CASE:10 月面旅行者
「お待たせいたしました。九時三十五分発の月面行きスペースシャトルの搭乗準備が整いました。チケットデータを取得されているお客様は三番ゲートへお越しください」
場内アカウンスを聞いた司は、三番ゲートへ向かった。
司は、判定官の制服ではなく太めのボディラインがよく出ている私服を着ていて、録画ドローンも浮いてなかった。
久しぶりに二日間の連休が取れたので、月面旅行に行くことにしたのだ。
今居るのは羽田SS港、羽田空港を大幅に拡張してスペースシャトル用の発着所を設けた場所だった。
なお、SSとは空(SKY)と宇宙(SPACE)のイニシャルを合わせたものである。
三番ゲートに行き、全身スキャンによる危険物のチェックを受けた。
「お客さま、録画用の電子機器をお持ちですか?」
「小型録画ドローン、仕事柄必要になる時があるんでね」
判定官の手帳を見せながら説明した。
「これは失礼いたしました」
司が国家公務員だと知った検査係は態度を改め、丁寧な仕草で頭を下げた。
「別に構わないよ。慣れているから」
司は、手帳をしまいながら返事をした。判定官の規則として手帳や録画ドローンを手放すことは許されず、空港ではこのような面倒なやりとりをしなければならないからだ。
荷物検査の後、搭乗口で角膜と指紋認証によるチケットデータの確認を受けた。
個人情報の全てが番号で管理されている為、各チケットや出星手続きなどは全てデータ化されていて、本人認証だけで済ませられるようになっているのだ。
シャトルに乗り、予約した席に座った。
機体の真ん中かつ窓際の一番いい席だった。国家公務員の特権を行使したのである。
窓越しから着陸や待機などをしている飛行機やスペースシャトルを眺めるというSS空港ならではの風景を楽しみながらこれから始まる旅行に胸を高鳴らせた。
「ちょっと、よろしいかしら?」
声のする方を見ると、司以上に大柄な御婦人が隣の席に座ろうとしていた。
「は、はあ」
返事の後、御婦人が席に座ると窓際に体を押された上に左側の肘掛けは完全に占領されてしまい、せっかくの気分がぶち壊されてしまった。
発射時刻となり、シートの背中からシートベルトの代わりとなる微弱の磁力によって体が固定され、乗客全員の固定確認後にシャトルは動き出した。
車輪走行で滑走路を移動し、マスドライバーに乗りながら車輪をしまい、それと平行して点火したエンジンのジェット噴射によって一気に駆け上がっていった。
マスドライバーから離れた機体は、推進力を最大にして上昇し、成層圏を抜けたのだった。
「皆様、お疲れさまでした。地球の重力圏から出ましたので、通常航行に入ります。それに合わせてシートの固定も解除いたしましたので、各種サービスを開始いたします。お申し付けの際にはシートのパネルにてお選びださいませ」
乗務員のアナウンスを聞いた司は、早速ドリンクメニューの中から十五夜酒を選択した。
月で作られた十五種類の米をブレンドして作られた酒で、月行きのスペースシャトルでしか提供されないものであり、無類の酒好きである司にとってはたまらないものだった。
選択して数秒後、カートに乗せられて運ばれてきた十五夜酒を手に取り、口を付けようとした寸前で、手帳からコールが鳴った。
「渡部です。課長ですか。え、緊急の依頼ですか、分かりました」
通話を切った司は、大きなため息を吐いた。
出かけ先で依頼を受けることは、これまで何度となくあったが、よりにもよって酒を目の前にしてのタイミングはないだろうと思った。
一口でも飲んでいれば飲酒状態ということで、仕事をしないで済んだかと思うとなおさらだった。
「あの、よろしければどうぞ」
司は、十五夜酒を隣の御婦人に進めた。
「あら、よろしいんですの?」
「ええ、急な仕事が入って飲めなくなったものですから」
「それは残念でしたわね。では、いただかせていただきます」
御婦人は、司が勧めた十五夜酒を数秒で飲み干した。
その後、味が気に入ったらしく何杯もおかわりし、それを横で見ている司は、これも国家公務員の勤めと自分に強く言い聞かせることで、溢れ出そうになる怒りを心の底に押し込めた。
シャトルは予定通りに月面空港に着陸し、御婦人の後に続いて降りた。
「渡部司だな」
ゲートを出てすぐにスーツを着た金髪で長身の男に声をかけられた。
「おたくは?」
「クローン再生判定官月面支部のロバート・パトリックだ。あんたのお出迎え兼案内係さ。よろしく」
ロバートは、軽い調子で挨拶した後、右手を差し出した。
「こちらこそよろしく」
司は、握手に応じた。
月面では、多数の人種が住んでいるので、担当が日本人とは限らないのだ。
「月は初めてか?」
「いいや、これを入れれば十回目だ」
「仕事で来たことは?」
「初めてに決まっているだろ。俺は地球の日本支部所属だぞ」
「それなら案内係としても十分役に立てるわけだ」
「どういう意味だ?」
「遺体安置所の場所は知らないだろ」
「そうだな」
司は、ロバートの言葉に納得した。
ロバートに案内されたのは、空港の東端のブロックだった。
中に入ると、シーツをかけられた死体の側で、老婦人が大泣きしていた。
「奥さん、大丈夫ですか?」
司は、老婦人を宥めようと冷静な声で話しかけた。
「どちら様でしょうか?」
老婦人は、涙を堪えながら返事をした。
「地球日本支部所属のクローン判定官の渡部司です」
手帳を見せながら自己紹介した。
「私は、
「確認しました。よろしければご主人の判定を始めさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「お願いします」
智恵子は、承諾の返事をした。
「それでは始めます。録画開始」
司にスイッチを入れられたドローンは、二人を撮れる位置まで飛んで、録画を開始した。
月面旅行の最中に対象者が死亡した時には、地球と月のどちらの判定官に依頼するかは依頼者任せとなっている。
月に人類が定住するようになって一世紀近くが経とうとしているが、今でも月に住む人間に対して差別意識を持つ地球人は多く、無理に判定を行えば帰星後に両方の政府にクレームを入れてくる者が出てくるからだ。
そして今回の案件では地球人を指定し、そのタイミングで近くに居た司が担当することになったのだ。
なお、火星で死亡した場合は、火星の判定官に一任されている。地球から遥かに離れているので、判定官を待っていては滞在期間を過ぎてしまうからだ。
対象者は
和義は、無類の酒好きで若い頃から何度も病院に担ぎ込まれては、薬物治療を行ってきたことで薬に耐性ができてしまい、治療不可となり、酒を断たなければ死ぬと医者に宣告されてからは美智子の厳重監視の元に飲酒を止めることができたのだ。
そうして今日、結婚四十周年記念で、月面旅行に行ったことで悲劇に見舞われた。
シャトルで移動している最中、美智子がうたた寝をしている時に十五夜酒を飲んで死亡してしまったのだった。
「私が、私が居眠りさえしなければ主人は、主人は~!」
自責の念に絡れている美智子は判定の間中、ずっと泣き続けていた。
ロバートといえば、それらの様子を黙って見ているだけだった。
下手に何かを言って、責任が自分に向くのを避けるつもりなのだろう。
「判定結果が出ました」
「主人は、再生できますでしょうか?」
「本件は再生不可とします」
「何故ですか?」
「ご主人は、自身の健康管理ができずに死亡したからです。また勤労義務に平均寿命を考慮して不可としました」
「自殺でも再生することもあるじゃないですか?」
「自殺の場合ですと他者や周囲の環境との因果関係もありますが、今回の場合は完全な自己責任ですから許可はできないのです。承認をお願いします」
司は、除菌ガーゼで一拭きした手帳の指承認部を差し出した。
「やれやれだな」
司は、椅子の背もたれにおもいっきり体重を乗せながらボヤいた。
「あんな言い方されりゃあ、誰だってあんな状態にもなるさ」
ロバートは、気楽な調子で返事をした。
美智子は、判定結果を受け入れられないばかりか、会話さえできないくらいに興奮してしまい、気持ちが収まるまで別室で休ませているのだ。
「もう少しマシなやり方をしろよ」
「俺は仕事には私情を挟まないし妥協もしない主義なんだ」
「立派な志だ。それよりも腹減ってないか?」
「そういや本来の予定じゃ飯の時間だな」
「それなら何か買ってきてやるよ」
「そりゃあ、どうも」
司の返事を聞いたロバートは、部屋から出ていった。
二人は、美智子とは別の部屋で待機していたのだ。
「飯、買ってきたぞ」
十数分後、右手に袋を持ったロバートが戻ってきた。
「ロバート、依頼者が判定を承認するそうだ」
手帳から口を離しながら言った。
「いきなり心変わりかよ。あの婆さんにいったい何があったんだ?」
「直接、本人から聞けば分かるだろうよ」
部屋を出た二人は、美智子の居る部屋に行った。
「判定官さん、お待ちしていました」
二人を出迎えた美智子は、手が付けられないほど泣いていたのが、嘘のように凛とした姿勢で立っていた。
「承認されるということでよろしいですか?」
「もちろんです」
美智子は、きっぱりと言い切った。
「何かあったのですか?」
「先程、娘から連絡がありまして、主人の死を知った愛人を名乗る女が妊娠している子供の養育費を含め、財産の一部を寄越せと言ってきたんです。酒を止めた裏で知らない女と付き合っていたなど絶対に許しません。あんな人死んだままでいいんです!」
「な、なるほど」
あまりの剣幕に二人供完全に気負されていた。
「早く承認させてください!」
「分かりました」
強い力で承認した美智子は、地球へ戻って愛人と決着を付けると息巻いて、部屋から出ていった。
「あんたはどうするんだ?」
「地球へ帰るよ。報告書を書かないといけないんでね」
「そうか」
「短い間だが、世話になったな」
「なあに、俺が地球に来ることがあった時にはよろしく頼むぜ」
「任せろ」
「そうだ。これ、シャトルの中で食べていけよ」
ロバートは、持っている袋を差し出した。
「ありがとう。録画停止」
礼を言いながらドローンを止めた司は、地球行きのシャトルに乗る為にチケットカウンターへ行った。
「あいつ、いったい何を買ってきたんだ」
袋から中身を取り出すと十五夜丼と書かれた包みが出てきた。
月面の名物丼飯だった。
「これ、あんまり好きじゃないんだよな」
司は、課長の土産物にしようと十五夜丼を袋に戻した。
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