第四十二楽曲 撮影

撮影のプロローグは古都が語る

 メジャーデビューに向けた芸能事務所所属契約の打診があった。目標達成まで限りなく近づいたこのオファーに、私たちメンバーは歓喜したものだ。その後親の承諾も取り付け、送られて来た契約書は整い、あとはジャパニカン芸能に渡すだけとなっている。

 それに先立って今日は伊豆に向かっている。タイアップが決まったドラマのオープニング映像の撮影と、それをもとに製作されるミュージックビデオの撮影だ。ドラマ制作会社の人が迎えに来てくれて、私たちメンバーと付き添いの大和さんが乗り込んだ。


「えへへん。大和さん、今日は一緒に寝ようね」


 私は隣に座る大和さんの耳元で囁いてみる。途端に大和さんの耳は真っ赤になるが、正面から目を離さず答えた。


「僕は1人部屋を用意してもらってるよ」


 なんだよ、連れないなぁ。て言うか、今日の大和さんはハンドルを握っていないのだから、隣でしっかり手を握るカノジョの私を向いてよ。


 車は広々とした8人乗り。運転席は制作会社の人で、助手席は彼の荷物が置かれている。サードシートに私と唯が大和さんを挟んで座っているのだが、私も唯もしっかり大和さんの手を握っている。

 セカンドシートは美和とのんだが、運転席からルームミラーでサードシートが見えないように中央に寄って隠している。せいぜい赤面した大和さんの顔くらいしか見えないだろう。


 その美和とのんは出発時、私と唯とポジションが反対だった。途中、休憩に寄ったサービスエリアでポジションチェンジをしたのだ。そしてサードシートは甘い会話の時、運転席に聞こえないように大和さんの耳元で囁いている。


「僕まで付き添わなくて良かったんじゃない?」

「そんなこと言わないでください……」


 お。唯、もっと言ってやれ。唯の困り顔は効果絶大だから。その困り顔を向けられた大和さんはと言うと、一瞬唯を向いてから視線を正面に戻し、ボソッと言った。


「冗談だよ。契約書も預かってるからね」


 ほらね。


 この日は土曜日で、地元の県の都心でライブがあった。そのライブが終わってから私たちは移動しているわけで、外はもう真っ暗だ。

 私たちを拾う前にゴッドロックカフェに寄ってくれたので、荷台にはお店のアンプやドラムセットなど、機材が所狭しと詰め込まれている。ライブ終わりの私たちの楽器もある。撮影現場では用意できないとのことなので全て持ち込みだ。


 今日のお店の営業は杏里さんに任せ、そして明日の日曜日が撮影だ。これはオープニング映像の撮影で、役者さんたちも勢揃いとのこと。学生俳優も多いので、ドラマ撮影は週末こそ貴重なスケジューリングだとか。

 更に明後日の月曜日が私たちダイヤモンドハーレムだけの映像の撮影だ。平日なので私たちは学校もアルバイトも休まざるを得ない。バンド活動で学校を欠席するのは初めてだが、こればかりは致し方ない。


 その月曜日の撮影が終われば私たちはまた制作会社の人の送迎で地元に帰るわけだが、大和さんだけはそれから東京に向かう。ジャパニカン芸能に私たちから託された所属契約書を届けるためだ。


「宿ってどんなところだろ?」


 セカンドシートの美和の声が聞こえた。それに答えるのは同じくセカンドシートに座るマネージャー補佐ののんだ。と言っても、9月からはジャパニカン芸能の武村さんというなかなか美人な人が杏里さんとのんに代わってマネージングをしてくれる予定だ。


「温泉旅館だそうよ」

「そうなの!?」

「うん。ネットで調べたら大きな旅館だった。私たちはその大部屋で4人1室だって」

「わっ、楽しみ」


 美和に同意。私たち4人って共同生活に抵抗がない。恥ずかしがり屋の唯や、元引きこもりののんがいながら今や結束力は強く、むしろ4人での宿泊が大好きだ。

 そして温泉旅館。これには心躍る。メンバー皆で大浴場に入れるってことだよね。凄く楽しそうだ。


「家族風呂もあるらしいけど、予約する?」

「いいね。そうすれば私たちだけで入れるね」


 美和は同意を示したがのんの言うその意図って、メンバー4人だけではなく5人ではなかろうか。人数に入れられている彼は我関せずって顔をしているけど。


「その後大和さんを部屋に連れ込んで、みんなで逆輪姦しようか?」


 やっぱり。実にのんらしい発想だ。しかも彼女の場合100%本気だろう。美和は顔を真っ赤にしながら俯いて、それなのに小さく首を縦に振った。彼女もなかなかやる気のようだ。


「そういう冗談はやめろよ」


 そしてここで呆れ顔になって言うのは大和さんである。まったくこの人は。今や私たちは恋人関係なのだから、冗談なわけがないじゃないか。私なんて夜這いしたこともあるのに、それももう忘れてしまったのだろうか?

 そんな浮かれた会話をしていると、やがて車は温泉旅館に到着した。私たちが車を降りると社員さんは宿が違うようで、車は走り去って行った。

 真っ暗で視界は悪いが、温泉街のこの一帯は湯けむりが立ち上って風情がある。


「ぐふふ。カレシと温泉デート」

「撮影合宿な」


 しれっとそんなことを言う大和さん。少しくらい浮かれたっていいじゃん。もうっ、大和さんのバカ。大好き。


 私たちは各々の旅行鞄を手に旅館に入った。すると仲居さんと女将さんが1列に並んで出迎えてくれた。実はもう23時なのだが、嫌な顔一つせずこうして出迎えてくれることに恐縮する。

 本来は夕食も付くのだろうが、今回宿の手配は制作会社だからよくわからない。私たちはライブ後、移動中の車の中でお弁当を食べた。そのお弁当も運転手をしてくれた社員の人が用意してくれた物なので、スタッフの方々の気配りに感動だ。


「大浴場は深夜1時まで入れます」


 私たちの荷物をカートに載せて部屋に案内してくれる仲居さんが説明してくれた。良かった、お風呂お預けを食らわなくて。尤も部屋にユニットバスくらいはあるのだろうが。

 しかしこの旅館は立派だ。エレベーターの階数表示を見ると12階まである。外観はコンクリートの外壁に瓦屋根で存在感があったし、エントランスホールは壁、床、天井に高級感があった。昨夏のツアーを思い浮かべると雲泥の差だ。


「家族風呂は入れますか?」


 エレベーターの中で質問をしたのはもちろんのんだ。彼女の頭の中はそれしかないのだろうか? かく言う私も実は気になっていたけど。それに美和も唯もモジモジしているし。


「申し訳ありません。家族風呂は夜10時までとなっております」


 残念。美和と唯も期待していたのだろう、少しばかり落胆を覗かせた。もちろん大きな落胆を見せたのはのんだが、ガックリと言った感じだ。因みに大和さんは我関せずと言った感じで涼しい顔をしている。本当にこの人は自分が巻き込まれている認識がないらしい。


 やがて部屋の前まで到着した。


「女性の方のお部屋はこちらになります。この向かいが男性の方のお部屋です」


 そう言って私たちは鍵を受け取った。大和さんと部屋が近くて良かった。廊下で大和さんとは別れて私たちは部屋に入った。


「わっ、綺麗」


 美和が感嘆の声を上げた。外は真っ暗でよく景色が見えないから、それは部屋に対する感想だ。10畳ほどの畳の部屋は内装が綺麗で、障子で仕切られた先が縁側だ。そこに大きな窓がある。確かに、昨夏のツアーを思い浮かべると涙が出そうになるよ。


「うぅ……」


 て言うか、唯は感極まって本当に涙を流しているし。わかるよ、その気持ち。セキュリティー万全で、綺麗な温泉旅館の客室に泊まれるんだからね。3段飛ばしくらいのステップアップだよね。


「萌絵ちゃんもこの旅館なんだよなぁ」


 美和が目を細めた。彼女はいつも萌絵ちゃんのことを気にかけているからね。

 ただ、芸能事務所に所属する同年代ばかりが集まっていて、23時以降は部屋から出ないように管理されているらしい。これは運転手をしてくれた社員さんからの情報だ。だからこの時間から会いに行くことは叶わない。


「お風呂行こう?」


 するとのんが備え付けの浴衣を取り出して言った。私たちはまだ芸能事務所に所属していないから縛りがない。大和さんからは旅館さえ出なければいいと言われている。と言うことで、今から皆で大浴場だ。

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