第四十六楽曲 第二節

 札幌市内のライブハウスで、この日2組目にステージに上がったダイヤモンドハーレム。登場時の歓声の中で、希はドラムセットの椅子に座りながらホールを見渡す。


 ――いた。


 心構えができていたせいか、それほど動揺はしなかった。ただ椅子に座っていると目線が下がるし、そもそも低身長の希だ。その脇にいるかもしれない児童の姿は捉えられない。


 一方、昨夏同様このホールでは後方の壁に背中を預けてステージを見守っている大和。それは少し遡ってダイヤモンドハーレムの登場を待っていた時だった。


「あ」


 大和は自身の隣に立った親子を見て気づく。しかし過剰な反応は見せなかった。それでも視線を向けていたので母親の方と目が合い、会釈をした。するとやや緊張を見せつつも、母親が朗らかな笑顔を浮かべて会釈を返してきた。


「けい君、先にジュース飲む?」

「うん」


 母親の言葉に児童は大きく首を縦に振って答えた。そして母親は児童の手を引いて一旦この場を離れる。そう、希の実母と種違いの弟、圭太である。大和は昨夏に自分が教えたドリンクシステムを覚えていたことに、少しばかり嬉しく思った。

 背の低い児童を連れていることに配慮をし、大和は立ち位置をずらすと自分の隣に跨るように立った。所謂場所の確保だ。段床になったこのライブハウスのホールは後方でもある程度見やすく、小学生は後ろこそ安全だ。その親子のための場所取りである。


 程なくして親子が戻ってくると大和は身を戻し、親子は大和が空けた場所に自然と身を入れた。ライブハウスに慣れていない親子なので、大和の配慮には気づいていない。圭太は両手で大きな紙コップを包み、チビチビと飲んでいた。

 すると母親が大和を向く。


「あのぉ……」

「はい?」


 大和は自分に声をかけられたことに気づいて母親を見る。ステージ上はローディーがセッティングを進めていた。あまり大きな音は鳴っていない。そして入れ替えの時間なのでステージよりもホールの方が明るい。


「もしかして昨年もここでお会いした方ですか?」


 大和は驚いた。まさか自分を覚えてくれているなんて思ってもいなかったのだ。しかし考え方を変えると納得もできる。緊張した面持ちのこの母親は明らかにライブハウスに慣れていない。だから一言でも会話を交わせば印象に残るのだ。


「覚えていただいてて光栄です。僕も奥さんとお子さんを覚えてます」


 するとパッと明るい表情を見せる希の実母。知り合いなどと言えるほどの仲ではないが、知った顔を発見して安堵したのだ。そもそも大和は優しい顔つきをしているので、彼の外面の効果もある。

 圭太は視線がホール内の観衆に埋まっていて、相変わらず給水だ。特段自分の母親と大和の会話を気にした様子はない。


「ダイヤモンドハーレムのファンの方ですか?」


 大和は母親からのこの質問にどう答えようか迷った。一度視線をホール内でさ迷わせ、肯定するのが無難かなと思った。しかし大和が視線を戻した時。


「あれ? もしかして……」


 母親が大和の回答を得る前に言葉を足したのだ。現時点でステージよりは明るいと言っても照度の低いライブハウスのホール。その薄暗い空間で母親は目が慣れてきて、徐々に大和の顔を認識する。


「違ってたらすいません。ダイヤモンドハーレムのプロデューサーさん……ですか?」


 自信は半々と言ったところだ。その気持ちが垣間見える口調に大和は少し照れながら首の裏をかいた。ホームページに名前は載っているし、そこからゴッドロックカフェに飛べば自身の画像も出てくる。予め自分の顔を認識していてもおかしくないと大和は思った。


「はい。菱神大和です」

「まぁ! 昨年は気づかずすいません」


 目を見開いた母親はすかさず深く腰を折った。「娘がお世話になってます」と続きそうな対応である。もちろんその気持ちがあるが故の態度なのだが、それを口にはしない。圭太はそんな母親をキョトンとして見ていた。

 しかし大和は言うのだ。


「こちらこそすいません。昨年お会いした時はメンバーの親御さんだって知らなかったんです」

「……」


 またも目を見開く母親。一方、大和はそれが解せないながらも、自分のことを認識していたのだから、当たり前の挨拶を交わしていると思っている。


「……」

「……」

「あ……」


 やっと気づいたようだ、このバカ男。そう、いくら希の母親が大和を認識していても、大和が希とこの女性の関係を知っているとは限らない。一気に大和を気まずさが襲った。隣にいる圭太にはどのように聞こえただろうか? 冷や汗すらも伝う。


「知ってらっしゃったんですね?」


 当然の疑問が向けられる。大和は自分の失言を悔いるばかりだが、後悔は先に立たない。それでもキョトンとしていた圭太が視線を外し、再びドリンクを口に運ぶので安堵した。どうやら大和と母親の会話に興味はないらしい。セッティング中の試奏ではっきりとは聞こえていなかったのだ。


「すいません。昨年、希さんがこのステージで気づいたみたいで。後から知ったんです」

「そうだったんですか……」


 母親は顔を伏せた。昨夏、この場所で既に自分の存在を気づかれていた。そしてそれで希は翌日に自宅近くの公園まで来て、圭太と会うことになったのかと理解した。しかしその出来事は大和も母親も口にはしない。

 すると母親は表情を整えて大和に向き直った。


「いつもお世話になっております」


 改めて深く腰を折った。大和も頭を下げ、改めて「こちらこそ」と返した。

 するとホールの照明が落ちた。一方、明るさを増したのはステージだ。途端にオーディエンスから歓声が上がる。そしてステージ上に最初に上がったのはドラマーの希である。

 希はいつものようにステージセンターの段鼻まで来て、満面の笑みで手を振った。大和はこの日ツインテールの希に心を鷲掴みにされる。尤も大和だけではなく、ホールの多くの客がそうだが。


「ママ! ママ!」


 すると圭太が興奮した様子で母親の腕を引っ張る。圭太はステージと母親を交互に見る。希はドラムセットの椅子に座るまでホール後方の様子に気づいていない。母親は腰を屈めて圭太に顔を寄せた。しかし。


『うおー!』

『きゃー!』

「希お姉ちゃんだよ!」


 順々に登場するダイヤモンドハーレムのメンバーにホールからの歓声が大きくなる。母親に圭太の声は届かず、笑顔を浮かべて「うん、うん」と空返事をしただけだった。そして顔を上げる。希はこの時に母親の存在に気づいた。

 圭太は自分の身長とドラマーのポジション故、既に見えなくなった希を探してステージを凝視する。昨夏は3人のガールズバンドだと思っていた。まだインターネットに触らない圭太。ダイヤモンドハーレムが4人組カルテットで、そのメンバーに希がいるなんて思ってもいなかった。圭太に驚きと高揚感が湧く。


 そんな圭太の気も知らない母親は希を見て目を細めた。そんな母親を隣で見て大和が目を細める。希と圭太の出会いは既に把握している母親だが、今はそのことよりも、目の前の実の娘で胸がいっぱいのようだ。


 やがて演奏が始まると圭太はピョンピョン飛び跳ねながらノリを表現した。そんな圭太の動きが始まってすぐ、見かねた母親がドリンクを圭太から受け取ったほどだ。それでも楽しそうにしているので安心する。

 大和も時々気にして隣の親子を見る。すると気づくのだ。圭太は歌を口ずさんでいる。歌詞と唇の動きが合っている。それどころか母親の方も時々ではあるが、歌詞のとおりに唇が動く。大和は2人がダイヤモンドハーレムの楽曲を知っているのだと確信した。


 やがてダイヤモンドハーレムのステージが終わり、ホールから気が抜けた頃に母親が大和に言う。


「あのぉ……」

「はい?」

「不躾なお願いなのは重々承知のことで申し訳ないのですが……」

「何でしょう?」

「希と会うことはできませんか?」

「へ……?」


 真顔になって間抜けな声を出してしまった大和。明らかに自分の失言により、この母娘の関係を知っているとことを伝えてしまったが故の懇願だ。しばらく大和の思考が止まった。

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