第三十八楽曲 花道

花道のプロローグは古都が語る

 普段はだだっ広い床一面の体育館のフロアが空っぽの椅子で埋め尽くされている。ステージ上から見えるその景色に人は疎らだが、明日の本番はお客さんで埋め尽くされたらと期待し、そのイメージを抱いて高揚する。

 ステージから離れた体育館の入り口には時々野次馬が寄って来るが、実行委員から追い出されている。私たちとファッションショーがコラボレーションしたことに興味を示す生徒が、男女問わず多いらしい。それでも実行委員の監視の目にかからないのか、最初からずっとステージに目を向ける女子生徒もいる。


『はい! この曲が終わったらすぐにステージ袖に捌けて着替えてください!』


 百花先輩の張った声がマイクを通して体育館に響く。ランウェイ上にいたモデル10人は足早に、そのまま客席側からステージ袖の扉を潜った。


 私たちダイヤモンドハーレムは今、各々の楽器を提げてステージに立っている。今日は学園祭本番の前日でリハーサルだ。昨年は邪道な方法でステージに立ったので、この機会には恵まれなかった。それが今年はあるので嬉しい。

 慣れ親しんだゴッドロックカフェの機材に囲まれているのもいい。昨年は楽器店からレンタルした物だったので、経済負担もあった。しかし今年は先ほど大和さんが運んで来てくれた。夜型生活の大和さんが午前中から頑張ってくれたことに感謝だ。


 ただこの日は金曜日なので、放課後はダンスサークルと合同の定期練習もある。再びカフェの小さなステージで機材やドラムセットを組まなくてはならない。そして練習が終わったら明日の本番のためにまた片付けるのだ。骨が折れる。

 学園祭前日のこの日は授業がない。文化部が使う特別教室やクラス展示をする各クラス教室は、前日の追い込みや最終確認に余念がなく学校中が慌ただしい。


 やがて私たちのリハーサルは滞りなく済み、場を取り仕切る男の先生がマイクを通して言う。


『よーし、それじゃぁ、家庭科部のリハは以上だ。そのレッドカーペット、邪魔にならないから明日までそのまま敷いとくか』


 ランウェイに使うレッドカーペットはステージ下にステージと平行に敷かれていて、更にそれとは直角に、ステージ中央下から客席奥に伸びている。百花先輩が企画したとおり、それは客席の通路を縦に割ってTの字に走っていた。一度片付けるのも手間なので明日の本番までそれをそのままにしておく意向のようだ。

 ステージ本番では発表者が使うランウェイ。確かにそれ以外のタイミングで客席に座るお客さんが、通路に敷かれたこのレッドカーペットを踏むことは問題ない。


『卓球部。カーペットをマスキングテープで固定しといてくれ』


 先生の指示にこの年の学園祭の男子アシスタントである卓球部の男子部員がぞろぞろと動く。


「んっ!」


 リハーサルが終わったので片づけを始めると、私はのんの声に反応し彼女に目が向く。軽々と1人でバスドラを抱えるその姿に感服だ。本当に筋肉女子になってしまったようで、細身で小柄だから一見ではわからないが、彼女の腕は硬く、腹筋は引き締まっている。


 私は愛用のテレキャスターと、エフェクターやシールドコードを載せた自分のエフェクターボードを運んだ。ステージ袖で待機していた女子アシスタントのバドミントン部が3台のアンプと、のんの手伝いでドラムセットを、数人がかりで運んでくれた。

 力仕事なので本来は男子がやった方がいいのだろうが、生憎ステージ袖は男子禁制となっている。これはダイヤモンドハーレムがコラボレーションさせてもらう家庭科部の発表時のみだが、モデルの女子が着替えを行うためだ。だから客席に男子アシスタントの卓球部がいたというわけだ。


 次のリハーサルが始まるので、私は邪魔にならない客席後方で片づけを進めた。エフェクターボードの中を整えて蓋をし、愛用のテレキャスターをギグバッグに入れる。そうしていると声をかけられた。


「雲雀」

「ん?」


 振り向くとそこには司会を引き受けてくれた昨年の美和のクラスメイトがいた。漫才を披露したくて有志発表の抽選にエントリーをするなど活発な彼は、さすが目立ちたがり屋で、恥じらうこともなく見事な司会を見せてくれる。明日に期待だ。

 しかしこの時の彼は珍しく相方が一緒におらず1人で、しかも顔が緩んでいる。私はなんだか嫌な予感がして思わず身を引く。


「今年もパンツくれよ」

「げ……」


 嫌な予感は的中であった。


「使いこなし過ぎてもう劣化が激しいんだ」

「バカッ! どっか行け!」

「ひぇぇぇ、怖いよ~」


 蹴散らしてやった。頭を押さえる仕草で逃げるように去って行った彼だが、そんなことを言いながらも絶対に怖がっていない。私を揶揄って楽しんでいることは確かだ。けれどもし取引が成立したら儲けくらいに思っていたのだろう。彼は所謂お調子者と言われる人種だ。

 確かに昨年は手段を選ばなかったのでそんな取引もしたが、今年はそんなことしてあげる義理はない。義理がない以上、私は身も心も音楽と大和さんのものなのだ。


「雲雀さん」


 すると次に声をかけてきたのはダンスサークルの大山さん。


「大山さん、お疲れ様」

「……」


 しかし声をかけたにも関わらず、彼女はどこかツンとした表情で目を合わせてくれない。ダンスサークルのメンバーとしてモデルを引き受けてくれた大山さんは、先ほどまでの衣装は脱いで既に制服姿である。


「もう着替えたの? 早いね」

「終わってからもう15分経ってるわよ。あなたが遅いんじゃない?」


 そう言われて体育館の大きな時計を見ると本当に15分が経過していた。今リハーサル中のステージは既に中ほどのようで、確かに私がのんびりしていたらしい。事実、ダイヤモンドハーレムのメンバーはすでに体育館にはおらず、屋外まで機材を運んでいる。て言うか置いてくなよ、メンバー。寂しいではないか。

 時計から視線を大山さんに戻すとやはり大山さんはどこか不機嫌に見える。とは言え、彼女は私たちダイヤモンドハーレムに対してずっとこの態度だ。百花先輩の説得があって協力関係は築いてくれたが、やはり好かれてはいないようで態度は変えてくれない。


「明日はよろしくね」


 私は一瞬ポカンとしてしまった。大山さんは確かにそう言った。態度は腕を組んだままそっぽを向いているが。しかしその言葉が徐々に染みてきて、私の顔が綻ぶ。


「うん! こちらこそよろしくね!」


 そう言葉を返して私は手を差し出した。すると大山さんは一度私の手に視線を落とし、次に私の目を見てくれた。そして手に温かい感触を感じた。それが嬉しくて私はギュッと大山さんの手を握る。


「それじゃ」


 大山さんは素っ気なくそれだけ言うと、私のもとから去って行った。私は温かい気持ちになって、ずっと大山さんの背中を見ていた。


「バカ古都」


 しかし耽る私の背中に浴びせられる罵声。なんだよ、いいところだったのに。こんな言い方をするこの声が誰のものだかはすぐにわかった。もう付き合いも長いから。私は振り返りながら言う。


「なんだよ、のん」

「いつまで片付けしてんの。大和さん待ってるんだからさっさと機材を校門まで運ぶわよ」

「そんなに待ってないでしょ?」

「バカ古都。リハ終わってからもう15分経ってるわよ」


 そう言えばそうだった。私はそそくさとギグバッグとエフェクターボードを抱えた。

 体育館の外までは学園祭のアシスタントが機材を運んでくれるが、そこから先、校門の外で待つ大和さんの車に運んで積み込むのは私たちダイヤモンドハーレムのメンバーだけだ。家庭科部をはじめ、一緒にステージを作る他のメンバーはやることがあって忙しい。

 とにかく明日は学園祭本番だ。俄然気合が入る。


 しかし、この日の定期練習を終えてゴッドロックカフェで常連さんたちと過ごしていた時、私たちダイヤモンドハーレムのメンバー全員に、同一人物から同文のラインメッセージが届いた。その発信者はモデルを引き受けてくれた江里菜っちだった。


『ごめん。モデルをやる予定だったテニス部の部員が、リハ後の部活中に足をケガした』

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