第九楽曲 第一節
7月に入り、2日後からの期末テストを控えた土曜日。ゴッドロックカフェには朝から7人の高校生が私服姿で集まっていた。
「違うよ、古都ちゃん。そこはたすき掛けにするんだよ」
「むむ。むむむ……」
円卓を1卓使い古都に数学を教えるのは唯だ。どうやら因数分解のようである。古都は難しそうな顔をして問題と向かい合っていた。しかしなかなかペンは進まない。
「あぁ、だから違うって」
「……」
「なんでこの時期に元素記号を覚えてないんだよ」
「元素記号は私の人生に必要ない」
隣の円卓を1卓使い希に化学を教えるのは美和の幼馴染の正樹である。口数の少ない希。そしてなかなか勉強が捗らない希。正樹はフラストレーションが溜まる。
「大体、そもそもH2Oのとこ。それなんて書いてあんだ?」
「オープンハイハット」
「……。俺、あんま詳しくないんだけど、それってドラムの用語だよな?」
「そう。『H・H・』がハイハットで、『
「とりあえず、ドラムのことは一回頭から離して化学の勉強をしようか」
希はよくこれで高校に合格したものだ。進路は就職や専門学校進学の生徒もいるとは言え、一応備糸高校はぎりぎり進学校だ。
ゴッドロックカフェのホールにある他の円卓は、残りの2卓を接して並べ、美和と古都のクラスメイトの華乃と唯のクラスメイトの江里菜が勉強をしている。
この日は勉強会で、美和から正樹が呼ばれ、理系科目が得意な唯と正樹が古都と希の勉強の面倒を見ているのである。
また古都と希は中間テストで赤点ではなかったとは言え、英語や古文などの科目も苦手だ。その講師にと唯の口利きで文系科目が得意な江里菜が呼ばれたわけである。唯一人で2人の面倒は見切れないとの考えだ。
そしてこの勉強会を聞きつけて参加したのが華乃である。その華乃は3人が陣取る席でぼやく。視線の先は希だ。
「なんか、大変そうだね」
「本当ね……」
同調するのは美和で、江里菜は理系の勉強が終わったら自分の番かと内心頭を抱えた。
「まぁ、古都のことは中学の時からわかってたし、私が時々勉強見てあげてたんだけど」
「それでよくうちの高校受かったね」
呆れながらに反応する美和であるが、話題の主の古都よりひどい希を見て華乃は心配している。希への心配ももちろんだが、教える正樹に対しても心中察する次第だ。
そもそもの話である。気難しい希に対しては正樹が教えるより、既に付き合いがあって根気のある唯が教える方が適材適所である。それにも気づかずこの場の高校生達は勉強会を進めているのだ。
「みんなで勉強会って聞いたから本当はわからないところを教えあえるのかなって期待してたんだけどな」
「まぁ、私達は私達で協力して勉強しよ?」
「そうだね。この後教える江里菜ちゃんはちょっと気の毒だけど」
「あはは。頑張るよ……」
乾いた笑いで答える江里菜だが、実はもう1人気の毒な男がいる。今は2階の自宅で寝ている大和だ。この日の勉強会をゴッドロックカフェでやると聞かされていなかった大和は朝から古都の電話とインターフォン攻撃で叩き起こされ、店の合鍵を古都に渡していたのだ。
「それなら昨日のうちに言ってくれよ。鍵渡しておいたのに」
「あれ? 誰かが言ってるもんだと思ってた。あはは」
これは鍵を渡した時の玄関先での古都と大和の会話である。ケラケラ笑う古都に対して大和は眠そうな顔で不機嫌さが隠せていなかった。そもそも古都のみならずメンバー4人が4人ともこの意識だったのだから情けない。
因みにこの勉強会、明日の日曜日も開催される。学校が半日のテスト期間中もだ。さすがにそれを聞いて大和は合鍵を1本ダイヤモンドハーレムに渡した。赤点なら活動停止だと言った手前、大和も協力を拒むことはできなかったのだ。
そしてその合鍵は一度はメンバー内で取り合いになった末になんとか話し合いがまとまり、結局リーダーの古都が管理することになった。
「12時! お昼にしよう?」
正午ぴったりに声を張る古都。他のメンバーは各々時計を確認し始める。途端にテーブルに突っ伏す希。古都は既にペンを置いてノートを閉じていた。休憩だけはちゃっかりしている。その古都の正面に座る唯が問い掛けた。
「どこか食べに行く?」
「そうだね。そうしようか」
「ちょっと待った!」
その古都と唯の会話を遮ったのは正樹だ。他の6人の視線が正樹に向く。
「この人数で動くのか?」
「そうだけど、なんで?」
「……」
古都の問い掛けに口篭る正樹。きょとんとしたその古都の表情は男にとって魅力的だが、正樹には意中の相手がいるので効果はない。尤も、計算せずにその表情をしている古都も無自覚の小悪魔なのだが。すると正樹の意図を読み取った美和が正樹に薄く笑みを向ける。
「あぁ、わかった。女子6人はべらすのが恥ずかしいんでしょ?」
「……」
図星である。正樹は小さく首を振って肯定した。美和と2人なら慣れている正樹もこの7人で動けば随分目立つ。周囲の視線が痛いのは目に見えていて、さすがに抵抗感が拭えない。
「だからテイクアウトかデリバリーにしないか?」
「テイクアウトなら誰かが買いに行く?」
古都のその言葉に反応するようにむくっと顔を上げたのは希だ。
「大和さん仲間はずれ? そろそろ起きた?」
「そ、そうだね、のんちゃん。大和さんにも、声掛けなきゃだよね」
反応したのは唯で、周囲もそれに納得顔だ。すると古都が突然立ち上がった。
「よし。ならデリバリーにしよう」
そう言い残すと古都は一度ホールから消えたのだが、すぐに1枚のチラシを持って戻ってきた。そのチラシに気づいた美和が古都に問う。
「なにそれ?」
「バックヤードのデスクの引き出しに入れてあった宅配ピザのチラシ」
「なんでそんなものが……?」
「こういうこともあろうかと私が勝手に入れておいたんだよ。はっはっは」
美和に得意げに答える古都。古都の用意周到さに表情を無くしたのは美和だけではない。古都はそのまま話を続けた。
「8人分メニュー決めて注文しちゃおう。大和さんは届いてから呼びに行けばいいよ」
「あぁ、なるほどね。それなら大和さんもう少しゆっくりできるもんね」
さすがにこれには納得した美和。その美和の言葉が合図であるかのようにこの場のメンバーが一斉に古都が持ってきたチラシを囲む。
この後、Lサイズのピザ3枚にサイドメニューとドリンクを決めると古都が注文の電話を掛けた。
『以上で宜しいでしょうか?』
「はい。あ、お届けは2階の自宅でお願いします」
最後にそう言って電話を切ると、古都はすぐさま大和にラインでメッセージを送った。
『今、大和さんも含めた全員分のお昼ご飯注文したよぉ。デリバリーピザだよぉ。届いたら下りて来てね。一緒に食べよ?』
所々明るい顔文字付きだ。その様子を見ていた唯が古都に聞く。
「なんで届け先が自宅なの? 1階のこっちで食べないの?」
ご尤もな質問である。2階にこの人数が食事を取るために収まりきるほどのスペースはない。1階で食べる方が広さや席に余裕があるし、それなら1階に届けてもらった方が効率的である。
「そりゃ、財布だよ」
「……」
さすがに言葉を失う一同。古都の奔放さは今に始まったことではないが、大和に対しては遠慮がなさすぎる。
やがて届いたピザを抱えて店に下りてきた大和。その手に持つデリバリー商品の代金はすべてこの店主が支払った。多く払うのは社会人として当然だとしても、さすがにこの人数分には肩を落とした。しかし高校生を前にして食事代の徴収が言い出せない男だ。
それを気にしないのが古都であり、また、この時既に腹を空かせていた他の高校生も代金のことは考察の外であった。それを見て渋々席に着き大和は食事を取ったのだ。
午後は唯と江里菜がそれぞれ古都と希の講師となり文系科目の勉強を進めた。この日はバンドの練習が始まる時に勉強を切り上げ一度解散となったが、この勉強会は翌日も同じ面子で行われた。その日曜日は練習もないので夜までだ。
またテスト期間中は学校が終わってから夕方まで同じ面子でこの勉強会は行われた。ダイヤモンドハーレムのメンバーはその期間中も夕方からのバイトを休まず、そして自宅での楽器の練習も怠らず、更に夜中にはテスト勉強も並行したのだ。古都と希もなんだかんだ言ってやればできるようである。
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