第三十六楽曲 第二節
ゴッドロックカフェの隣の居酒屋を出た大和と唯は真っ直ぐ大和の自宅に帰った。そして各々風呂を済ませて一息吐いた頃にはもう日付が変わっていた。昨日はシャワーで済ませた唯なので、暑い季節ではあるが幾分の癒しの時間を得ることができた。
すると大和が唯を寝室に案内してウォークインクローゼットの扉を開けた。
「そこのタンスの一番下の段、好きに使っていいよ」
「え? わざわざ空けてくれたんですか? 私、バッグのままでも良かったのに……」
申し訳なさそうに言う唯を見て大和はばつが悪そうに頭をかいた。
「実は……、古都が空けたんだ。古都の部屋着と下着が1組入ってるけど、それ以外は好きに使っていいから」
思わぬ事実に目を見張る唯。そしてそれは徐々にジト目に変わる。やはり大和は変なことを勘繰られたかと少しばかり気まずい。
「古都ちゃんとそういう仲なんですか?」
「ち、違うよ。こないだ一緒に曲作りをした時に泊まったから、そのまま置いて行ったんだよ」
「用意がいいんですね」
「あはは……」
乾いた笑いを浮かべる大和。それはお盆の話で、そもそも曲作りをしていたわけではない。楽器の練習をして、古都の口実として台風により帰られなくなったのが事実だ。大和は説明がつくと思ってこう言っているが、そう、古都の口実。だから古都は最初から泊まるつもりで、部屋着と替えの下着を持って来ていたわけである。
「こないだって言いましたけど、最近まで一緒にツアーに行ってましたよね? いつですか?」
質問の手を緩めない唯がどこか怖くも感じる大和。なんだか浮気を疑われているカレシみたいだと居心地が悪い。尤も、唯の心境はそんな感じだし、古都の抜け駆けを疑っているし、そもそも勘違いとは言え父親公認だ。
「えっと、お盆……だったかなぁ……?」
ボソボソっと曖昧を含めて答える大和だが、唯のジト目は引かない。
「本当に最近ですね」
「ま、まぁ……とにかく。その段はお泊りをする時のためにメンバー用って古都が言ってたから自由に使って」
「……」
「……」
「わかりました。ありがとうございます」
納得したようで唯がクローゼットにバッグを持って身を入れるので、大和は胸を撫で下ろした。深く詮索されなくて良かったと思っている。
「古都ちゃんはどこで寝たんですか?」
甘かった。やはり詮索はされるようだ。唯はクローゼットの中で大和に背を向けながら質問をした。
「えっと、自宅?」
なぜ疑問形だ。同じ部屋の同じベッドで寝ておきながら。
「大和さんはお店の控室で寝たんですか?」
「……」
「ふーん。大和さんも自宅なんですね」
普段はおしとやかで物静かな唯だが、どこか声色が冷たい。それが恐ろしく、冷や汗が大和の背中を伝うが、父親公認とは言え、なぜ? と思ってもいる。それは唯が本当に大和に惚れているからだ。
「古都ちゃんはリビングで寝たんですか?」
「えっと……」
返答に窮する大和。しれっとはっきり嘘が吐ければいいのだが、生憎彼は嘘が得意ではない。
「まさか、2人きりなのに同じ部屋で寝たんですか?」
「は、はい……」
潔く認めた。すると唯がクローゼットの照明を消し、寝室に出てきた。どうやら衣服の整理は終わったようだ。そして大和のすぐ正面に立つ。思わず大和は後退りしそうになるが、硬直してその場で立ち尽くした。先ほどまでの気落ちした唯はどこに行ったのか、彼女の目つきは鋭い。
「そ、その……」
と思っていたら、顔を真っ赤にして言いにくそうにする唯。大和は首を傾げた。
「えっと……、その……、古都ちゃんとエッチとかしたんですか?」
「は!?」
寝室で大和の声が反響し、彼は目を見開いた。唯は恥ずかしくなって顔が下がるが、上目遣いで視線だけは大和から外さない。下腹部で手を合わせてモジモジしている。
「違うって! そういう関係じゃないって!」
「恋人関係じゃないってだけの意味かもしれないから……」
つまり体だけの関係だと疑ったのだろうが、大和にそんな度胸はない。正確に言うと、彼女たちを指導する立場だから間違いがあってはいけないと理性を働かせている。メンバーを女として意識することがあるのは否定できないが。
「ち、違うよ。本当に何もなかったから」
まぁ、嘘だ。キスはした。
「そうですか。わかりました」
ここで安心したと言わないのが唯である。そもそも彼女はメンバー間での大和の共有意識が強いので、それほど嫉妬をしていない。古都の積極性に焦りを感じたから、ちょっと意地悪を言ってみたくなっただけだ。
「それじゃ、僕は店の控室で寝るからおやすみ」
どこか落ち着かないので大和は逃げるように寝室を出た。すると唯が玄関までついて来る。
「あの……」
その言葉とともに着ていたTシャツの背中を摘まれる大和。框を超えてサンダルに足を突っ込もうとしていたが、その足を戻すと同時に唯に振り向いた。すると唯はTシャツの腹を摘み直す。
キュン。
唯は俯き加減で相変わらず紅潮していて、上目遣いに見るその瞳が潤んでいる。大和は不覚にも射貫かれた。ただ大和は不覚にもと思っているが、ここ最近メンバーを女として意識することが何度もあるから困惑する。
「私とは寝室別ですか?」
「は!?」
またも声を張った大和。廊下を真っ直ぐにその声が突き抜ける。
「いや、さすがに2人きりはまずいって」
「どうしてですか? 古都ちゃんとは同じ部屋で寝たんですよね?」
寝込みの大和のベッドに古都が勝手に潜り込んだだけだが。
「いやいや。だってそれは不意の出来事って言うか……。それに唯のお父さんを裏切ることにもなるし」
「……」
上目遣いのまま言葉を口にせず大和を見据える唯。
――うぅ、どうしよう、可愛い。
これが大和の心の声だ。大和まで顔が紅潮する。そしてこの状況に困惑もする。
「散々迷惑かけてるのはわかってます。けど、正直心細いんです……」
そう、いつになく積極的な唯だが実はこれが本心である。初めての家出だから無理もない。不安で大和の傍を離れられないのだ。
唯の言葉と眉尻を垂らしたその表情を見て、大和の視野が正常に戻った。そして大和は唯の頭に優しく手を乗せる。ドライヤーで髪は乾かした唯だが、まだ少しばかりしっとりしていた。
「心細いのはわかるけど、この状況で男を相手にそういうことを言うもんじゃないよ」
優しく諭すように大和は言った。しかし唯は引かない。
「大和さんも狼さんになることがあるってことですか?」
「あはは。可愛い言い方をするな。まぁ、絶対ないとは言い切れないよね」
「でも私……」
意思に反して声が震える唯。しかしこの状況で泣くのは大和に対して卑怯だと思う。それに今日は散々泣いた。だから一度間を置いてぐっと涙を堪えた。
「私、そういう可能性があるかもしれないってわかってて言ってます」
ドクン。大和の心臓が大きく脈打つ。しかしすぐさま心の中で被りを振る。
「単発で来た古都の時とは違うんだよ。ましてや皆が一緒だったツアー中とも違う。これから数日一緒に生活をするわけだから。それに僕はメンバーを指導する立場だから、絶対に間違いがあっちゃいけないと思ってる。あと、さっきも言ったとおりやっぱりお父さんに対して申し訳が立たない」
そう言われて残念そうに視線を落とした唯は、同時に大和のシャツも離してしまった。大和は唯がよほど心細いのだろうとわかった。しかしそれ故にどこか自暴自棄にも見えたのだ。
とは言え、普段からあまり自己主張をしない唯だ。その珍しい我儘を受け入れられない自分がいて大和は心が痛んだ。だから妥協案を探った。
「えっと……。寝室とリビングで寝る部屋を分けるならあるいは……」
「本当ですか!?」
大和が言い切る前に唯は勢いよく顔を上げたので、期待している様子が窺える。そんな顔を向けられては、出てしまった言葉を今更引っ込めるわけにもいかない。
「うん。それならいいよ」
「ありがとうございます」
唯の表情は晴れた。
この後リビングに敷いた布団で唯は床に就き、大和は寝室のベッドで眠った。
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