時に、私の全身を軽く見た、だが、内面は舐めるかのように、慎重に見ているのが分かる。
「えっと、起業の案件だっけ?」
「はい」
「え?」
…。
待て。それはおかしい。
私は確かに、話を聞きに来た。ああ、美味い話があるから…。と。
だが、取引先との商談に来たわけでは無いのだから、初対面かつ会ってすぐに、見るからに怪しいソレを持ちかけるのは、いささか不自然では無いだろうか?
私の心に、疑惑のポイントが溜まる。だが、それはすぐにかき消される事となる。
「あー…はいはい。とりあえず座って」
「あ、ありがとうございます」
…。
リビングに入ってすぐ右手側に用意されたソファに腰掛ける。
これがまた、ふわり…と座り心地の素晴らしいものであった。
Mと言う男は、テーブルのディーラーの位置へと座り、赤色マルボロへと火を付けた。
「…あれ?ポーカーは出来るの?」
「はい」
「おー!本当?」
「はい。コイツ、チップとか買うぐらいは好きだそうですよ」
「へー!」
…Oは、私の事を推す。
それと同時、テーブル上のチップをチャラチャラと鳴らしながら座った。
「じゃあ、後でポーカーしようぜ。え?テキサスだよね?」
「はい」
「おお、良かった。なに?そう言うの好きなの?」
「好きです。テーブルゲームとか」
「へー」
…。先に皆には知らせておこう。
相手を自身の手のひらへと乗せて躍らせる為に、信用させる事。そして陥れる事を「クロージング」と言う。彼らはソレのプロフェッショナルであり、詐欺師たちの基本的なスキルの一つである。
それは初対面かつ、今までに経験した事の無い人間に対しては、想像以上の威力を発揮するのだ。
だが、逆を返せばそれは「クロージングのみが武器である」事に他ならない。彼らは嘘を正当化して話す。それに飲み込まれないように心がけるのが、詐欺に対抗できる唯一の手段である。
…だが、彼らの場合はもう少し違った。嘘の中に、本当の話が紛れ込んでいるのだ。
「え、じゃあ趣味はゲームとか?」
「はい。まあ…でも趣味と言うか…」
「コイツ、楽器やってるんですよ」
Oが楽器の話を持ち出した。それと同時、私の心は踊る。
私は、実は琵琶と言う楽器を15年近くも稽古しており、それが自信であり誇りなのだ。
それを馬鹿にされる事に対しては絶対的な怒りを見せるものの、それを話しのタネにしてもらえる事は並々ならぬ快楽となる。
「へー。何やってるの?」
「琵琶です」
「琵琶!?琵琶って…あの昔の奴?」
「はい」
「すっご…」
Mはあからさまに絶句する。オーバーなリアクションであるが、それこそクロージングの一歩目だ。
「あ、じゃあ楽器関連で組ませても良いかもな」
「…SYさんですか?」
「そう」
SY。ここで登場する名前。残念ながらその素性を明かす事は出来ない。後に語るが、彼は一種の被害者であるからだ。
勿論、皆さまが簡単にたどり着けるように、ヒントは出させてもらおう。
「なあ、SYって知ってる?」
「いえ…」
「音楽家で、アニメのEDとか制作してんだよ」
「へぇ」
「検索してみ。マジすごいから」
言われるがままにグーグルで検索をかける私。…その凄い人間と取引をしているのだと、見せつける為…であるが、私はまったく気づかなかった。
名前を検索欄に入力しボタンを押す。すると、そのSYと言う人間の会社が出て来た。
(株)SD。勿論略称であるが。
「あ、それそれ。押してみ」
と、Oが近づき、スマホをのぞき込んできた。
私は言われるがままに、会社のホームページを開いた。
そこには、所属のミュージッククリエイターの写真と名前が連ねられていた。
一番上、代表取締役の欄に…。そのSYと言う人間が居る。
「へー」
「な?すごいだろ?」
…確かにすごいのかも知れない。何故なら、彼の曲が使われたアニメには、プリ○ュアなどを始めとする、非常に有名な物が多く存在していたからだ。
そして…。私が騙された原因の一つも…そこに書かれていた。
「…え!?」
「ん?どした」
私はすっとんきょうな声を上げる。
彼の編曲した例の中に…。私の中で最上級の知名度を誇るアニメのタイトルが書かれていたからだ。
「艦○れ」。
…少し余談となってしまうが、実は私はSS投稿速報と言うサイトで小説やSSを執筆している。その内容は「艦○れのキャラクターとディズニーリゾートを巡る」と言うものから始まり、そこそこの人気を得ていたのだ。ちなみに今では、「艦○れ ディズニー」と検索すれば、一番上に候補として挙がって来る。他にも、何故かは分からないが、私のペンネームを地図上で検索すると、それこそディズニーリゾートが該当したり…。…応援して頂いた皆様には、心からの感謝を。
つまり、私が今小説を書いている最大の理由。10万回を超えるPV数を獲得する事が出来た最強の理由。それが「艦○れ」であった。
そして、そのEDソング…。「○雪」を編曲したのが…。まさにそのSY氏であったのだ。
私は流されやすく、そして馬鹿な男。
この時点で心は傾いた。
「…艦○れのED作った人が居ました」
「…?」
「私の大好きなゲームです」
「へー!」
タバコの灰を二度、三度、灰皿にたたきつけ、型遅れな白いスマホを取り出しながら彼は続ける。
「あ、そいつ普通に俺んち来てるから、会えるし組めると思うよ」
「本当ですか!」
「ほら、これ」
…。
そう言って彼が見せて来た写真。
私は驚愕する。そこに写っていたのは、まさにこの部屋。
だが、そのポーカー台に座り、今にもベットをしようとしているのは…SY氏であった。
SY氏と彼は、少なからず深い仲にある事が明白に見える。
「ちなみに、ゲームとか好きなの?」
「あ、はい。色々とやってます」
「へー…。アクションゲームとか?」
「いえ、音ゲーを少々」
少々…どころか、二寺と略されるソレは、皆伝であるが。
「あー…。俺音ゲーとか全然出来ないから、ほんとスゲーと思う。だって滝みたいに流れてくるじゃん?」
「そうですねー」
「え?何?全部見えるの?」
「半分…ぐらいは」
「うっげ…。反射神経とかめっちゃ良いでしょ?」
「いえ、大体記憶ですよ」
「それもヤバい」
またも大げさな顔をして驚く。
そしてまた、信用を得る。
きっとこの文章では、Mと言う男の実力は分からないだろう。それもそのはず。半年近く前の出来事を、記憶を頼りに書き出しているのだから。だが、会えば一瞬で理解できるだろう。「あ、この人は信用しても良い人だ」と。…思わされてしまう事実を。
腐っても詐欺師。その第一印象に加え、言葉の数々は全てが罠。
一つの話題から次々にずらし、対する人間の底を知り、掌に乗せるのだ。
ここまでで、彼は性しか名乗っていない。だが、凄い男だとにおわせる。おまけに私は、様々な情報…いや、弱点を教えてしまっていた。
「そう言えばMさん。コイツ、元Dキャストなんですよ」
「マぁジで!?」
「はい!」
「え?じゃあほら…なんだっけ豆知識とかさ、記憶してんの!?」
「はい!」
「すっご…」
詐欺師は煽てる。被害者は笑い踊る。
詐欺師は驚く。被害者は得意げな顔をする。
その実、中身はどす黒い。
私は自身の誇り、そして今までの自慢をする。それは話していて気持ちがいいし、相手が話を聞くことに特化している人間ならば猶更だ。
愚かにも。
だから私はついつい、更に口を滑らす。
「え?他に趣味とかあんの?家帰って全部琵琶とゲーム?」
「いえ、小説書いたりとか」
「小説まで書いてんの!?」
「はい」
「多彩なんだな」
「いえいえ…」
ありきたりなお世辞は嬉しい。
10万回も読まれ、褒められたと言う自分自身を肯定してもらえたようで。
「…あ、なあO」
「はい?」
「確かさ、アニメーター関連とかSY強いよな」
「スク○ェス?とか、楽曲提供してますし」
「こいつさ、マジでSYんとこ投げ込まない?」
「良いんじゃないですか?楽器関連」
「いやいや、それもそうだし。小説とかも。どっかねじ込めるでしょ」
…。
勝手にトントン拍子に話が進む。
…ああ、自身の名誉の為にも…いや、名誉なんてものははく奪されたのだが、私は彼らを信用する気はさらさら無い。
心の奥深くでは、表面に出さないように気を張りながらも、「そんな美味い話があるもんか」とは、常に思っている。
だが、彼らからしてみればどうでも良い事だろう。美味い話、リスク、そして金と人脈…。それらが一瞬でも天秤に掛けられる状態を作れるのであれば、それは底なし沼のように足を掴んで離さないように出来るのだから。
表面上でも沼は深い。触れてはならなかったのだ。
Oに連れられて、ここへと来てはいけなかったのだ。
そして当時を思い出すだけで、私は怒りと悲しみと、なにより悔しさに苛まれ、文を文章に出来なくなる。…きっと読みにくい文だろう。だが、それらの一つ一つが、私の心を表す物だと、再認識してほしい。
そして、これは初手に描いたフィクションと言う言葉の中で発する物であるが、「事実」だ。
話が逸れた。続けよう。
私が詐欺の被害にあった話 ドリメタ @dreammeter
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