第三十八楽曲 第二節

 体育館の舞台袖は男子禁制となり、代役探しを諦めたこのファッションショーの出演者が肩を落としながら続々と集まった。客席は既にほぼ埋まっている。

 家庭科部の睦月と新菜はモデルを相手に着付けに追われ、既に着替えている古都と唯は機材のスタンバイを進める。

 するとブザーが鳴り、緞帳が下りた。前の発表者が終了したとわかり、古都と唯は女子アシスタントのバドミントン部と一緒にセッティングに取り掛かった。


「美和ちゃんとのんちゃん、どうしたんだろ……」

「マズいよね……」


 そう、美和と希がまだ来ていない。いつも元気な古都もさすがに焦りを感じている。モデルが1人減ってしまったことは致し方ないが、しかしバンドメンバーが半数到着していないこの事実はその焦りが甚大なプレッシャーとなる。2人にはラインでメッセージを送っているが、既読も付かない。

 しかしその甚大なプレッシャーは家庭科部の睦月と新菜にも降りかかっていた。家庭科室から体育館に移動しようとした最中、突然リーダーの百花が席を外した。そしてそのまま帰って来ず、今や睦月と新菜は時間が押してステージ袖にいる。


「今年も立てるとはね」


 一方、客席の椅子に座って目を細めるのは杏里だ。今年も学園祭に呼んでもらってご満悦のようである。そして同じく呼んでもらった卒業生の響輝が答える。


「今年は文化部とコラボって言ってたから、正攻法だな」

「去年は心臓に悪かったから助かるよ」


 一緒にいる大和が心底胸を撫で下ろしたと言わんばかりに言う。それに対して響輝と杏里は笑うのだ。もちろん、この日のファッションショーチームの奔走を知らない。更に今のステージ袖の焦りも知らない。

 この3人が呼ばれたのは大和の機材運びも相まって卒業生だから当然のことながら、実は同じく卒業生の泰雅も呼ばれていた。しかし彼は辞退した。色々思うところがあるのだろうと、ダイヤモンドハーレムのメンバーと元クラウディソニックの関係者は察した。


 埋め尽くされた客席の一角には古都のクラスメイト、ジミィ君こと山路充が陣取っている。代役探しの奔走こそ知っているが、今の焦りまでは知らず、大好きな古都の演奏を今か今かと首を長くして待っていた。


 美和の幼馴染で江里菜の交際相手の正樹も客席にいる。彼は野球部の面々と一緒だ。昨年はダイヤモンドハーレムのステージジャックに加担してワクワクさせてもらったものだが、この年は客席でゆっくり観覧するつもりだ。

 昨年の学園祭と言えば失恋という苦い思い出もある彼だが、その想う相手も変わり、それが今年は2人揃って発表の場に立つ。なんとも複雑な気持ちである。


 ステージ袖に繋がる客席の扉前ではワイヤレスのマイクを持った美和の元クラスメイトである男子生徒が2人、司会台本をチェックしていた。この2人は発表チームの一員なので、必要なメンツが揃っていないことは聞かされていて焦りが生まれている。


「モデルが1人減ったのは、ここを調整するとして……」

「問題はバックバンドの2人だよな……」


 そんな会話を交わしていた。そんな折、ステージ袖の扉が開いて前の発表者が出てきた。2人の焦りが最高潮に到達した、その時だった。


「ごめん! 遅くなった!」


 客席側から息を切らせて走って来たのは美和だ。希と百花もいて、更には見覚えのない女子生徒が連れられている。司会の2人は安堵の笑みを浮かべて言った。


「ギリギリセーフだ。中では準備が始まってるから急げ!」

「うん!」


 美和たちは素早くステージ袖に身を入れた。百花だけはこの場に残り、司会の2人に段取りの説明を始めた。


「美和! のん!」


 楽器のスタンバイを進めていた古都がメンバーの到着に気づき声を張る。唯も心底安堵したという表情を見せた。それに美和が恐縮そうに答えた。


「ごめん、遅くなった」

「ううん。セッティングはいいから、先に着替えて」

「わかった」


 睦月から衣装を手渡されて美和と希はすぐさま着替えに取り掛かった。ダイヤモンドハーレムの新衣装、ブレザーの学生服である。それに袖を通す美和に睦月が問い掛けた。


「あの子は?」

「モデルの代役だよ」

「見つかったの?」

「そうだよ」


 着替え中なので動作は淡々としているが、美和の声は誇らしげである。その動きを止めないまま美和は続けた。


「弓道部の1年生でね、さっきまで百花先輩も呼んで歩行の練習してた」

「それでギリギリだったの?」

「うん。けどね、歩行はほとんど完璧だった」


 そう、美和と希が連れてきたのはモデルの代役である。美和と希が弓道場に赴いた時に一度は振られた長身の女子生徒だ。つい先ほどの中庭での記憶が蘇る。

 それは奔走する女子たちの様子を校舎の角から窺っていた彼女を、美和と希が呼び止めた時だ。振り向いた彼女を見て、美和も希も一度はモデルを断った弓道部の1年生だと改めて認識した。


「私、実はダイヤモンドハーレムさんのファンなんです」

「え!?」


 突然の脈絡もない発言に驚いて美和は声を張る。あまり表情に変化のない希も少しばかり目が見開いていた。


「去年まで兄がこの学校に通ってて、私は中学生だったけど去年の学園祭に来てたんです。それで初めて見てからファンなんです」

「あー!」


 声を張ったのは希だ。あまり他人に興味を示さない希のそれも珍しい行為だが、希は流れのまま女子生徒に問い掛けた。


「今年になってからよくライブ観に来てたわよね?」

「えー!?」


 美和が驚きの声を上げる一方、女子生徒は小刻みに首を縦に振る。


「化粧! 今はしてないでしょ?」


 その動きが定番となったかのように、やはり女子生徒は希の質問に首を小刻みに縦に振る。そこで美和もライブハウスでよく見る1人の女性ファンを思い出し、そして彼女が重なり目を見開いた。同年代のあのファンの女子は厚化粧だ。けど今目の前にいる女子生徒はすっぴんだ。しかし言われて初めて同一人物だと確信できた。

 女子生徒は言う。


「その……。私、コアなファンなので、緊張しちゃって……。しかも学校ではそれを誰にも話したことがありません」


 完全に芸能人に向けた発言である。尤もその業界を目指しているダイヤモンドハーレムではあるのだが。


「だから、先日部活中の弓道場に来てもらった時、凄く嬉しかったんです」

「え? それならなんで……?」


 美和の疑問が女子生徒に向く。弓道場では断られてしまったので、尤もな疑問だ。


「緊張しちゃって。それに私なんかが大好きなダイヤモンドハーレムのステージを壊したらなんて思うと怖くなっちゃって……」


 一瞬唖然とした美和だが、すぐさま表情を戻すと2歩歩み寄り、女子生徒の手を握った。


「え?」


 真っ赤になって顔を上げた女子生徒。美和は自分より身長の高い彼女を見上げて笑顔を浮かべた。


「一緒に私たちとステージを作らない?」

「……」


 女子生徒は真っ赤になって口をパクパクとさせたまま、何も言葉にできない。しかし美和は続ける。


「私たち今すごく困ってるの。ファンの人にはいつも助けてもらってばかりで感謝の限りだけど、今日も助けてくれないかな?」

「た、助ける……? 私が、ですか?」

「うん」

「私がダイヤモンドハーレムをですか?」

「うん。お願いします」


 すると女子生徒は首を縦に振ったのだ。


 その後すぐに美和は百花を呼び出し、代役が見つかった旨を伝え、3人がかりで歩行の指南を始めた。その時間、たったの数十分だ。しかし彼女はすぐにマスターした。弓道の現役で元々姿勢が良く、更に実は、前日のリハーサルを体育館の隅で観ていた。だから既に理解していた。

 尤も体育館の隅で観ていたのは大好きなダイヤモンドハーレムを観たいからというのが動機だが、モデルの打診を断ったことに心苦しさは感じていた。それでずっと気にかけていたのだ。

 ただ覚えは早かったものの、3人がかりで付きっ切りになって教えていたので、誰も発表チームの一員に連絡をしておらず、現場を焦らせたわけである。

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