第十一楽曲 第二節

 路上ライブ3日目。デジタルカメラを構えるのは大和。カメラは実家から借りてきた。そしてそのカメラが向く先にいるのは4人の軽音女子。汗を掻きながら演奏をし、歌を歌っている。

 大和も額に汗を浮かべる。大きく動くことのない大和だが、ただカメラで彼女達を追うだけでも汗が染み出てくる。そんな暑い日だ。


『こんにちはー。ダイヤモンドハーレムです』


 古都がマイクを通して通行人に呼びかけるものの、ここは広場で道路まで少し距離がある。つまり通行人までが遠い。なかなか足を止めて、ましてや近くまで来て聴いてくれる聴衆はいない。

 しかし綺麗に通る古都の声。バンドの演奏自体はまだ荒さがあるが、ここは屋外。空に散る音は吸音も反響もすることなく、専用の造りのホールよりは誤魔化しが利く。だから通行人の耳には例外なく古都の声に守られた綺麗だと思える音楽が届いている。


『次の曲いきまーす。聴いて下さーい』


 古都のMCに続いて希のカウントが入り、演奏が始まる。そしてイントロを経て古都がその美声を惜しみなく発揮する。しかし平日。街行く人は急か急かと歩いている。耳には届いていてもなかなか立ち止まるほどの時間を持ち合わせていない。

 すると演奏をカメラ越しに見守っていた大和の背中に声が掛かる。


「へぇ、頑張ってんじゃん」

「本間さん!」


 振り返った大和はその男の名前を口にした。そこにはダイヤモンドハーレム最初の商業ステージを飾るライブハウス、クラブギグボックスの店主、本間が立っていた。


クラブギグボックスうちの店からここ近いんでな、休憩がてら見に来たんだわ」

「よくここでやってることわかりましたね」

「ホームページに書いてあっただろ?」

「見てくれんだ。嬉しいっす」


 本間は演奏中の曲が終わるまでこの後は言葉を発しなかった。そして、演奏が終わるなり言う。


「うん。曲も良いし、演奏技術も問題ないな」

「ありがとうございます」

「何よりボーカルの声がいいわ」


 大和は自分が褒められているかのように照れて頭を掻く。今やそれほどまでダイヤモンドハーレムに思い入れを持っているのだ。


「ブッキングした後で何だが、見に来ておいて良かったわ」

「音源とはやっぱり違いますからね」

「まぁな。さすがにデモ音源でボーカルの声まで編集してるとは思ってなかったけど」

「あはは……」

「不躾なこと言ってすまんな」

「いえ」


 大和が苦笑いを浮かべるのでばつが悪そうに薄く笑って謝意を口にする本間。まずは演奏の信用を得ることがスタートかと大和は思った。


「これ、曲は誰が作ってんだ?」

「僕とギターの2人です。仕上げは僕ですが、作詞は全部ボーカルの古都です」

「ふーん。いい曲作るんだな」

「ありがとうございます」


 腕を組んで本間が女子達を見ていると、演奏が次の曲に移行した。大和と本間の後ろをクールビズでYシャツ姿のサラリーマンが早歩きに通過する。近道だろうか、この広場を通り抜けしただけのようだと大和は感じた。

 少し離れた通りでは夏休み中の若者達が賑やかに歩いている。食事やお茶や買い物を楽しんでいるのかと大和は思う。ダイヤモンドハーレムとは近い年代なので、そういうティーンズにこそ立ち止まって、願わくは近くまで来て観てほしいと大和は思うのだ。


「そう言えば、大和の従妹」

「え!? 杏里のことですか?」


 本間の口から出た意外な人物に大和は驚いて本間を見た。間違いなく杏里のことであり、クラウディソニックの手伝いをしていた経緯から、確かに本間とも面識がある。


「そうそう、杏里。色々ライブハウス回ってるみたいだぞ?」

「杏里が? 何でまた?」

「さぁ。むしろ俺が大和にそれを聞きたかったんだがな。ボーカルとドラムを探してたってうちのバイトに聞いたな」


 なぜ杏里がそんなことをしているのか解せない大和。ただ、杏里に訳を尋ねたところではぐらかされるのがオチだろうとも感じる。杏里がなかなか自分の本心を見せないことを大和は知っているし、そのために行動の動機をあまり口にしないのだ。だから大和は今回のダイヤモンドハーレムの路上ライブの手配も未だ解せていない。


「と言っても、先月の頭くらいのことだったかな……」


 本間が記憶を辿るように言うので大和はそれが路上ライブの手配をした時期と近いなと思った。


「それ以降は聞いてないし、俺自身直接は見てないからな」

「そうですか……」


 杏里のこの噂話は大和に謎として残る。何か目的があってコソコソ動いているようだと思うが、その核心はわからない。


「じゃ、俺はそろそろ行くわ」


 本間がそう言って場を離れた時は既に15時で、結局最後までいてくれたことに大和は心から礼を言った。そしてメンバーと一緒に片づけをしてこの日は撤収した。


 夕方。店のステージで機材はセットされず、整えて置かれている。セットされたのはドラムセットだけだ。生演奏の予定は入っていないからこれで問題はない。大和はふと思う。そう言えば自分が店を引き継いでからは一度もこの店で生演奏をしていないな、と。


「何? またバンドやりたくなったの?」


 ホールでステージを見る大和に声を掛けたのは開店準備を終えた杏里だ。薄く不敵に笑っている。


「いや、もう自分が人前で演奏するつもりはないよ」

「そっか……」

「うん。この子らの面倒を見るのに一生懸命だし、作曲とアレンジャーの仕事もあるから十分かな」


 その大和の満足そうな表情は嘘に見えず、心なしか杏里の表情が曇る。ステージ上ではこの日アルバイトが休みの希がドラムを叩いていた。


「あ、そうだ。ご飯作ってあるけど食べる?」

「食べる。腹減ってたんだよ」


 思い出したように言った杏里だが、これは意図した話題の転換であり、それに気づかない大和は声を弾ませた。それを確認して杏里は微笑むと希を向いた。


「のん!」


 ドラムの練習中の希に一際大きな声を掛けた杏里。その声は希の耳に届き、希は手を止め杏里を見た。


「お腹空いてない?」

「空いてる」

「じゃぁ、ちょっと待ってて。ここに持ってくるから3人で食べよう」


 これは大和にも向けられた言葉で、杏里は一度店の外に出て大和の自宅へと上がった。


 杏里は美和に劣らず料理が上手い。出された料理の味に大和も希も感動していた。大和は以前から何度か口にしたことはあったのだが、腕を上げたなと感心していたのだ。


 カランカラン


 3人での夕食を終え、希と杏里が円卓を片付けているとドア鈴が鳴った。ちょうど19時を過ぎたくらいの時刻だ。カウンターの中にいた大和が入って来た客に声を掛ける。


「いらっしゃい、勝さん」

「よう。……って、杏里もいるじゃん」

「何よ、その嫌そうな顔」


 先週末来店した時、杏里の存在にさぞ驚いていたのが勝である。もちろんこの2人も過去のステージ活動を通して、面識があったのだ。


「あとは上に運ぶだけだからもういいよ」


 杏里が食器をトレーに載せて希に言うと、希はペコリと頭を下げてカウンター席に向かった。杏里を敵視していた希だが、どうやらこの日の夕食でうまく餌付けされたようだ。その杏里はトレーを抱えて裏から店を出た。


「お兄ちゃん」

「ん?」


 勝の隣に座った希の目の前には大和からレモネードが置かれた。勝の手元にはウーロン茶だ。


「杏里さんってお兄ちゃんから見たらどんな人?」

「ん? 杏里? ……クラソニの元敏腕マネージャーで、且つ鬼マネージャー」


 一度悩んでから答えた勝の言葉にあまり理解ができない希。心当たりがあるのかカウンターの中で大和はクスクスと笑っている。希が言葉を発せず一口レモネードを含んだので、勝が質問を返した。


「なんで?」

「いや。恋敵のリサーチ」

「ふーん」


 表情を変えずにウーロン茶で一度喉を潤す勝。そのグラスをカウンターに置くと希と勝は同時にはっとなった。そして声を張ったのは勝だ。


「恋敵!?」

「……」

「希、今恋敵って言った? 希、いい奴いるの? 誰だよ?」

「……」


 勝が捲し立てるが、希は一切答えない。面倒なことになった。言わなきゃいいことがつい口を吐いてしまったと後悔する。しかしそれでも彼女は悠然とレモネードを飲む。この後勝の質問攻めにも希は一切動じず、無視を決め込んでいた。

 一方勝は希のストーキングをしていたGW合宿で、大和がメンバーから慕われているという響輝の言葉を思い出す。癪なので敢えてその名前は出さない。いや、肯定されることに恐れを成して口にできないのだ。

 その様子をクスクスと笑いながら眺める大和。この男、目の前の会話が完全に他人事で、まさか希の意中の相手が自分だとは思っていない。花火大会で手繋ぎデートをしておきながら。

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