時報はまだ聞こえない
今日は何処かで花火大会があるらしい。くぐもった爆音が木霊する中、僕は缶チューハイを片手に縁側に座った。
「遅かったけど、何してたの」
「僕の分だって残しておいたやつを飲まれちゃってさ、代わりを探してた」
前は海、後ろは山。交通手段といえば車か一時間に一本の電車。そんな田舎の町には年に二度、東京の大学へ進学した幼馴染みが帰って来る。親友というにはあまりにも近く、まるで家族のように育った。
「相変わらず仲がいいことで」
正月ぶりに会う彼女はしかし何も変わらず、大学に入って軽く染めた髪は最早見慣れた色となって揺れている。
「いつも喧嘩ばかりだよ」
わざと呆れた風に言うと、彼女はアイスキャンディーの棒を噛みながらくくっと昔の面影を残した悪戯っ子の顔で笑った。
「それでどう、職場には慣れた?」
「二年目なんだから、まだ慣れてないなんて言ってられないよ」
地元の決して大きいとは言えない企業だが、それ故か他意は無しに”アットホームな職場”でそれなりに楽しくやっている。ブラック企業だ何だと言われている世間で、僕はなかなかに幸運だと思う。
「あんた人付き合いは下手じゃないもんね、その割にはいつも私達とばかり遊んでたけど」
「得手不得手と好き嫌いが一致するとは限らない」
「成程」
缶に口を付ける。炭酸の刺激と爽やかなレモンの味が舌の上に広がり、こちらはようやく慣れ始めたアルコールの苦味を置いていく。
そう、僕達は十五年前から何も変わらない。
「そういえば、そっちはどうなんだ」
「どうって?」
強いて言うならば五年前から僕の方が高くなった目線と、今年から酒が飲めるようになったこと。後は――――
「件の彼氏、まだ上手くやってる?」
毎回の恒例行事、僕達は半年間の近況を交換した。僕からは去年よりも少しだけ給料が上がったこと、一ヶ月に二度も風邪を引いたこと。彼女は「何とも平和な半年間だね」と笑った。
「そっちは?」僕は話し終えた喉をチューハイで労う。「何か大事件でも無いの」
「特に無いなあ」
彼女からは二年生になって大学の講義が難しく大変だということ、最近できたクレープ屋にハマってしまったこと。それに
「なんだかんだで仲良くやってるよ」
「随分と我慢強い彼氏さんだね」
わざと口角を上げて、にやにやと言う。
「それは宣戦布告と受け取るからね」
アイスキャンディーの棒で脇腹を突かれる。結構痛い。
「冗談だよ。彼氏が出来たって聞いたときは驚いたけど、未だに続いてるのはもっと予想外」
「昔はあんた達と遊び回ってて青春する暇も無かったからね。遂に我が人生に春が来たって感じ」
悔しかったらあんたも彼女作ってみろと細める視線に、いずれね、と手をひらひらと振って曖昧に返す。
「それにしても、こうやっていると昔を思い出すね」
「小学校に入る前からつるんでたからね」
いつもの公園で、日が暮れるまで遊び回った少年時代を回想する。十七時半の町内放送が流れたらそれが解散の合図、また明日ねと手を振って、その約束が破られたことは一度も無かった。ブランコから夕日がとても綺麗で、帰る前に必ず登って目に焼き付けてから帰っていたのをはっきりと覚えている。
「また皆で遊ぼうか、昔みたいに。海にでも行きたいな」
「全員帰って来てるの?」
僕はスマートフォンを操作する。
「どうだろう、皆働いてたり県外に進学したりしてるからなあ」
「厳しそうだね」
昔の遊び仲間達にメッセージを送る。そうしている間、彼女は何も言わずに花火の音が響く夜空を眺めていた。
「難しいみたい」
暫くして返信が来る。薄々予感してはいたが、帰省のタイミングやそもそも帰って来ない人もいてそれぞれ予定が合うことは無さそうだ。
「残念。じゃあまた今度の休みにね」
今度は休みの前に予定を詰めておこう。そう言って彼女はサンダルを引っ掛けて立ち上がる。いつの間にか花火の音は聞こえなくなっていた。
「じゃあ、そろそろこの辺で。この顔を見ないと帰って来たって感じがしないや」
「帰省を実感できたようで何より」
「最早家族みたいなもんだからね」
「煩い妹を持ったなあ」
「私が姉だ、馬鹿め」
またね、と手を振り彼女が歩いていく。僕は縁側に腰掛けたまま、曲がり角に消える背中を見送った。
「さてと」
僕だけになった縁側、遠くから蛙と虫達の合唱が聞こえ、家の中からは両親が見ているのであろう野球中継の音が聞こえる。
目を閉じる。瞼の裏に浮かぶのはやはりあの夕焼け。手を振って交わした、絶対に破られないはずだった約束。
「いつからだっけ、あの公園で遊ばなくなったのは」
多分、僕はあの夕暮れに一人置いて行かれてしまったのだろう。皆が中学生になって、高校生になって。就職や進学をして。気が付けば皆離れ離れになってしまっていた。それでも僕はあの公園で一人、約束を信じてずっと待っているのだ。
「精神年齢が僕だけ子供のままだな」
どれだけの時間が流れようが、僕の中の風景はずっと変わることがなかった。それを思い出として美しくアルバムに飾るには、まだあの赤が鮮烈過ぎる。
皆成長していくのだ。人は変わっていく、それは止められない。だからこそ。
「家族、かあ」
零した言葉を、僕と虫達だけが聞いていた。
身長を追い抜いても、酒が飲めるようになっても。僕達は十五年前から何も変わらない。
何も。
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