4.1人と1人
紫苑「あなたのほうが濡れているのに」
わたしがそういうと、彼は確かに、といって微笑んだ。
そうしてまた、わたしのいない世界を眺めていた。
何を見ているの?
―――その言葉がわたしの口から発されることはなかった。
聞きたかった。しかし、聞けなかったのだ。
聞いてしまっては、踏み込んでしまっては、引き返せず、そして2度と会えない。
そんな予感がした。
?「…入学式、今日だったでしょう」
幾分か時間が過ぎたとき、彼は世界だけを見つめながら、そういった。
紫苑「うん、そうよ。どうして?」
わたしが聞き返すと
?「かばんが新しい」
さっきの一瞬で、意外と細かいところまで見ていたようだが、答えになっていないように思えた。
入学式が今日ってこと、なんで知っているんだろう。
でも、この問いも投げかけることはできなかった。
人間と人間の間にある、距離を感じた。
漠然とした孤独。
今この瞬間、わたしたち2人は確かに存在しているけれど
それは2人ではなくて、1人と1人だった。
そうしてまた、しばらく経った。
雨の音は次第に濃くなっていった。
時間にしたら、1時間と半分くらいそこにいたはずだ。
でも、足も疲れていないくらい、雨の音と流れた時間は心地よかった。
?「…そろそろ家に帰ったほうがいい。心配する」
少しかすれた声で静かにそういわれた。
誰が、というのは聞かなくてもわかる。親だろう。
?「オレもそろそろ行くから」
彼は立ち上がって、再びわたしを見た。
目が合うのは、2回目だ。
心臓がうるさい。
彼は、帰るとは言わなかった。
どこへ行くんだろう。それも、彼に聞けなかったことのうちの一つだ。
でも今度こそ、今度こそ何か…
そしてやっと絞り出した言葉は
紫苑「あの……また、会える?」
―――わたしは一体何を言っているんだ。
言ったあとでそう思ったが、
でも、わたしがそう聞くと、彼は自分の紺の傘を開きながら言った。
?「傘、ありがとう」
優しい声だった。
ただし―――全然かみあってはいない。会話としては0点だ。
でも、わたしにはそれでよかった。十分だった。
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いつかまた会えると、直感がそういっていたから。
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