第5片 記憶の障害

 私は呆然としてしまった。

 だって駿くんの態度も言葉も想定外だったから。今までちょっとしたケンカをすることはあったけど、こんなに敵意に満ちていたことなんてなかった。


 私のことを名字で呼ぶのもおかしい。いつもは名前で呼んでくれているのに。

 そもそもこんなに拒絶される理由が思い当たらない……。


 私が戸惑っていると、駿くんはさらに息巻いて言葉を続ける。


「河野っ! お前は子どものころからずっと、俺をイジメてきたっ! 今日だって俺の姿を見て、笑いにきたんだろっ!」


「ちょっ!? し、駿くんっ、な、何を言ってるのっ?」


「この期に及んでとぼける気かっ? 二度と俺の前に顔を見せるな!」


「キャッ!」


 私は駿くんから枕を投げつけられてしまった。ただ、利き手ではない左手でのことだったから、枕の勢いがない上に明後日の方向へ飛んでいってしまう。


「駿っ、何をしてるのっ?」


 その時、駿くんのお母さんが病室に戻ってきて私たちの間に入った。手には花の生けられた花瓶を持っているから、それの水の入れ替えに行っていたのだろう。


 当然、駿くんのお母さんも何が起きたのか分からず眉を曇らせている。


「母さんっ、早くコイツを病室から追い出してくれよ!」


「どうして? 沙耶ちゃんは駿のお見舞いに――」


「コイツは俺を笑いにきたんだ! 今までだって毎日イジメられ続けてきた! 母さんだって知ってるだろっ?」


「えっ? 駿、何を言って――」


 駿くんのお母さんは明らかに当惑していた。

 でもそれも当然。だって私が駿くんをイジメるなんてこと、毎日どころか一度だってなかったんだから……。


「河野っ、早く出ていけっ!」


「さ、沙耶ちゃんっ! とりあえず病室を出ましょう!」


 私は駿くんのお母さんに背中を押され、一緒に病室を出た。

 するとちょうどその時、若い女性の看護師さんが今の騒ぎを聞きつけてやってきたので、私はその場で起きたことの全てをありのままを話した。


 それを聞き終えた駿くんのお母さんは、口に手を当ててしゃくり上げる。


「うぅ……駿はどうしてそんなことを……」


「もしかしたら彼は事故の影響で、記憶が錯綜しているのかもしれません。今日はこれでお帰りいただいた方が……」


 看護師さんは伏し目がちに私をチラチラと見つつ、申し訳なさそうに言った。

 確かにこのまま駿くんと話をしようとしても、さっきみたいなことの繰り返しになりそうな気がする。


「……分かりました。私、今日は帰ります」


「ごめんなさいね、沙耶ちゃん。せっかくきてくれたのに。詳しい状況が分かったら連絡するわね」


「はいっ!」


 私は無理矢理に笑顔を作り、空元気を振りまいて駿くんのお母さんに返事をした。そしてお見舞いのお菓子を手渡すと、病院をあとにしたのだった。



 でも病院を出た途端、我慢しきれなくなって大泣きしてしまった……。

 

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