第三十四楽曲 第五節

 ダイヤモンドハーレムが演奏を終え、ステージ袖に捌けたのを見送ってから泰雅が言った。


「大和、ちょっといいか?」

「うん」


 泰雅は大和をホールの外に連れ出した。殺風景な建物の外はもう日が落ちて暗い。それでも街灯や建物の屋外照明で視界は確保できる。そのライブハウスの入り口の脇で2人は対峙した。


「明日が最終日の大阪で、そのステージが終わったらそのまま帰って来るんだろ?」

「うん」


 泰雅はそう切り出して大和の返事を聞くと、話を始めた。


 一方、ホールでは希がセーラー服から着替えることなく、キョウカとアツシのもとに駆け寄った。彼女に気づいてキョウカとアツシが朗らかな笑顔で労う。


「希ちゃん、お疲れ様」

「お疲れ」


 希は額に薄っすら汗を浮かべて、キョウカとアツシに「ありがとうございます」と答えた。しかし希の目的はこの2人ではない。彼らとは後ほどゆっくり話すとして、目的の人物がいないことに焦りを覚える。


「泰雅さんもいましたよね?」

「あぁ、うん。泰雅さんなら大和さんと一緒に外に出たぞ」


 アツシからの返答に希は入り口のドアを向く。察したキョウカが笑顔を浮かべた。


「私たちのことはいいから行って来なよ」

「すいません。すぐ戻ります」


 希は駆け足でホールを出た。その様子に目を細めて見送るのはキョウカだ。


 ホールの外に出ると希は大和と話す泰雅をすぐに見つけた。


「いいね!」


 途端に大和の弾んだ声が希の耳に届く。


「ぶっつけ本番だけど、まぁ、いいよ……な?」

「うん、楽しみだよ。久ぶ、り……ん?」


 大和が泰雅の視線に気づいて言葉を止める。泰雅は大和の肩越しにセーラー服姿の少女を捉えていた。その視線に倣って大和が振り返る。


「あ、希。お疲れ様」

「うん……」


 特に言葉を用意していたわけではない希。まずはとにかく一番気になっていた疑問を口にする。


「師匠、なんでここに?」


 質問を向けられた泰雅は頭をかく。気恥ずかしくてなんと答えたらいいものか、すぐには言葉が出てこない。すると大和がニヤッとして言う。


「ツアー中、希が練習をサボってないか心配で観に来たんだって」

「む……。サボってないわよ」


 そう向きになって答えはしたものの、これも泉が貸しスタジオの手配をしてくれたためだ。もしそれがなければツアーによる経験値は上がっても、練習不足は否めず技術が落ちていた懸念がある。希はそれを理解していた。


「それにしてはバスドラの連打が後半弱かったじゃないか」


 しかしすぐさまダメ出しをするのが泰雅である。またこの調子かと大和は苦笑いだ。


「仕方ないじゃない!」

「何が仕方ないんだよ?」

「うぅ……」


 唸る希。実は昨日の体幹トレーニングによる筋肉痛が残っている。しっかり休息は取ったのでステージ前の体は軽かったが、どうにも筋肉の張りだけは残った。それ故に、ステージの終盤でバスドラのキックが弱くなったことは希自身、実感していた。

 しかしそれを泰雅に言っても、言い訳だとか鍛え方が足りないとか言われてしまうのをわかっているので言葉を飲む。言葉が返ってこないのを察して泰雅は続けた。


「それから3曲目。曲中に古都がクリーントーンで弾き語りをする部分があるだろ?」

「それが何よ?」

「リズム取ってやれよ?」

「は? あれは古都のギターと歌だけのアレンジよ? 他のパートを鳴らしたらアレンジが変わっちゃうじゃない」

「そこまで古都のリズム感を信じてるのか?」

「う……。してない……」


 苦虫を噛み潰したような顔をするのは希だけではない。2人の会話を聞いていた大和も同意のようで難しい顔をしている。希は続けた。


「古都はソロだとテンポが安定しないから、その後演奏に入るのがちょっと大変」

「だろ? だからクローズハイハットを4拍の裏で叩いてリズムを取ってやれよ? そうすればテンポが安定するだろ? できるだけ弱く叩けば、それほどアレンジに影響ないはずだから」


 ジッと泰雅を見据えたまま思考を巡らせる希。確かに納得の意見だ。希は大和を向いた。大和は希の考えを察して、希が話す前に答えた。


「うん。ステージ上でそれをやるのは問題ないよ。アレンジが変わるって程のことでもないし、むしろその方がクオリティーも上がるから賛成」

「わかった。それならこれからはそうする」


 近くの通りを走る車のヘッドライトが希を照らした。泰雅の背後からの光のため、希に泰雅の表情は逆光で暗く見える。その泰雅が気恥ずかしそうにするが、それを希は読み取れない。


「まぁ、それでも今までで一番いい演奏だったよ」

「え……?」

「バンドも個人もしっかり伸びてるよ。日に日にうまくなってるのがわかるから、ステージに立つ毎に一番いい演奏になってんだな。自信に満ちたいい顔してたし。それに躍動感を維持したまま、ちゃんと客席に目を向けてるのも良かった」


 ここまで褒められると思っていなかった希は虚を突かれた。


「激しいドラムアクションはお前の魅力だ。けどせっかくいい表情を持ってるんだから、頭を振るばっかより、顔を見せることもしてた今日の演奏の方がいいと思った」


 京都でライブハウス店主の井出に指摘されたことも意識していた。それも評価してもらえた。バンド全体のことだけなら大和が指導者であるが、ドラムに関しては泰雅が師匠だ。そのドラムの演奏に関して泰雅からもらう評価に希は報われた。


「ありがとう……」


 そう言いながら希まで気恥ずかしくなって顔を俯けた。それを大和は微笑ましく眺めていた。確かに泰雅が言うようにこの2人には、強い信頼が芽生えているのだと大和は思った。

 すると希が顔を上げて言う。


「師匠、今日はこのライブのためだけに広島まで来てくれたの?」

「ま、まぁ……」

「外に出ちゃって、これから再入場するの?」

「いや。もうこれから新幹線に乗る。これ以上いると向こうに着くのが遅くなるから」

「そっか」


 仕事の休みを合わせた泰雅だが、繁忙期の金曜日。地元に帰れば職場であるアクアエデンに行くつもりだ。休みでも何かとやることはある。希はそんな泰雅のスケジュールを察して、気にかけてくれていることを実感した。それと同時に胸が熱くなる。


「師匠」

「ん?」

「来てくれてありがとう。師匠は私の誇りだから」

「な、なんだよ、急に」


 これにはより照れてしまう泰雅。隣で聞いている大和まで照れてしまった。そう言えば自分も昨年の学園祭で、過去の事件を引き合いに出して同じことを古都に言われたなと思い出す。すると途端に一本の線が繋がり、大和は希の言わんとしていることが解せた。


「大和さん。そういうことだから安心して待ってて。ツアー後にちゃんと話すから」

「うん」


 大和は頼もしい希の言葉に顔が綻ぶ。一度は自身も泰雅に不信感を抱いてしまったが、今では元メンバーの彼を誇ってくれる人が1人でも多くいることが嬉しい。希の家族への理解は希に任せて大丈夫だろうと思った。

 一方、2人の話を知らない泰雅だけは解せない様子だ。


「何の話だよ?」

「ダーリンとの秘密の話だから気にしないで」


 カクンと膝が折れる大和。なぜそんな呼び方をするのか苦笑いだ。泰雅はそんな2人を呆れた感じで見ている。心中は「そこまで付き合ってらんねぇ」である。音楽には熱くても、こういうところは冷めた男である。


「じゃぁ、そろそろ時間だから俺は行くわ」

「泰雅、来てくれて本当にありがとう」

「アツシとキョウカさんによろしく伝えといてくれ」


 そう言うと泰雅は背を向けて歩き出した。その大きな背中を見送って大和と希はホールに戻った。


 残すところダイヤモンドハーレムの4週間にわたる武者修行のツアーは、明日の大阪の1ステージだけである。

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