第十一楽曲 第八節

 スマートフォンを耳に当て、緊張した面持ちで対応を始める大和。


「もしもし、菱神です」

『ジャパニカンミュージックの吉成です。お世話になります』

「こちらこそお世話になります」


 大和の期待が増す。朗報であってほしいと願う。6月に送った楽曲は既にレコーディングが済んでおり、来月発売であることは把握している。だからまだ話題にすることでもなく要件は他の内容だと予想する大和だが、その予想は当たった。


『また制作のご依頼をしたいのですが』

「本当ですか!」


 声を弾ませた大和。店を経営する傍ら、ダイヤモンドハーレムのプロデュースと楽曲製作は大和の生き甲斐である。それにしても日曜日にまで電話をかけてくるとは、吉成は仕事人間なのだなと大和は感心する。


『はい。今月中にこちらからの要望をまとめてメールで送らせていただきますが、よろしいですか?』

「はい! 是非!」


 一気にやる気に満ちた大和。この炎天下の暑さも吹き飛ぶほどだ。しかし内心は燃えた。


『あと1つご相談なんですが』

「はい、何でしょう?」

『我々、新人発掘も積極的に行っておりまして、菱神さんからお薦めできるようなアーティストはご存じないですか?』


 大和はふと考える。お薦めしたいと言えば真っ先にダイヤモンドハーレムが思い浮かぶが、レコード会社の吉成が言う意図はメジャーデビューをさせるアーティストだ。ダイヤモンドハーレムは演奏力もまだまだなら、ステージ経験もない。残念ではあるが考察除外だ。それにまだ高校1年生なのだし、慌てる必要もないと思っている。

 そう考えていると吉成が言葉を続けた。


『最近そちらの地域のライブハウスっていかがでしょう?』

「6月に1回行きましたが、いいバンドは多いですよ。ただ、御社に推薦できるほどかと言うと……」

『そうですか……』


 気を使った営業トークながらも吉成の落胆が垣間見える。その吉成が言葉を続けた。


『もし今後も新人アーティストを見る機会がありましたら、いいアーティストはどんどんご紹介して頂きたい。デビューの際は気持ちばかりお礼もしますので』

「わかりました。その際はご連絡します」


 仕事の依頼をもらっているわけだから吉成からの要望にはできるだけ応えたいと思う大和は、今後ダイヤモンドハーレムの活動を通して多くのバンドを見る機会があるだろう。注意して見ておこうと思い電話を切った。


 場所を移動してしまったがために、しばらくしてアトラクションが終わった杏里は大和の居場所を知らず、大和に電話を掛ける。それを大和はパスポートの時間まで別行動と言って切ってしまった。今更毎度毎度合流することが煩わしく思うのと、響輝と動く杏里を思いやってのことだ。


 やがて昼過ぎとなり、パスポートの時間も切れ、大和は杏里と響輝と合流した。それまで大和はただ園内を散歩していただけだ。そして3人で昼食を済ませると園を出て隣接のアウトレットモールに繰り出したのだ。


「響輝、次こっち」

「おう」


 実に楽しそうな杏里とそれに付き合う響輝。杏里は目ぼしい店を見つけると響輝の手を引いて入店する。しかし常に手を引いているわけでも、ましてや繋いでいるわけでもない。これが杏里のヘタレ具合である。

 一方大和は汗を掻いている。手には買い物の紙袋。つまり杏里の荷物持ちである。マイカーを出動させ運転をして、貴重な休日に何をやっているのだと思うが、可愛い従妹が親友と楽しそうにしているので、まぁいいか、とも思う。


 途中入ったスポーツブランドの店でレディース向けデザインのタオルを発見したので、大和はそれを4枚、土産として購入した。

 買い物も終わり駐車場に戻った時、時刻は既に夕方になっていた。運転席に収まった大和はどっと疲れており、買い物だけで半日もよく動けるものだと心の中で嘆く。しかもその杏里はまだ楽しそうなので、元気だなと思う。そして会話が止まらないのだ。


「ご飯どうする?」

「あぁ。俺、行きたいとこあるんだけど」


 後部座席に収まった響輝が言う。この日の予定を最後に知らされた響輝だが、大和も杏里も夕食の当てがあったわけではないので、興味を示し杏里が問う。


「どこ?」

「刹那広場の近くなんだけど、大和大丈夫か?」

「あぁ、うん。わかった」


 刹那広場はダイヤモンドハーレムが最近路上ライブに使っている場所で、県内に戻ってその政令指定都市にある。大和は高速道路を使ってここから30分くらいかと頭の中で目算する。


「美味しい店知ってんの?」

「うん。まぁな」


 道中は助手席の杏里が後ろに体を捻って響輝に問い掛けるわけだ。大和はいっそのこと荷物は助手席か荷台に置いて、杏里は後部座席に座ればいいのにと思う。とまぁ、そんなことを考えながら目的地に到着したわけである。

 大和がコインパーキングに車を入れて、その後響輝が案内した店は小洒落た創作料理店。料理は美味く、酒も多種において揃っており、運転の大和を除き杏里と響輝は酒を飲んでいた。


「まったく、人に運転させといて……」

「まぁ、そう言うなって。ここは俺の奢りでいいから」


 文句を垂れる大和を宥めるのは響輝で、ほんのり顔が赤い。歩き回って疲れているはずの杏里もアルコールで気分が下がることはないようだ。

 しかしここでもヘタレ具合を発揮しているのは杏里で、衝立程度のブースのボックス席に収まる3人だが、杏里は大和の隣に座っている。大和の正面は響輝なので、杏里から見て響輝は斜向かいだ。なかなか積極的にいけない杏里である。

 すると響輝が思い出したように……いや、そう装って言う。


「そうだ。俺、この後行きたいとこあるからここまででいいわ」

「ん? そうなの? 帰りは?」

「電車で帰る。最悪、明日は有休とってあるから終電逃しても朝まで遊ぶなりどっかに泊まるなりするわ」


 それを聞いて急にそわそわし出す杏里。今は夏休み中の大学生で、普段は実家暮らし。自由な時間が持てるこの時期だ。思うところがあるのだろうと、大和は杏里の様子を見逃さなかった。


「杏里も響輝と遊んで行けば?」

「え?」

「別にここからなら電車で帰って来れるだろ?」

「あ、うん……」


 少し遠慮がちな杏里だが、大和は叔父と叔母にたまの夜遊びを告げ口する気もない。そもそも杏里ももう20歳なのだから、これくらい問題はないだろうと思う。そんな考えで大和は響輝を向いた。


「響輝いい?」

「あぁ、うん。問題ない」


 それを聞いて途端に表情を明るくする杏里。大和は最後に付け加えた。


「何なら今夜は帰ってこなくてもいいから……うっ!」


 大和の隣の席から容赦なく杏里が大和の脇腹に拳を入れる。そして杏里は俯いて黙ってしまった。


「もういっそのこと既成事実を作って、さっさとくっつけ」


 これは杏里に対する大和の心の叫びである。その大和の思考は杏里にも読み取れてはいるわけだが、それができれば苦労はしないと杏里は心中嘆く。それどころか、それができるならその前にちゃんと気持ちを伝えていると肩を落とす。


「本当、お前ら仲のいい兄妹みたいだな」

「まぁ……」


 響輝にそう言われて頭を掻く大和。実際に血縁のある従妹なのだから妹と見るにも違和感はない。大和も杏里も一人っ子で、昔から兄妹のように育ってきたのだ。

 そう言う響輝は杏里の気持ちに気づいていないわけで、仲のいい従兄妹同士を微笑ましく見るわけだ。響輝にとって杏里との付き合いはクラウディソニック時代からだが、面識自体はゴッドロックカフェに出入りしていたことでそれより前からある。

 その杏里は特別響輝を意識していることを今までずっと表に出していない。表向き杏里は誰とも対等に接してきた。杏里の気持ちを知っているのは大和だけだ。


 この後しばらくして3人は解散し、大和は杏里を響輝に任せて1人で帰路に就いた。そしてこの夜、杏里は本当に帰って来なかった。

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