第二十七楽曲 第四節
7月最後の日の首都圏は相変わらず蒸し暑い。さいたまのステージ当日。開場してすぐの時間帯、ホールにいたダイヤモンドハーレムのもとに泉がやってきた。
「やっほ。大和」
「こんにちは、大和さん、美和ちゃん」
泉は萌絵も連れていた。目を丸くするのは美和以外のメンバー3人だ。またも大和に親し気な女子が近づいている。その瞳は敵意剥き出しであった。大和と美和は愛想良く挨拶を返すが、内心ばつが悪い。
「大和さん! 誰よ? この子」
古都が勢いよく大和に突っかかる。唯は眉尻を垂らしているし、希の目は殺意すらもこもっている。それなのに泉はまたこの調子かとどこか微笑まし気だ。
ただしかし、それよりも大和と美和は困り果てる。昨晩はメンバーに嘘を吐いて帰りが遅くなった。まさか泉がこの日のステージに萌絵を連れて来るとは思ってもいなかった。ただ困ってしまっても後の祭りで、親し気な様子を見せる萌絵を前に大和も美和も事実を話す他なかった。
「むむー! 家出少女を捕まえるとは……」
「まぁ、まぁ、古都。大和さんだって泉さんに協力を求めたんだからここは穏便に」
宥めるのは美和だ。自分も昨晩は敵意剥き出しだったなと思わず苦笑いを浮かべるが、気を取り直して美和は希を向いた。
「のんも。ね?」
「美和が言うなら……」
やっとその殺意を引っ込めた希。もしこの時手に刃物でも持っていたら、昼ドラよろしくと言わんばかりの女のドロドロとした事件を起こしていたことだろう。しかし希の不満は美和に向く。
「美和、昨日抜け駆けしてたんだね」
「ちょ、そんなこと言わないでよ。どうしようもなかったんだから」
「嘘まで吐く必要ない」
「だって……。昨日もしリアルタイムで本当のこと言ってたら、みんな(大和さんを心配して)駆けつけようとするでしょ?」
「当たり前」
「この土地勘がない街で?」
「……」
とりあえず美和以外のメンバー3人の不満は引っ込んだようだ。この時大和は質素な夕食じゃなかったことに不平を言われているのだと思っていた。と言っても贅沢をしていたわけでもないし、大和からすれば自身のポケットマネーだが。
すると美和が動いた。
「萌絵ちゃん。ちょっと話そうか?」
「え、あ、うん」
一瞬キョトンとした萌絵だが、美和に従ってライブハウスの外に出た。出演者特権を使って美和が一言チケットブースに言い、この後の萌絵の再入場を認めてもらう。雑居ビルの中層に位置するライブハウスのすぐ外には階段があり、開場したため少しずつ客入りが始まっていた。美和は階段を人の流れがない上に上がり、最初の踊り場で足を止めた。
「その服」
「うん。さっき泉さんから買ってもらった」
昨晩会った時は小さな肩掛けバッグしか持っていなかった萌絵なので、服装が変わっていることに美和は違和感を覚えたのだ。この時萌絵は、昨晩とは違うTシャツにキュロットを穿いていた。
「今日は泉さんの仕事についてたの?」
「ううん。泉さんがここに来る前に一回帰って来て、それで一緒に行こうって言ってくれたの。それまでは泉さんの部屋を掃除してた」
「そっか」
掃除をしていたことに感心する美和。最初のインパクトが大きかったため不純なイメージばかりを持っていたが、どこか健気にも感じる。追い出されるのが怖くて気に入られようと尽くしているのだろうか? だから相手が男なら性交渉を拒まないし、わざと明るく振舞っているのだろうか? あまり表情に変化のない今の萌絵を見て美和はそう感じた。
「合宿明日からだよね?」
「うん」
「タレント養成の合宿だっけ?」
「うん。女優さんも目指すマルチタレントだから演技指導とかもあるみたい」
「そっか。じゃぁ、芸能人を目指すって言っても私たちとは違うんだね」
アール型に仕上げられた踊り場の壁に背を預けて美和が言う。萌絵も美和と肩を並べて壁に背を預けていた。するとその萌絵が言う。
「昨日はごめんね」
「え?」
突然の謝罪に虚を突かれた美和。階段室の硬い照明に照らされた萌絵を向く。昨日までの開き直った彼女はもうおらず、どこかすっきりしたような表情の萌絵がいる。美和の中で少しずつ萌絵の印象が変わっていく。
「美和ちゃんたちの大事な人なんだよね? 大和さんって。それなのに私……。美和ちゃんもそう言ってたけど、泉さんからも美和ちゃんたちと別れた後にそう聞いたから」
「もう気にしてないよ」
美和は正面に視線を戻すと、斜めに走る階段下の天井を見上げた。吹き付け仕上げの薄い陰影が無機質な階段室の雰囲気を強調している。
「良かった。それから気にかけてくれてありがとう」
「まぁ、それは大和さんがしたことだし」
「素敵な人だね」
「えへへ。でしょ? すっごく大事な人だから萌絵ちゃんには渡さないよ」
「あはは。もう手を出そうとはしないよ。殺意が4人分はさすがに怖いから」
クスクスと笑う2人。先ほどのほんの少しの対面で、大和がメンバーからどれだけ大事にされているかを萌絵は悟ったようだ。
「美和ちゃんたちの曲聴かせてもらったよ」
「そうなの?」
「うん。それからライブの動画も見せてもらった」
「泉さんに?」
「うん。すごく格好良かった。曲も鳥肌が立ったし。同世代でこんな子たちがいるんだって衝撃だった」
「えへへ」
素直に嬉しいが、恥ずかしくもなって美和ははにかんだ。それでも自分たちの曲とステージパフォーマンスを褒めてもらい、やはり喜びが隠せない。
「メジャーデビューを目指してるんだよね?」
「うん」
「それをお仕事にするってことだよね?」
「そうだよ」
一切の迷いなく肯定する美和に萌絵は憧れのような感情をも抱いた。今まではずっと家に帰りたくないことしか頭になく、将来自分が何をしたいとか、それどころか目先の目標すらも持ったことがなかった。
「美和ちゃん」
「ん?」
美和は再び萌絵を向く。萌絵は真っ直ぐに美和を向いており、その瞳が澄んでいて美和は引き込まれるような感覚さえも覚えた。
「1つだけお願いしてもいいかな?」
「う、うん。私にできることなら……」
「明日からの合宿を頑張ってって言ってほしい」
「え?」
思わぬ懇願に美和の反応は遅れた。萌絵は相変わらずジッと美和を見据えていて、やはりその瞳が綺麗だと美和は見惚れる。
「昨日、泉さんからどんな合宿なのか詳しく聞いたの。最初は興味なかったんだけど、いつの間にか格好いいなって興味持っちゃって。だから態度だけじゃなくて、目標としても真剣にこなそうと思い始めてるの。本気で合格を目指そうかなって」
「そうなの?」
萌絵がこう言ったきっかけは、ダイヤモンドハーレムのステージ演奏の動画を見たことが大きい。本人の言葉にもあったとおり、同世代の女子がこれほどのパフォーマンスをしていることに感銘を受けたのだ。そして憧れたのだ。だから彼女の中で変化が生まれた。
「うん。それにもし受かったら事務所指定のマンションに入って寮生活になるらしくて、高校は東京の学校に転校して芸能活動をするんだって。仕事を取れるようになれば自分で稼いだお金で学校も通えるから、親を頼らなくてもいいの」
萌絵にとってはこれも動機として大きい。東京なら親元から遠く離れていて、更には自立した生活を送れるのだ。
「泉さんはなんて言ってるの?」
「泉さんは家出少女を匿うための認識しか持ってないよ」
萌絵は自身の変化をこの時初めて人に話した。憧れた美和に。だから合宿のことを詳しく話した泉は、萌絵が態度だけではなく本気で合格するつもりだと知らない。
「昨日いきなり思いついたことだから、今まで必死で目指してきた子たちには失礼に当たるだろうし、足元にも及ばないんだけど。それでも私は本気でやってみたい」
決心まであと一歩のところまでたどり着いたのは、この場で自信を持って目標を肯定した美和の言葉を耳にしたためだ。最後にその美和からの言葉がほしい。
「そっか。応援する。頑張ってね、萌絵ちゃん」
「えへへ。ありがとう。美和ちゃんも今日のステージ頑張ってね。楽しみにしてる」
2人は笑みを交わした。そして美和がもう友達だと言ってお互いに連絡先の交換をした。
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