第四十八楽曲 自覚

自覚のプロローグは美和が語る

 お父さんが亡くなって8年。今年のお盆も例年通りお母さんと弟の詠二えいじと一緒にお墓参りに来た。市内では最も広大な墓地公園だ。

 山の中腹にあるこの場所は周囲が密林なので藪蚊が多い。それなので虫よけのためにすぐさま束のお線香に火を灯す。ただ周囲が密林で日陰もあるはずなのに、私の家の墓石は墓地公園内の一区画の中ほどにあるため日差しが強い。立っているだけで汗が染みてくる。


「詠二、墓石磨いて」

「ん」


 お母さんに桶を手渡された詠二は喉を鳴らして返事をする。その桶の中には水が八分目ほどと、たわしが入っている。素直に作業に取り掛かった詠二ではあるが、中学に入学した頃から愛想が無くなった。小学生の頃は活発でいつもニコニコして可愛い弟だったのに。

 ただ思春期を迎えた男の子の成長とは面白いもので、詠二は既に私より背が高い。先日中学の野球部を引退したばかりだが、運動をしていると体はより成長するのだろう。顔つきも逞しくなっているように思うし。


 お母さんがお花に水を差して花立に生けるので、私は軍手をはめて足元の草取りをした。作業中はキャップの下で額の汗を拭うが、これほど暑いならキャップではなく広つばハットを被ってくれば良かっただろうか。まぁ、顔つきがきつい自覚のある私には似合わないこと間違いなしだが。私のバンドの他の3人なら似合うだろうから羨ましい。


 3人各々の作業が終わったのは大体同じタイミングだった。お母さんから私と詠二は小分けにされたお線香を手渡されてお墓に立てた。そして3人肩を並べて屈むと合掌をした。


 お父さん、芸能事務所の所属が決まったよ。お父さんの大好きなロックで、バンドメンバーとしての所属だよ。メジャーデビューも掴めるかもしれないところまできたよ。来年からは東京に出て頑張るから、これからも見守っててね。それからこっちに残るお母さんと詠二のことも見守っててね。


 合掌を解いて顔を上げると、弱い風が頬を撫でた。ふと隣を見るとお母さんは目を細めてお父さんを見ていた。詠二もお父さんを見ているがあまり表情がない。彼は何を思うのだろうか? ただその表情はどこか頼もしく思えた。尤も根拠は何もない。


「それじゃぁ、行こうか?」


 お母さんが立ち上がり荷物をまとめながら言う。私たち姉弟はお母さんについて駐車場に向かった。途中桶を水場に返してからお母さんの軽自動車に乗り込み、私は助手席でシートベルトを締めた。そこでふと思い出してお母さんに言った。


「お母さん、ちょっと寄ってほしいところがあるんだけど?」

「いいわよ。けどお母さんこの後用事があるからあまり時間かけないでね」

「うん。この公園内だから大丈夫」

「ん? この墓地公園?」

「そう」


 お母さんは家のお墓以外でこの場所に何の用事があるのかと怪訝な様子だ。とりあえず車を出してくれたので、私は昨年の記憶を頼りに道案内をした。そして程なくしてその区画に到着した。


「どちらのお墓?」

「大和さんのお爺ちゃん」

「まぁ!」


 広大なこの墓地公園には菱神家のお墓もある。私は昨年、大和さんに連れられて来たのでこの場所を覚えていた。それでせっかくなので、お線香をあげたいと思ったのだ。


「私もお参りに行くわ」

「あ、そう?」


 そうなるのか。全然構わないけど。


 お母さんは私の面倒を真摯によく見てくれる大和さんに一目を置いている。正確には「私たち」だが。お母さんは芸能事務所の所属説明会の時も、丁寧に腰を折って「娘がお世話になっております」と大和さんに挨拶をしていたくらいだ。

 ただ恋人関係なのは言っていない。だってメンバー4人全員が大和さんのカノジョだから。話が面倒くさくなりそうだ。

 家族に言っているのは唯とのんだけで――そもそもこの2人はフライングだし、自分だけの関係を言っている――古都すらも結局は家族に関係を言っていないとか。古都が大和さん大好きなのは言ってあるそうだが、やっぱり話が面倒くさくなりそうだからだとか。


「詠二も降りて」

「はぁぁぁあ?」

「グダグダ言わないの。早く」


 菱神家のお墓がある区画の駐車場で、後部座席の詠二は面倒くさそうな様子だ。ガラケーに指を這わせてなかなか車を降りようとしなかったが、お母さんの押しに負けて渋々車を降りた。そもそもガラケーなのに、何をそんなに用事があるのだか。

 車を降りた私たち家族3人は桶に水を汲んで歩き始めた。お花は持っていないが、もし生けてあったらお水の交換ぐらいはしたい。


 やがて菱神家のお墓が見えて来ると、その墓石の前には私がよく知る男女2人がいた。もちろんこんな時期にこの場所だから偶然とは言えないのだけど、会えたことに私の胸は躍る。私はすかさず2人に声をかけた。


「大和さん。杏里さん」

「あれ? 美和」


 振り向いた杏里さんが声を返してくれた。大和さんも振り向いてくれたが、まさかの私たち家族の登場にキョトンとしている。そのまま歩を進め菱神家のお墓の前まで到着すると、すかさずお母さんが大和さんと杏里さんに腰を折った。


「こんにちは。いつも娘がお世話になっております」

「こんにちは。こちらこそ。今日はどうしたんですか?」


 この時には表情を戻していた大和さんがお母さんに質問をした。


「うちのお墓もこの公園内で、さっきまでお参りをしてたんです」

「そうだったんですか」

「それでもしよろしければ、美和がいつもお世話になってるお店の先代さんのお墓なので、お線香をあげさせてもらえたらと思いまして」

「光栄です。ぜひ」


 大和さんは私の大好きな朗らかな笑顔で了承してくれた。それで私たち家族は菱神家のお墓にお線香をあげることができた。大和さんはこのお爺さんがいてこそ音楽活動ができた。今やカノジョでもある私にとっても尊い人だ。


「2人ですか?」


 お参りが終わって駐車場へ歩きながら私が大和さんと杏里さんに問い掛ける。すると大和さんが答えてくれた。


「うん。親戚一同で来るとごった返すから、今年は2人で来た」

「そうなんですね」

「そちらは弟さん?」


 その質問に私ははっとなった。そう言えば詠二は大和さんと杏里さんと初対面だ。幼馴染の正樹がゴッドロックカフェで濃い交流をしているものだから、その正樹と懇意にしている詠二はとっくに面識があるものだと固定概念があった。

 桶を返そうと水場で足を止めたところで詠二を前に出す。


「詠二。自己紹介」

「弟の詠二っす」

「こんにちは。お姉さんのバンドのプロデューサーで菱神大和です」

「私は大和の従妹でバンドのマネージャーの柿倉杏里です」


 大和さんと杏里さんの自己紹介を聞いた詠二は顔を突き出すような仕草を見せた。それで頭を下げたつもりか? て言うか、ポケットから手を出せよ? そもそもそのポケットの中のガラケーの通知音がさっきから煩いよ。まぁ、通知は一方的に来るものだから仕方ないとして、その態度は失礼だろ。育て方を間違えたかなぁ?

 お母さんは桶を片付けながら私たちの様子を微笑ましく見ていた。そこから駐車場までの距離は短い。そんな中でも会話は進み、大和さんが質問をした。


「今日はもう帰るの?」

「はい。この愚弟にお昼ご飯を作らないといけないので」

「さすが、美和」

「お願いね、美和」


 ここでお母さんが会話に入ってきたので私は「うん」と答える。すると杏里さんが首を傾げた。


「お母さんは一緒じゃないんですか?」

「えぇ。今日は友人とランチの約束があるので美和に任せました」


 それを聞いた杏里さんは顎に指を当てて視線を上に向ける。何か思考している様子だ。すると大和さんに向いた。どうやら2人の間で意思疎通ができたらしく、大和さんが言った。


「それなら美和と詠二君、僕たちと一緒にランチする?」

「え? いいんですか?」

「そんな申し訳ないです」


 その案に私が食いついた一方、お母さんは遠慮を口にする。気を許せる大和さんや杏里さんだから私からは遠慮が欠けていたようだ。これも古都やのんの影響かな? いや、人のせいにするのは良くない。素直に反省しよう。しかし大和さんは言うのだ。


「これから僕たちご飯食べに行く予定でしたから全然いいですよ。帰りもちゃんと送っていきますし」


 他に人がいるとは言え、カレシとのランチ。私は行きたいに決まっている。詠二はどっちでもいいと言った感じの表情なので、私はお母さんに懇願の目を向けた。


「まったく、しょうがないわね。ご迷惑をかけないようにね」

「うん」

「はい、これ」

「ありがとう」


 私と詠二2人分には十分足りるお金をお母さんから手渡され、私は駐車場でお母さんと別れた。

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