第二十四楽曲 第三節

 ジミィ君とのデートの翌日、暗くなってからゴッドロックカフェに向かうのは古都だ。備糸駅を出て歩くその表情は、眉が吊り上がっている。歩き方は歩道のアスファルトを踏み鳴らすようである。


 古都は店まで到着すると入り口を開けて、前室を抜け、店内に足を踏み入れた。


 カランカラン


「あ、いらっしゃい。古都」


 開店直後の店内にまだ客はおらず、穏やかな笑顔で歓迎するのは大和だ。その優し気で爽やかな短髪の青年を見て思わず古都はうっとりする。


「じゃなくて!」


 古都は入り口から一番遠いカウンター席に座るとまずはレモネードを注文した。そして……。


「大和さん!」

「なんだよ?」


 注文を受けた大和はカウンター下の冷蔵庫に身を屈めており、古都に視線を向けずに答えた。噛み付きそうな勢いのある古都だが、然して珍しいことでもないので大和はあまり気にしていない。


「お話がある!」

「なに?」


 カランカラン


 古都が切り出したその時、入り口のドア鈴が鳴った。レモネードを作るために体を起こした大和はそのまま入り口を向く。


「いらっしゃ……ん?」

「こんばんは」


 入店してきたのは若い女だ。ヒラヒラミニスカートに半袖ブラウスを着ていて、綺麗な黒髪は肩口くらいの長さで真っ直ぐ下ろしている。彼女は柔らかい笑顔を大和に向けていた。大和は常連客ではないが見覚えのある彼女の来店に虚を突かれた。


「こんばんは。えっと……」

「ピンキーパークのヒナです」

「ヒナちゃんか。名前は初めて知ったな」

「地区大会の時に自己紹介しましたよ?」


 ぷくっと膨れ面を作って大和を見据える彼女はピンキーパークのボーカルギター、ヒナである。もちろん大和は彼女がピンキーパークのメンバーであることはすぐにわかったのだが、名前を憶えていなかったので言葉に詰まったわけだ。


「じゃぁ、改めて初めまして。ヒナです」

「初めまして」


 初めましてではないのだが……と内心苦笑する大和だが、自分が名前を憶えていなかったのだから何も言えない。それでも可愛らしい佇まいのヒナに顔が綻ぶ。

 しかし先ほどから感じる鋭い視線。突き刺さるようなその視線が痛くも感じる。大和はできたレモネードをその視線の発信源に置いた。


「はい、古都。レモネード」

「あ・り・が・と・ね!」

「うぐっ!」


 レモネードのグラスから手を離した瞬間、手の甲を抓られて涙目になる大和。古都から伸びていた手がグラスではなく自分に来るとは予想外で、それどころかなぜ古都が攻撃的なのか理解できない。

 古都はレモネードを口に運びながら、もっとお洒落をしてくれば良かったと後悔した。この時すっぴんで、デニムのロングパンツに緩いTシャツだ。しかもヒナは何をしに来たのか、古都から敵対心が湧いてくる。


「お好きな席にどうぞ」


 大和はヒナを立たせたままだと気づいて着席を促す。ヒナは「ありがとうございます」と愛想のいい笑顔を見せて、古都とは1席空けた隣に座った。好感の持てるその笑顔に大和は目を細める。


 ゴンッ!


 大和に冷や汗が伝った。ここがバーカウンターでなければ、宙に浮いた古都のつま先は大和の脛にメガヒットしていたことだろう。足元から聞こえた打撃音で大和はそれを悟った。とりあえず大和は表情を整えてヒナに言う。


「お客さんでいいんだよね?」

「はい」

「ご注文は?」

「モスコミュール」

「……」


 大和の頭をゆっくり三点リーダーが通過する。ヒナはカウンターに両肘をつき、頬に手を当てて、にこやかに大和を見据えていた。


「えっと、高校生だよね?」

「ダメですか?」


 最大限の困り顔を表現するヒナ。若干呆れた様子の大和が「はい、ダメです」と言うと、ペロッと舌を出した。


「じゃぁ、店長さんのお薦めで」

「レモネードでいい?」

「はい」


 古都に出したことで既に材料が置きっぱなしだったので、大和はすぐにレモネードを用意した。そしてそれをヒナに出す。


「わっ! おいしい!」

「良かった、良かった」


 ――なんだよ、大和さん特製のレモネードは私たちに作ってくれるものなのに。


 面白くなさそうな表情をするのは古都である。なんとなく張りつめた空気を感じている大和は恐ろしくて古都に視線を向けられない。しかしそんな空気を感じていないのか、ヒナは楽しそうである。


「えっと、バータイムの来店は初めてだよね?」

「はい。高校生も来れる店っぽいから一回来てみたかったんです」


 確かにステージもある店だから入店に際して年齢制限はない。それでもバータイムとなれば、酒を飲むことがメインの店だから印象がいいものではない。

 尤も、ダイヤモンドハーレムのメンバーはそんなことお構いなしに、金曜日の定期練習後は制服姿で居座るのだが。さすがにその格好は遠慮してほしいと大和は憂いているものの、酒を飲んでいるわけでもないし、常連客からの要望だから目を瞑っている。そもそもの話、未成年のバータイムの来店は大和と響輝が始まりだ。


「来てみたかったって、この雰囲気の中お酒が飲みたかったんですか?」


 初めて古都がヒナに声を掛けた。最初に口にした注文が酒であったことに嫌味を込めている。そして古都の言う雰囲気とは店内に響くロックを指している。ヒナはそれを理解して一度宙に視線を這わせると答えた。


「ううん。音楽はやってるからもちろん好きなんだけど、本当はそれよりも別の目的があって」

「なんですか? それ」

「店長さんに興味があるの」

「ごほっ」


 口に運んでいたレモネードで咽る古都。まさか心配していた回答が本当に返ってくるとは思っておらず、思いっきり動揺した。


「僕に興味ってどういうこと?」


 大和は大和でこの調子である。特段深い意味だとも捉えず、平然と質問を返す。


「どういう意味ってそういう意味ですよ」


 目を細めたヒナは魅惑的な笑みを浮かべて大和を見据える。その表情に思わず大和はドギマギするが、やはり古都からの視線が痛い。だからあまり深く詮索しないでおこうと思った。――のだが、ヒナが言う。


「店長さんって素敵な男性だなと思って」


 ここまではっきり言われて顔を真っ赤にする大和。しかしとうとうここで古都が噛み付いた。


「ちょっと! ナンパですか?」

「元々知り合いなんだからナンパって言うのは違うんじゃない?」

「じゃぁ、なんですか?」

「なんですかって、言葉のとおりよ。店長さんと出会って興味を持ったからモーションかけてるの」

「ウキー!」


 吠える古都。とても面白くなさそうである。一方大和は困惑気味だ。


「なんでそんなに突っかかるの? ダイヤモンドハーレムのKOTOちゃん?」

「な、なんでって、大和さんは私達の大事な人だからですよ!」

「達って……つまりそれはバンドにとっての話であって個人的な話ではないのよね?」

「個人的にも大事ですよ!」

「深い関係なの?」

「むむむむむぅ!」


 次の句が出ない古都。メンバー全員が大和を慕っていて、時には取り合いもするくせに、メンバー誰もが進展はまったくない。

 もちろんダイヤモンドハーレム全員と大和のそんな関係性にヒナが気づいているわけではないが、近い関係なのは重々承知しているので牽制した。そんな古都とヒナの様子を見かねて大和が口を開いた。


「まぁまぁ、大人を揶揄かうのはそのくらいにして」

「揶揄ってませんよ」


 すかさずヒナから言葉が返ってくる。大和はやれやれと思う。が、しかし、ヒナのアタックは留まることを知らない。


「私じゃダメですか?」

「そりゃ、高校生相手にそんなこと考えられないよ。コンプライアンス上もまずいし」

「私、もう18歳です。店長さんと大人のお付き合いできますよ?」

「う……」

「こらー! 破廉恥だ!」


 またも噛み付く古都。破廉恥だなんてどの口で言っているのか。しかしヒナは小悪魔な笑みを見せる。


「あら? 古都ちゃん、もしかして処女?」

「うぅ……」


 古都はもう泣きそうである。大和も居た堪れない気持ちだ。


「とりあえず、そういうお誘いは困るよ」

「困らないでくださいよ」

「いやいや――」

「そうだ! 実はもう1つお願いがあって来たんです」

「ん? お願い?」


 首を傾げる大和。するとまったく予想していなかった打診がヒナの口から出た。


「私たちもプロデュースしてください」

「は!?」

「ちょっと!」


 BGMが次の曲に移行するその最中、古都の声が響いた。それは剣幕とも言えるほどの怒声だった。

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