第十四楽曲 第七節

 気落ちした古都は学校を出ると電車に乗り込んだのだが、アルバイトが休みのこの日、ゴッドロックカフェとは反対方向のホームから乗った。

 学校が事情を聞くと言っていたのだから、すぐにメンバーにはわかることだ。それでも何と説明したらいいのかもわからないし、こんな気分では店の常連客と触れ合うのも気が引けた。尤も、他のメンバーはこの日アルバイトなのだから店で会うことはないのだが。


 やがて古都は地下鉄を乗り継いで、県内政令指定市の駅で電車を下りると都会の街を歩き始めた。と言っても、目的もなく到着した先は駅からすぐの刹那広場である。夏休みの路上ライブでトラブルを起こされた場所だ。

 この日、刹那広場では男性バンドが演奏をしていた。日はほぼ沈み、街はネオンが灯り始めて、空は薄暗くなっている。制服姿の古都は演奏しているバンドから少し距離を取って屈むと、スカートの中が正面から見えないように通学鞄を足元に置いた。


『じゃ、今日最後の曲! 聴いてください!』


 演奏中のバンドのボーカルがマイクを通して声を張る。大型連休でもないのに平日から演奏をしているが、聴衆は古都以外いない。日も落ちてこの曲を最後にもう撤収のようだ。演奏中のバンドは古都に向けて演奏を始めた。


「はぁ……」


 憂鬱な気分の古都は演奏を聴きながらため息を吐く。元はといえば自分に向いたいじめがここまで尾を引いてしまっている。メンバーに対して恐縮の念を抱く。そんなことを考えながら古都はぼうっと演奏を見ていた。


 やがて演奏は終り、バンドマン達は撤収を始めた。古都はその場を動くことなくバンドマン達を目で追った。


「ん? ……あれ!?」


 すると古都は道路に見覚えのある風貌を捉えた。広場の端の、成人男性の目線ほどの高さの植え込みの先で、頭一つ抜けている男だ。古都は急いで通学鞄を拾い上げると、その男の方へ駆け寄った。

 しかし、広場から歩道に出るともうその男はいなかった。明らかに長身と言える男。古都は首を振って周囲を見回した。するとその長身から目立つため、男はすぐに見つかったのだが、大通りを挟んだ横断歩道の先を歩いている。しかも歩行者信号は現在赤。古都は急く気持ちを抑えながら男を目で追い、信号が青に変わるのを待った。


 そして信号が変わった途端にダッシュした。スカートの裾が浮き上がることも気にせず、男が折れたのを確認した路地へと急ぐ。

 路地を曲がったらまた見失っているのだろうか。そんな不安を抱きつつも古都は軽快に路地を折れた。すると長身で目立つその男は1つの雑居ビルに入っていった。

 見失わずに済んで安堵する気持ちと同居して、その雑居ビルに入ることに一瞬躊躇う古都。そのネオンの看板が示すのは『AQUA EDEN』というロゴで、明らかに賑やかに酒を飲む店である。


 路地を折れてからは歩いていた古都は、そのアクアエデンの前まで来て看板を見上げる。店の印象は変わらない。中からは賑やかな重低音が響いてくる。周囲はもうほとんど暗くなっていて、この路地は散見される店の派手なネオンに照らされている。

 すると古都の脇を2人組の男が通り抜けて店に入った。その時2人の男は女子高生が店の前に立っていることに怪訝な表情を向けていた。一方古都は、男たちが扉を開けた時に店内の様子を窺おうと思っていたのだが、店内の入り口はすぐ横に折れ、暗い内装しか確認できなかった。ただ、賑やかな音楽だけが鼓膜を刺激し、鳩尾を揺らした。


 今しがた入店したばかりのその男達は派手な服装や髪型をしており、シルバーのアクセサリーを身に着けていたことから、古都はやんちゃでありチャラいという印象を受けた。


「マジか……」


 古都は悩む。制服姿のままこの店に入るか否か。通学鞄を肩に掛けたまま腕を組み、「うーん……」と唸って考えた。

 すると今度は男女2人組が古都の脇を抜けようとした。やはり女子高生が店の前にいることに怪訝な表情をしている。それに2人とも格好は派手である。しかし古都は意を決して声をかけた。


「あ、あの……」

「ん?」


 女の方が古都に反応した。声はかけたものの言葉を用意していなかった古都は一瞬躊躇したが、なんとか声を振り絞る。


「ここってどういうお店ですか?」

「基本的にバーだけど、たまにDJが生演奏したりするからクラブにも近いかな」


 女は愛想良く古都に答えてくれた。クラブだと予想していた古都はそれが遠からずだと思ったが、つまり高校生の自分が入れないという懸念がある。


「私って入れないですよね?」

「ちょっと……その格好じゃ無理かな」


 苦笑いを浮かべて答える女。案の定である。古都は目的の人物に会いたいと思っているのだが、どうしたらいいものか。


「私、恩人を追ってきてここに来たんですけど……」

「恩人?」

「はい。夏に長身の人から助けてもらったことがあって、その人をさっき見かけて追いかけたらここにたどり着いたんです」

「長身って言ってもなぁ……」

「一見スラッとした感じの人なんですけど、筋肉は発達してる人」


 女は顎に手を当てて心当たりを探った。すると横にいた男の方が閃いた。


「それって、店長の泰雅さんじゃね?」


 口ピアスを揺らしながら言うその男は得意気だ。それを聞いて女の方も合点がいったように表情を明るくさせた。


「そうだね。泰雅さんだ」


 泰雅たいがという名前に懐かしい響きを感じる古都だが、うまく記憶が繋がらずすっきりしない。


「店長さんなんですか?」

「うん。用事あるなら呼んで来てあげようか?」

「いいんですか!?」

「うん。待ってて」


 そう言うと女は男と一緒に店内へ消えた。待っている間、古都は「タイガ、タイガ、タイガ」と頭の中でその名前を反復させる。


 程なくして、店内から扉を開けたのは長身の男だ。


「あっ!」

「げ……」


 古都は男と目が合った瞬間、さっきまで追いかけて探していた男だと理解した。この男こそ泰雅である。しかし一方、泰雅は古都がこんな所にいるとは思ってもおらず、ばつが悪そうだ。それどころか即扉を閉めて店内に避難しようとした。


「ちょい! ちょい! ちょい!」


 もちろんそれを古都は阻む。閉まりかけの扉に身を滑らせ店の前室に入ると、すかさず泰雅の腕を取った。長身のせいか一見はスラッとした体系に見える泰雅だが、やはり筋肉で発達したその腕は太いと古都は感心する。

 この男は間違いなく、夏休みの路上ライブでトラブルに巻き込まれた時にダイヤモンドハーレムを助けて、更に希にドラムのうんちくを語った男である。この店、アクアエデンのロゴが背中に書かれたスタッフTシャツを着ている。


「ちょ、入るな。未成年入店禁止だ」

「二十歳です」

「その格好で嘘吐くな。備糸高校1年のKOTO」

「げ、何で知ってる?」

「その制服知ってんだよ」

「とにかく入れないなら外でお話しましょう?」

「俺は仕事中だ」

「そんなこと知りません。お仕事終わるまで待ってたら補導されます。だから今からお話してください。それがダメならこの格好のまま店の前に居座って、補導されたら泰雅さんを待ってるって職質に答えます」

「てめぇ……」


 これが雲雀古都ひばり・ことだ。場も人の都合も弁えたものではない。古都の性格までは知らない泰雅は深くため息を吐いて頭を掻いた。そして根負けして古都に言った。


「わかった。ちょっとバイトに店を抜けるって言ってくるから外で待ってろ」

「逃げないでくださいよ」

「逃げねーよ。て言うか、店の前に立たれるのもまずいからすぐそこのファミレスに入っててくれ」

「わかりました」


 古都が答えると泰雅は踵を返し、ホールへの扉に手をかけた。すると思い出したように古都に振り向き言葉をかける。


「話はするけど、今日俺達が会ったこと、絶対に大和と響輝と杏里には言うなよ」

「え、ちょ……」


 泰雅は古都の返事も聞かずにホールへ消えた。古都はとりあえずと言った感じで店を出て、泰雅が指定したファミリーレストランへ向かう。その時に考えていた。


「大和さんはともくかく、なんで響輝さんと杏里さんの名前まで……」


 難しそうな顔をする古都だが、過ぎ行く人々はその美少女に振り返る。路上ライブで泰雅に助けてもらった時に、プロデューサーと言ったら心当たりがあるような顔をしていた。だから大和のことは知っているのかもしれないと納得できる。しかし古都が解せないのは、なぜ響輝と杏里の名前まで出てくるのか……。


「たいが、タイガ、TAIGA……。あー!」


 古都の知る1人の人物の面影が泰雅に重なった。瞬間、アクアエデンに振り返る。その時古都は既に、路地を抜け大通り沿いのファミリーレストランの入り口まで来ていた。

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