第三十六楽曲 攻略

攻略のプロローグは大和が語る

 まったくもって予想外の展開だ。さすがにこれは困ったと言わざるを得ない。唯のお父さんから連絡をもらい、お父さんは程なくして唯のお姉さんである彩さん同行のもと僕の自宅に来た。そこで僕は事の顛末を聞いた。


「家庭のゴタゴタに大和君を巻き込んでしまってお恥ずかしい」

「いえ。彼女たちの引率をしたのは僕ですから、僕も関係者です。なのでそんなこと言わないでください」


 あまりにもお父さんが恐縮そうに言うものだから、なんとか僕はそう言葉を捻り出す。もちろん本心だ。しかし家庭内いじめにまで発展しているとはさすがに予想外で、これは唯を思うと困ったと言うのが本音だ。


 今お父さんは僕の自宅のダイニングテーブルを挟んで僕の対面に座っている。頭まで下げるものだから、僕は慌ててしまい、顔を上げてもらった。

 彩さんはお父さんの隣に座っていて、こちらもまた恐縮そうだ。2人揃ってそんな顔をされるとこちらまで恐縮してしまう。そして彩さんの正面、つまり僕の隣に唯が座っている。


「父さんと……お姉ちゃんは……」


 僕の左耳に微かに届いた唯の声。お父さんと彩さんが来てから初めて発する彼女の声だ。凄く気落ちた様子の唯は痛々しく、その声はか弱い。

 唯の声に反応して僕が唯を向くと、お父さんと彩さんも唯に視線を向けた。言葉を発した唯だが終始俯き加減で、一向に顔を上げられない。和風美人とも思えるその綺麗な顔は、僕の位置からだと長い黒髪で完全に隠れてしまっている。


「私を連れ戻しに来たの……?」


 怯えるように言う唯。その言葉を聞いて僕は解せた。

 いつもは唯の味方に立ってくれるお父さん。そのお父さんからの電話がかかって来た時に唯は自分の居場所を知られることを嫌った。また、彩さんも唯の味方に立つことが多いと聞いている。それなのに2人が来てから唯は終始怯えているのだ。

 それは家に帰りたくなくて、けど連れ戻されるのではないかと、それを怖がっているからだとわかった。事の顛末を聞いた今だからこそ思うが、唯の心情を思うとそれも無理はない。


「それも含めて。けど、それ以外のことも含めて大和さんと話しに来たんだよ」


 唯を安心させようと優しい声で言う彩さんだが、どこか曖昧なその回答に僕は首を捻る。どういう意味だろう? するとお父さんが僕を見て言った。


「大和君、ここに来る途中に彩と話したんだ」

「は、はい……」


 すると今度は唯を向いたお父さん。どういう話がしたいのだろう?


「唯?」

「……」


 唯は俯いたまま声を発しない。それでもお父さんは続けた。


「今はとても家に帰って来れないよな?」

「……」


 少しの間を空けて、唯は弱く小さく首を縦に振った。そしてお父さんは僕に向き直って続ける。


「大和君、少しの間……せめて夏休みの間だけでもいい。唯を預かってもらえないだろうか?」

「え!?」


 これまた予想外だ。その打診に僕の目は見開く。唯にとっても意外だったのか、この席で初めて唯は顔を上げた。一方僕を見るお父さんは真剣で、それなのにやはり恐縮そうでもある。


「お恥ずかしながら、家内は家庭内いじめをしている状態だ。そんな箱の中に大事な娘を入れるわけにはいかない。そうかと言ってやはり恥ずかしいので親戚は頼れない。ましてや唯の学校の友達にも迷惑はかけられない」


 納得はできる意見だ。だから成人していて、しかも交際相手となっている僕にこんな打診をしたのだろう。杏里に頼ることも一瞬頭に浮かんだが、彼女は実家暮らしだし、唯の家族とは顔見知り程度だから即否決した。

 しかし僕はそこまでお父さんから信頼されているのか? それよりもお母さんのことを思うと、逆効果ではないだろうか?


「家内は僕がしっかり話をして必ず唯の居場所を確保する」

「私からも……」


 はっきりとそう言ったお父さんの言葉に続いて、彩さんが遠慮がちに上目遣いで言う。横目に見える唯はその2人に視線を向けているようだが、表情のほどはわからない。


「迷惑をかけていることはわかってる。けど唯がここに来たように、僕達にも頼れるのは大和君しかいない。僕は僕で自分のやるべきこと、つまり家内の説得を必ず約束するから、少しの間、唯をお願いできないだろうか?」

「お願いします」


 正面の2人は揃って頭を下げた。それに僕は慌てる。


「ちょ、顔を上げてください。お願いです」


 こればかりは強めに言ったので、お父さんと彩さんは申し訳なさそうに顔を上げた。それを確認してやっと僕は意見が言える。


「えっと、さすがに2人きりですけど、問題じゃないですか?」

「こちらからお願いしてることだ。それに大和君の人となりは何度か接しているうちに多少なりとも理解したつもりだ。だから安心して娘を任せられると思っている」


 随分と信頼されているようでなんだか恐れ多い。そもそも2人きりと言っておきながら、古都とは既にそのシチュエーションがあったからばつが悪い。もちろんこの場で口に出して言えることではないが。

 しかし寝床は店にもある。更に言うと唯と2人は初めてだが、ツアーやお泊り会を通して、何度も同じ部屋で過ごしたのだからやっていけるような気がする。


 僕は唯を見てみた。すると唯は僕の視線に気づいてすぐに目を合わせた。ただその時の唯の目はとても悲しそうで、そして縋るようだった。僕の胸はギュッと締め付けられた。

 僕が心から大事にしているバンドの大事なメンバーだ。放っておけるわけがない。


「わかりました」

「本当か?」

「はい。ただ、1つ……」

「なんだね? なんでも言ってくれ」


 僕の遠慮を読み取ってか、お父さんが先を促す。僕は一度息を吐いて話した。


「これは明らかに僕にも直結した問題です。僕にとって凄く大事な唯さんのことだから、いずれは僕もしっかりお母さんとお話してご理解をもらいたいです。だからその席を設けてください」

「わかった約束する」

「だから最悪説得は十分じゃなくてもいいです。せめてその席が用意できたら連絡をください。僕にも唯さんを守らせてください」

「わかった」


 やっとここでお父さんと彩さんの表情が晴れた。とは言っても大変なのはこれからだ。それはこの場の誰にとっても。

 すると彩さんが彼女の正面に座る唯に笑顔を向けた。


「唯、私とお父さんで何とかするからちょっと待っててね」

「……」


 やっと話せるようになったかと思っていた唯だが、返事が聞こえてこない。僕はなぜだろうと思い唯を見てみた。


「ん? どうした?」


 唯は僕をじっと見ていた。しかしなんだろう? この違和感は。どこか心ここにあらずと言った様子を彼女から感じるのだが。


「すいません。目がハートみたいです」

「ん?」


 彩さんがそんなことを言うのだが、どういうことだろう? 僕は首を傾げるばかりだ。


「大和君、これ……」


 するとお父さんがお札を3枚テーブルに置いて僕に差し出した。僕は察するものがあった。すると唯が正気を取り戻したのか、やっと声を発した。


「どうしたの? そのお金」

「お父さんにだってへそくりくらいある。唯を預かってもらう間の生活費だ」

「いいよ。私、バイトもしてるからそれくらい自分で――」

「ありがとうございます」

「え?」


 唯の言葉を遮って僕がお金に手を伸ばしたので、唯が驚いて僕を見たことがわかった。恐らく僕が遠慮して受け取らないと思ったのだろう。しかしこれは僕からの意思表示でもある。もしお金をもらわなければこの期間、唯は僕の好きにされてしまう。そんな心配が保護者の方には絶対について回るはずだ。だから安心してくださいという意思表示だ。

 そう、保護者。つまり唯はまだ未成年で養われている身。僕はお父さんと対等でなくてはならない。相手に恩を売ってしまい、僕にとって有利な状況を作ってはならない。これはこの日、杏里の両親である叔父さんと叔母さんと話した時に、親とはそういうものだと聞いた。もし聞いていなかったら僕は遠慮して受け取らなかっただろう。


「けど、残りの夏休みは今日を入れて6日です。多すぎます」


 僕は2枚だけ返して残りの1枚を受け取った。するとお父さんはこの日一番の「安心した」という表情を見せてくれた。

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