第二章
第六楽曲 始動
始動のプロローグは大和が語る
あながち嫌いではない。いや、今や僕は変わってしまった店の雰囲気を気に入ってしまってもいる。平日にも関わらず週中の木曜日のこの日、お蔭様で店は繁盛している。
「古都ちゃん、学校ではモテるでしょ?」
「えぇ、そんなことないですよぉ」
「またまたぁ。告白とかされない?」
「2日に1回くらいですかね」
「すげっ」
これは古都と山田さんの会話だ。その古都の反対隣の端席に座るのが田中さん。古都を振り向かせようと隙を狙っている。
「大和、次の曲の依頼は?」
「いや、まだ」
これは山田さんの隣の響輝から僕に向けた会話で、響輝の隣には河野さんが座っている。河野さんはいつものようにウィスキーを渋く飲んでいて、一方この日響輝はハイボールだ。
「へぇ、のんちゃんの親って再婚同士なんだ」
「はい」
「そんで、お兄ちゃんがいるんだ。いいなぁ」
「そんないいもんじゃないです」
これは河野さんの隣に座る希と、その隣に座る木村さんの会話だ。木村さんときたら本当に羨ましそうだから救えない。
「唯ちゃん、バイト決まったの?」
「はい。面接通りました」
「どこ?」
「駅前の喫茶店です」
「絶対行く」
これは木村さんの隣に座る唯と、その隣の高木さんの会話だ。高木さんも例外なく鼻の下を伸ばしている。その隣では藤田さんが飲んでいて、BGMにしっかり耳を傾けている。
所謂推しメンがいるお客さん達は例外なく締まりのない顔をしているのだが、ただそれでも瞳の奥に女子達を微笑ましく見る意思が見て取れる。
僕が心配することではないのかもしれないが、危ない橋を渡ろうとする人はおらず、常連さん達の大人な対応に感謝である。おかげで今、10席のカウンター席は埋まっているわけだし。
「うぉっ、新メンバー」
新メンバー? 僕は入り口から一番近い席に座っている藤田さんの声に振り返った。するとそこにはショートカットの髪型に整った顔立ちをした女の子が立っていた。店内の騒がしさからドア鈴の音にまったく気づかなかった。
そして驚くのはその女の子はなんと、背中にギターのギグバッグを背負っていたのだ。カジュアルな私服姿だが、最近寄り付いている女子達と同じ高校生だろうか? と言うことはやはり新メンバー?
「いらっしゃい。――古都?」
僕は入店の挨拶を向けるとすぐに古都に向き直った。しかし古都は「ん?」と首を傾げた表情をする。
――ちくしょぅ、それが可愛いことだけは認めてやる。
とにかく僕は先を続けた。
「古都のお連れさん?」
「え?」
古都は入り口を向くがまだ表情が晴れない。つまり古都の知らない女の子か? 僕は希、唯と順番に顔を向けるが、彼女達は一瞬その女の子を見ただけで正面に視線を戻すし、唯は小刻みに首を横に振る。つまり2人も知らない。じゃぁ、この子は一体誰だ?
「あの……」
僕が何を切り出そうかと考えながら、カウンターの内側で入り口の方に近づくとその女の子が先に口を開いた。緊張した面持ちだが、ここにいる全員の注目が集まっているのだからそれは仕方がないのだろう。
「ここってどういうお店ですか?」
「えっと、一言で言うと、ロックンロールバーかな?」
「バンドやってたりとかは……?」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。バンドをやるとはどういうことだ?
「ここに来たらバンドを組めるんじゃないかと思って」
「あぁ、そう言うこと」
女の子の言っていることに納得した。……のだが。ここは音楽を聴いて、音楽談義に花を咲かせながら酒を飲む店だ。小さなステージはあるものの、それは極たまにバンドマン達が生演奏をするためのもので、メンバー募集を目的とした店ではない。
僕がその旨を伝えようとしたその時、僕の視界に女の子に近づく古都の姿が映った。いつまのに席を立ったのだ。
「背中に背負ってるのはギター?」
「うん」
「名前は?」
「竜口美和。備糸高校の1年9組」
「え!? 私達も備糸高校の1年だよ?」
目を丸くする古都に、美和と名乗った女の子から目を離さない唯。さすがに興味を示したのか再び美和を向く希。他のお客さん達は古都と美和のやりとりを黙って見ている。彼女も備糸高校の新入生のようだ。
「うん。見かけたことがある」
「そっかぁ。私は2組の雲雀古都。もしかしてバンドやりたいの?」
「うん。私まだバンドを組んだことがなくて。それでここに来たら一緒にやれる人見つかるかもって思って。あなた達が出入りするのを見掛けたことがあったから」
なんと、そんな理由で女子高生が1人では入りにくいであろうこの店に足を踏み入れたのか。古都の初来店を思い出す。キリッとした目の美和は高尚な印象を抱くが、まさか御転婆怪獣古都と同じ系統の女子ではないだろうな。ちょっと不安になる。
「私達初心者なんだけど、もし良かったら一緒にやらない?」
「いいの? 是非」
美和の声が弾んだ。よほどバンドメンバーを求めていたのだろう。ともあれこれでメンバーが4人になった。全員女子、見事にガールズバンドだ。
「ねぇねぇ。ギター持って来てんなら、今から何か1曲やってよ?」
古都同様いつの間に席を立ったのか田中さんが美和に声を掛ける。これは美和の背中に背負われたギターを見ての言葉だ。
美和はそう言われて戸惑っていたが、場が他の常連さんをも巻き込んで盛り上がってしまい断り切れなかった。結局美和は恐る恐る店の小さなステージに立った。
すると席を立ち、ちょこちょこと歩き出したのが希だった。そしてなんと希もステージに上がったのだ。それにつられるようにホールのテーブル席に移動する常連さん達。かく言う僕もちょっと興味があったのでホールに移動したわけだが。
「
希はドラムセットの椅子に座るとスティックを握って美和に言った。美和は「あ、うん。お願い」と慌てたように返事をする。
そして始まった美和と希のセッション。曲目は国内の女性ロック歌手の有名な曲だった。それほど難しい曲ではないが、美和の技術が高いことをこの時すぐに認識した。間違いなく演奏の経験者だ。
そして希だ。初心者だと思って舐めていたが、ちゃんと形になっていた。
「すごーい。て言うか私この曲知ってる」
曲が終わると、感嘆の声を上げるとともに古都までステージに上がった。マイクスタンドの前に立ったので歌うつもりだ。
僕はそれを見て慌ててPAコーナーに身を寄せ、スピーカーを作動させた。今まではドラムの生音とギターアンプからの直接の音で事足りていたが、人の声はそうはいかない。常連さん達も乗り気だし、ここで僕が冷めた行動を取っては絶対に顰蹙を買う。僕はボリュームつまみの調整を始めた。
すると高木さんが店のベースを引っ張り出した。なぜ保管場所を知っている……。現役時代ベーシストの高木さんは唯にコードを教え始めた。今演奏された曲のコードをすでに把握していたとは、恐れ入る。
「とりあえず全部ルートでいいから弾いてみ?」
「えっと、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だって」
なんと、高木さんに促されて唯までステージに立った。もしかしたら初めてベースを握るのかもしれないが、唯はコントラバスの経験者か。一方、古都はすでにマイクを手に握っている。
ステージの上の4人は一度視線を合わせるとホールを向いた。
シャン・シャン・シャン・シャン
希がハイハットでカウントを4つ打ち、演奏が始まった。
イントロを聴いて意外と曲になっているなと思った。細かいことを言えば幾らでもダメ出しはできる。希のテンポが走りそうになることとか、唯がコードをまだ完璧に覚えていなくて間違えたところとか。
しかし美和以外初心者。そして音を合わせるのが初めてのメンバー。ちゃんと形になっているのだから大したものだ。
曲は進みイントロから歌が加わり驚いた。それは古都の歌唱力だ。
最初こそ我が子を見るようなデレっとした顔でステージを観ていた常連さん達。彼らは軽音楽に耳が肥えている。最初から彼女達の歌や演奏に期待はしていない。けど明らかに目の色が変わった。それは響輝も同様だった。皆古都の歌声に聴き入っていたのだ。
「古都ちゃん。俺ギター1本余ってるからそれあげるよ。安物だけど」
これは山田さんの言葉だ。演奏が終わって一様に満足そうな表情のメンバー達。山田さんはステージを下りようとするその中の古都をすかさず引き留めたのだ。僕からはまだ古都の歌声の余韻が消えない。多くの常連さん達ももしかしたらそれは同じなのかもしれない。
「本当ですか!?」
「明日持って来てやるよ」
「やった!」
声を弾ませる古都。顔と体全体で喜びを表現する。すると唯にコードを教えた高木さんが唯を引き留めた。
「俺が現役の時使ってたベース、唯ちゃん使ってよ。俺のも安物だけど」
「え? そんな申し訳ないです」
「気にしないで。俺もう使ってないし、唯ちゃんなら大事に使ってくれそうだから」
「本当にいいんですか?」
「うん。明日持ってくるよ」
こんなやりとりを経て、正式にガールズバンドが結成されたのである。
「さ、後は大和の決断だけだな」
これは全員がカウンター席なりホールのテーブル席に座り直した後の河野さんの言葉だ。河野さんは元いたカウンター席に戻り、カウンターの中の僕に言ったのだ。
「結成自体は自由ですけど、別に僕が関わる必要までないでしょ」
「まだそんなこと言ってんのか? 楽器揃えたら教えるって言ってただろ?」
苦笑いを浮かべて僕を諭す河野さんに周りの常連さん達が反応した。
「大和の薄情者め」
「じゃぁ、音楽教えるの俺達が引き受けるぞ」
「そうだ、そうだ。この店に来る時間削って俺達が教えてやる」
とまぁ、こんな野次を受けては断るに断れないわけで。
「わかりました。指導引き受けます……」
僕は彼女達に音楽を教えることになったのだ。彼女達が売り上げに貢献してくれたことは事実だし常連さん達の声は無視できない。そんな僕を見て満足そうな河野さんや他の常連さん達。そして揶揄かうような笑みを向ける響輝。
――響輝め、絶対手伝わせてやる。
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