第四十一楽曲 第六節

 寄ってくる健吾の顔を見ながら希の頭の中でイメージが湧く。

 筋力はある。押さえつけられた両肩は振りほどけるだろう。その後、健吾の両肩を突き飛ばして、距離ができたところで往復ビンタだ。


 ――うむ。手荒なことは避けたかったけど、これでいこう。


 決断を下した希が行動に出ようとしたその矢先だった。


「うがっ……!」


 悶絶するような表情を浮かべた健吾の顔が突然離れる。驚いた希は隣に振り向いた。するとなんと、そこには殺意すらも感じさせる物凄い形相の男が立っていた。

 一瞬だった。男の手は健吾の首に伸びており、自分の体を軸に健吾を180度回転させ、壁とも言えるほどの架線のコンクリートの支柱に健吾の背中を叩きつけた。


「う……」


 苦悶の表情を見せる健吾の首から手を離さずに男は言う。


「誰に断って俺のカノジョメンバーに手を出してんだ?」


 ――俺?


 ゾッとするほどの声と表情だった。希は初めて見せる男の表情と声と、聞き慣れないその自称に緊張した。


「大和さん……?」


 希はその男の名前を呼ぶ。そう、男は大和だった。希の来店がないので様子を見に来たが、販促場所にいないので探し出したのだ。

 大和は希に視線を向けず健吾を睨んでいた。苦しんでいる健吾は目も開けられず、大和を見ることもできない。


「すい、ません……でした……」


 喉を押さえられた健吾がやっとの思いで発した言葉だ。それを耳にして大和は、やっと健吾を解放した。途端に健吾は喉を押さえ、腰を屈めて咽た。そして恐怖を宿した瞳で大和を見上げる。


「次やったら潰す」

「くっ……」


 悔しそうな表情に変わった健吾は足早にその場を立ち去った。


 潰すとは? ボーカルの喉か? バンド活動か? 体か? 存在そのものか?

 それら全てに現実味があるほどの殺気のこもった目だった。穏やかそうに見えていた大和がこれほどの狂気を露にしたことに健吾は恐怖した。ビビった自分が情けなく、ダサいと思う。行く当てもなく歩く健吾の目から自然と涙が零れた。


「大和さん……」

「ふぅ……」


 2人になったその場所で、大和は肩の力を抜く。そしてやっと希に向くと、彼女は眉尻を垂らしていた。ばつが悪くなって大和は頭をかく。


「ごめん。驚かせちゃっ――うほっ」


 強烈なタックルとも言えるほど、希は大和に勢いよく抱き着いた。ただ、筋力はあっても体重は軽い希なので大和はフラつくこともなくしっかりと希を受け止めた。すると希は大和の胸の中で言う。


「怖かった……」


 嘘を吐け。しっかり反撃のイメージを固めていたくせに。しかしそんな真偽を知る由もない大和は希を抱きしめながら彼女の頭を撫でる。希はそれが心地よく、少しの間その手の感触に甘えた。


「無事で良かった」

「うん、未遂よ。安心して」

「未遂じゃなかったらあれくらいで手を離してない」

「その気持ちが嬉しい。私たちのこと、真剣なんだって改めて思えた」

「そりゃ、まぁ。僕の大事なメンバーで、僕の……その……」

「なに? ちゃんと言って」

「う、うん。君たちは僕の大事なカノジョだから」


 希はその言葉を耳にして大和の背中に回していた腕をギュッと締めた。


 程なくして希は満足すると顔だけ大和から離し、顎と唇を突き出した。


「ん」


 何を求められているのか悟った大和は紅潮するが、ここは人気のない高架下。拒否する理由もみつからないので、素直に希の求めに応じた。

 それから2人は手を繋いでゴッドロックカフェに向かった。さすがにこれは目立つと思うし、備糸高校の生徒だって出くわす可能性がある市街地の駅前。大和は遠慮してほしいと願う。


「助けに来てくれた大和さん、凄く格好良かった」


 しかし希がそんなことを言うので、今くらい甘えたいのであろう彼女の心境も悟って、大和はその手をしっかり握った。


「ちゃんと19時には店に来る約束だろ?」

「ごめん。集中してたらちょっと遅くなっちゃって。そうしたら高架下まで引っ張られて」


 それほど大きな非が希にはないようだと理解した大和は、これ以上小言を言うことはしなかった。

 そして店に到着した。その直前で手は離していたが、その行為に大和は安堵することになる。


「遅かったじゃないか? 2人でどこ行ってたんだよ?」


 勝だ。随分と早い来店である。大和は気まずさのあまり逃げるようにカウンターに身を入れた。しかしそういう行動が勝の疑念を増長させるのだ。


「まさか、希に如何わしいことでもしたんじゃないだろうな?」

「はぁ……」


 思わず大和からため息が漏れる。泰雅と杏里はカウンターを挟んで他人事のように笑って見ているし、希は勝を目にした途端口を閉ざした。誰も助けてくれないようだ。

 健吾のことはともかくとして、大和の基準で自分は如何わしいことなんてしていない。しかし一連の行動は勝にとっては如何わしいことになるに決まっている。


「何も疚しいことはないですよ。希が時間を忘れて集中してビラ配りをしてたから、僕が様子を見がてら迎えに行って来たんです」

「それにしては時間がかかり過ぎだろ?」


 目ざとい奴め。するとここでやっと助け舟を出したのが勝の隣に座った希である。


「せっかく迎えに来てくれた大和さんに感謝の言葉も言えないの? お兄ちゃん嫌い」

「う……。の、希を迎えに行ってくれて、や、ま、と、あ、り、が、と、う」


 頬をピクピクと引きつらせてぎこちなく礼を言う勝である。


「お兄ちゃん、大好き」


 この後勝の機嫌はすこぶる良くなった。一方、カウンター席に座る希は目をハートにしてずっと大和を眺めていた。なんとも面倒くさい兄妹である。


 翌日から仮称末広バンドのダイヤモンドハーレムに対する接触は弱くなった。とは言え、顔を合わせれば挨拶は交わすし、多少の雑談もする。しかしその程度だ。健吾は頑なに口を閉ざしているが怯えた様子を見せるので、彼のメンバーは何があったのかを知らないまでも健吾に合わせた。

 一方、ダイヤモンドハーレムのメンバーは身が軽くなったと思う反面、突然の変化に解せないでもいた。これはこちらも何があったのかを希が一切話さないからだ。もちろん大和も言わない。

 希としては全面的に喜べた大和の行動ではあったが、他のメンバーが知るともしかしたら怖がらせてしまうかもしれない。そう考えた。特に唯なんかにはその不安がより強く向く。


 そんな金曜日。練習が終わり、営業が開始されたゴッドロックカフェでの店内の様子。メンバーが揃っているカウンターやホールの客席で、そのメンバーは常連客に囲まれていた。


「どう? 予約は?」


 大工の田中と一緒に古都を挟むのは機械系工場員の山田だ。古都はややげんなりした様子で答えた。


「ほわぁ……、やっと600枚に達したところです。あと1400枚。先は長いです」

「まぁ、発売までまだ1カ月以上あるし、これからだよ」


 そう言って励ます山田も既に予約を済ませている。もちろん反対隣の田中もそうだし、他の常連客たちも然りだ。


「ん? ブブッー!」

「うおっ!」


 するとスマートフォンを片手にビールを口に運んでいた田中が突然吹き出すものだから、思わず古都が山田の方に身を避けた。JKと肩が接触して鼻の下を伸ばすのは中年の山田である。


「なんですか? 田中さん。汚いなぁ……」

「ダ、ダ、ダ、ダイヤモンドハーレムがビリビリロックフェスにブッキングされてる」

「……」


 一気に静けさを襲う店内。どうやら出演者の公式発表があったようだ。田中はその情報が載ったサイトを見ていた。


「ダイヤモンドハーレムの同名バンドってあったっけ?」

「なっ! 失礼な! 田中さん、それ私たちですよ」

「は!?」


 目を見開いたのは田中だけではない。他の常連客も皆そうであった。カウンターの中にいる大和と杏里、それから客席にいるダイヤモンドハーレムのメンバーは誇らしげな表情を浮かべた。そして「コホン」と古都が一度咳払いをして店中に向かって言った。


「公式で出たようなので発表します! 私たちはビリビリロックフェスのサードステージに立つことになりました! 3日目の日曜日です!」

「……」


 一瞬だけ静けさが店内を襲う。そして……。


『うおー!』

「なんだ、それ! すげーじゃねーか!」

「絶対観に行く!」

「俺も! 野営になるから翌日は有休取る!」

「大和! シャンパン出せ! みんなで乾杯だ!」


 大騒ぎだ。いつものように祝い酒で。普通のロックンロールバーとはちょっと色の違うゴッドロックカフェである。

 そんな賑やかな店内で大和のスマートフォンが鳴った。

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