第四十四楽曲 第六節

 幾らかステージを観回って日も傾き始めた頃、大和組の3人はショップエリアの円卓で腰を落ち着けていた。


「クラソニの担当予定だったマネージャーさんが今担当してるバンドだったんですね」


 ドリンクをチビチビ飲みながら唯が大和の話に納得を示す。


「そう。それに君たちは大手芸能事務所と既に契約が済んでるから、それこそさっき吹っかけた勝負は無意味なんだよ」


 と言って大和は缶ビールを口に当てながら古都を見る。その利益にならない勝負を吹っかけた古都は誤魔化すように笑った。


「あはは。けどあんな言い方されたら悔しいじゃん?」

「悔しい気持ちは人にぶつけるんじゃなくて、自分で乗り越えてこそ糧になる」

「じゃぁ、明日のステージに目標ができたってことで」


 尚も笑って屁理屈を並べる古都である。大和はジト目だ。確かに古都の言う目標も一理あるが、如何せん挑発を挑発で返したわけだから褒められたものではない。

 それに大和からしたら小林が担当しているバンドだというだけで後ろめたさがある。とは言え、ダイヤモンドハーレムに過去の負の遺産を背負わせてしまった後ろめたさもあるから、あまり強くは言わない。いや、言えない。心情としてはやはり響輝と同じだ。


「きゃー!」

「きゃっ! きゃっ!」


 するとショップエリアの端の方から黄色い声が聞こえてきた。3人は気になってその方向に目を向けると多少の人だかりができていた。どうやら男が数人の女に囲まれているようだが、着座状態の3人からは男の頭部しか見えない。


「なんだろ?」

「出演アーティストじゃないかな?」


 古都が疑問を口にしたので、大和がそんな見解を述べる。それならば誰だろうとより興味が湧くのが古都で、彼女は席を立った。大和はそれほど遠くに行くわけではないし、目は届くからいいかと、古都の背中を見送った。


 人だかりの一番外まで来ると、ピョンピョン飛び跳ねる古都。囲まれている男は握手やサインを求められており、腰を屈めているので顔がはっきり見えない。

 すると男の方が飛び跳ねる古都に気づいた。その時に古都も男の顔を認識する。


「あ……」


 古都は見覚えのあるその顔に思考を停止させると、男の方が人だかりをかいくぐって古都の前まで来た。


「ファンの子かな? よろしく」


 そう言って手を差し出した男。有名人になった彼の方から古都に握手を求めたようだ。


 ――君は可愛いから特別にこっちから来たよ。


 口パクでそんなことを言うのだが、古都はそれをしっかり読み取ると抑えようのない怒りが湧いて来た。そして上げた手は男の手を取ることなくキャップにかかり、古都は顔を晒した。


「ダイヤモンドハーレムの古都です」


 男は一瞬目を丸くするが、すぐに穏やかな表情に戻った。


「それは失礼しました」


 そう言って男は手を引っ込めると、一度握って開いての動作をしてから再度手を差し出した。どうやら古都を認識しているようだ。


「ファンキーミサイルの怜音です。初めまして」


 男は名乗った。古都は鋭い視線を向けながらもやっと男の手を取った。そう、彼は元クラウディソニックのメンバー、怜音である。


「ナンパなんていい御身分ですね?」


 古都は手を離すと嫌味を言う。怜音はばつが悪そうな表情を見せるが、古都にはそれが演技だとすぐにわかった。


「ナンパだなんてとんでもない。ファンの子だと思ったからこっちから歩み寄っただけだよ」


 白々しいと思う古都。口パクのことはすっ呆けているようだ。中学生の時は憧れていたバンドのメンバーだったのに、今では嫌悪感が募る。


「なにこの子?」

「REOさんの方から寄って来てもらっといてナンパとか、どんだけ上から目線?」

「むしろ感謝しろよ」


 人だかりの一部からはそんな顰蹙の声が古都に浴びせられる。怜音は芸能人としては当然とも言える愛想のいい笑顔を崩さない。そんな彼に古都は、周囲の声も気にすることなく言う。


「昨日から大和さんも響輝さんも来てますよ?」


 古都は自分が認識されていることを悟ったので、大和が面倒を見ていることも当然知っていると思って言った。それはどうやら正解のようだと思える態度を怜音は見せた。


「そうなんだ。よろしく伝えといて」

「む! 会っていかないんですか?」

「なんで?」

「なんでって、大和さんと響輝さんは今でも窮屈な思いをしてます」

「俺だってそうだよ?」

「それは自分で蒔いた種ですよね?」

「それもあるけど、俺にはあいつらみたいに創作に……、まぁ、いいや」


 途中で濁した怜音だが、古都は悟ってしまう。怜音は現役の時から大和と響輝の音楽のセンスに劣等感を抱いていたのだ。それどころかもしかしたら、嫉妬や疎む気持ちもあったのかもしれない。


 しかし反対の考えも浮かぶ。作曲をしていた大和と響輝に対して怜音は作詞だから分野が違う。その両方をやる古都だから理解に苦しむが、曲についていけていないとでも思っていたのだろうか?

 それに今の状況を見てもわかるとおり男として花があるし、歌唱力の高さも知っている。だから卑屈になる必要まではないと思うが、これがこの男の弱さだろうと古都は自己完結した。


「ちょっとあんたさっきから何よ!」

「そうよ! ファンじゃないならどっか行ってよ!」


 人だかりからの顰蹙は増す。当初は離れて見ていた大和もそんな少しばかりの騒ぎに気付き、唯を連れて近寄ってきた。そして古都のすぐ後ろに立つと、とうとう怜音と対面した。


「怜音だったのか」

「大和か」


 互いの間に見えない大きな溝がある。それはもしかすると一生かかっても埋めることはできないのかもしれない。


「言うことあるんじゃないですか?」


 古都がすかさずそんな言葉を怜音に浴びせる。


「古都、いいから」


 しかしすぐに大和が制した。古都を片手で軽く押さえ、自身が古都の前に出た。


 大和は古都の言いたいこともわかる。今まで色んな場面で過去の負の遺産による窮屈な姿を見せてきた。だから怜音から自分への謝罪を促しているのだと理解できる。

 しかしだ。昨日、響輝は小林と会っている。そしてこの日、大和は小林が面倒を見ているバンドと会った。どちらからも散々嫌味を言われた。そこから察する小林の感情は、今古都が怜音に向ける感情と同じだ。

 いくら被害を被った立場だとは言え、相手が変われば自分もそんな目を向けられるのだ。怜音に恨みがあるのは隠しようがないが、こんな場所で謝罪を求める気にもなれない。


 昨年は希のおかげで泰雅とのわだかまりが解消された。しかし短時間の間にも多くの葛藤があった。それはリズム隊の相棒だったからだ。

 そして今目の前にいるのは実際に罪を犯した怜音である。内心穏やかではない。むしろ自分よりリーダーだった響輝の方こそ複雑な思いだろう。彼がこの場にいなくて良かったとさえ思う。そんな貼り付けた笑顔で大和は言う。


「まさかこんなところで会うなんてな」

「あぁ。やっと念願叶ってメジャーアーティストになれたよ」


 咄嗟に唯が大和の腕を抱き込んだ。大和は奥歯を噛む。もし唯が機転を利かせなければ過激な行動に出ていたかもしれない。反省とか謝罪の気持ちが一切感じられない怜音の言動で、手のひらに爪が食い込んでいた。

 一方、相変わらず鋭い視線で怜音を見据える古都。ナンパから始まった怒りは増すばかりだ。古都には大和や響輝を思う気持ちの他、クラウディソニックの元ファンとして裏切られた気持ちもあるのだ。


「じゃぁ俺、今日帰るからそろそろ行かなきゃなんねぇわ」


 そう言って怜音は踵を返すと、背中越しに手を振って場を離れた。取り囲んでいた彼のファンがついて歩くので、怜音の背中はすぐに見えづらくなった。


「ふぅ……」


 大和は気を落ち着けるように一度深呼吸をすると、握っていた拳を開いた。そして唯の手を握り、唯にいつもの穏やかな笑顔を向けた。


「唯、ありがとう」

「いえ……」


 それに安堵した唯は少しばかりはにかんで、しっかり大和の手を握り返した。大和は古都の手も握った。


「次、行こうか?」

「うん」


 古都もいつもの眩い笑顔を向けて3人は肩を並べて歩き始めた。

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