常夜の少女
眠らない街、とは言われているけれども。その名の通り、私はこの街の灯が消えている瞬間を知らない。今日は花の金曜日、休日出勤だけは回避したい平日の私の努力によって、明日明後日と完全にフリーである。目指せ二日で睡眠時間二十時間、と職場から駅の間にある繁華街を今にもスキップをしそうな足取りで歩く。信号を待つ間腕時計を見ると午後十時を示している。浮かれて同僚といつもより楽しい夕食を楽しんでいたら思いの外遅くなってしまった。周りには酒であろう、赤く染まった顔ばかり。まあ、私も少しワインを飲んだのであまり言えないが。
信号が青になる。DVDでも借りて帰ろうかと普段は曲がらないラーメン屋の角を左に曲がったところで、私の視界が白い何かをその隅に収めた。思わず振り返ると。
「女の子?」
そこには建物の間で蹲る、白いワンピースを着た女の子がいた。
ここは住宅街からは少し離れているし、間違っても小さな子供が外を出歩く時間帯ではない。私はその女の子に近寄ると、同じく屈んで話しかけた。
「どうしたの?」
その子はすすり泣いているようだった。長い髪に隠れた顔からは時折しゃくり上げる声が聞こえ、小刻みに肩が震えている。暫く待っても返事が返って来なかったので、重ねて尋ねる。
「迷子かな?」
女の子は首を横に振った。
「じゃあ、どうして泣いているのかな?」長女としての経験がこうして活きるとは思わなかった。落ち着くように、優しい声色を心掛ける。「お姉さんに教えて?」
「朝が」
女の子が少し顔を上げ、見えるようになった口が少し動いた。
「朝?」
「朝が来ないの」
そう言って、私をようやく見たその瞳は酷く泣き腫れていた。
取り敢えず彼女が泣き止むのを待ち、ハンカチとティッシュを渡す。息も整って来たところで、改めて話をすることにした。
「お名前は?」
「
「明るくて素敵な名前だね」
そう言うと少し笑った。「ありがとう」
「お父さんとお母さんは?」
そう、そもそもこの子の両親は何をしているのだろうか。あまり怖い人でなければ歳上であろうと説教してやろうと密かに決意する。
「置いていかれちゃった」
「どこにいるかは分かる?」
「うん」少し沈んだ声で答える。「でも私は行けないの」
「じゃあ、お姉さんが連れて行ってあげる」
ここで交番に行って警察に任せようという考えが浮かばないところが、私が良く周りから『出世し辛そう』と言われる所以なのだろう。しかしこういう事はちゃんと自分で面倒を見てあげたかった。
「無理だよ」しかし彼女はまた俯いてしまう。「もう、どうやっても行けないの」
「そんな事ないよ、ほら、何処にいるのかな」
「朝」また陽ちゃんは言う。「朝になれば迎えに来てくれるのに」
「なんだ、じゃあ朝まで一緒にいてあげる」
立ち上がって、なるべく頼もしく見えるように両手を腰に当てる。
「そうしたら、陽ちゃんはお父さんとお母さんに会えるんだよね」
どうせ明日は日中ずうっと惰眠を貪る予定なのだ。私は陽ちゃんの手を取って、時間を潰せるところを求めて歩いた。
閉店時間までファミレスに居座り、その後はコンビニでホットスナックと飲み物を買い少し歩いた先の住宅街にぽつんとあった公園のブランコに並んで腰掛けた。小さい子を連れている私を怪訝な顔で見る者もいたが、警察を呼ばれなかったのはこの街の薄情さに感謝しなければいけない。
ブランコで肉まんを齧りながら沢山の事を話した。陽ちゃんの好きなアニメの話、実は足が速いのが自慢だという事。家の事を訊くと困った顔で黙ってしまうから、結局何も聞くことは出来なかった。
腕時計がそろそろ夜明けだと教えてくれる。遠くに目を凝らすと、建物の間に見える空が微かに白んできていた。陽ちゃんも寝てしまうと思ったが、眠くはないらしくずっとその瞳は開かれたまま。
「そろそろ朝だよ」
「うん」
そういえば夜明けなんて見るのは何年振りだろうな、なんてぼんやり思いながら明るくなっていく空を眺める。ブランコを降りて私は立ち上がった。
それから十分程過ぎただろうか。遂に朝日が今まで堪えていたものを解き放つかのようにその光を零した。少し冷たい風と共に、私の周りが一気に朝焼け色に染まる。余りの美しさに数秒見蕩れた後、陽ちゃんの方を振り向いて言った。
「ほら、朝になったよ」
しかし、そこにあったのは微かに揺れるブランコと、その下に転がる彼女が飲んでいたココアの空き缶だけだった。
「陽ちゃん…?」私は慌てて辺りを見回す。「陽ちゃん、何処に行ったの?」
何処かへ隠れたのかと思ったが、そんな場所は無い。公園の外まで走ったが、まだ静かに寝息を立てる町並みがあるだけだった。
「何で…」
そこで私はやっと彼女の言っていた事を理解した。彼女を夜に置いてきてしまった。
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