祝福の子
13
背後で重い音をたててドアが閉まった。ブラインドが閉めきられた部屋は人工の照明のみで明るい。目前の革張りの椅子には、男が座していた。
「固くなるなよ。簡単な調査だ。ほとんど全員に聞いているから緊張するな」
そう笑う男は組織の中でも指折りの有力者で、もう五十を過ぎたくせに作り出す表情は青年のように若い。
「先日の抗争でレオンハルトが死んだ」
そういわれたが特に何の感慨も湧かなかった。ダークブラウンの机の上に並べられた、事切れている男をうつした写真たちを見やる。薄く引き伸ばしたような水色の目を見開き、額のど真ん中には銃弾が貫通した赤黒い穴が空いている。とりあえず「そうですか」と返事をしておいた。
「レオンハルトを殺したのは相手の組員の弾だった」
「それが、何か?」
先日の抗争は大規模だった。川沿いの廃工場の中、最終的に敵と味方が入り乱れて百人近くになっての乱闘になった。自分も血みどろになりながらそこにいたが、あまりの地獄絵図に最中の記憶は吹っ飛んでいる。
死んだ身内の数は十三にのぼった。そのうちのひとりがレオンハルトだった。
「レオンハルトの頭の弾がだれのものか調べた際にわかったんだがな、その弾の持ち主はレオンハルトが殺される一時間前には死んでた」
「へえ」
最近の科学ではそんなこともわかるのかという素直な感嘆だった。
「まあ、あの規模の乱闘では私も手当たり次第にそこら辺にある武器を拾って使っていましたから、持ち主じゃない人間が撃っていても不思議はないのでは?」
明るい瞳を、上からゆっくりと見下ろす。陽気な男の目は獲物を見定めるかのように光っていた。
「見つかった相手の銃に手袋の痕があった」
「手袋をしてる人間なんて身内だけでも相当数いますよ」
「ああ、だからそれを一人ずつ呼び出しているのさ、ヴィルフリート」
親しげなほほえみを浮かべながら、その人は明らかにレオンハルトと因縁のある者のことを疑っていた。
「三日前の抗争でつけていた手袋を出せ」
あくまでにこやかに要求する男の目をしばらく見て、おもむろに口を開く。
「──燃やしました」
「は?」
「殴った相手の鼻血がついて汚かったので燃やしました」
男は目を丸くしたあと、一拍おいて、声をあげて笑いだした。
「そうかそうか! 燃やしたか! あははは!」
ひとしきり後ろに仰け反るほど笑ったあと、男はすっかりリラックスしたように、少々だらしなく椅子の背にもたれた。張り詰めていた空気から力が抜けていく。
「あー、ヴィルフリート。レオンハルトとおまえのどっちが生き残るかずっと見てきたが、俺はおまえが生き残ってうれしいよ」
「……俺のことを処刑しますか」
「何の罪で? 身内殺しは立証できないだろう」
「例えば、あなたに生意気をいった罪だとか」
くだらないことをいうなとでもいいたげに、男はひらひらと追いやるように手を振った。頭を下げて部屋を出る。分厚い扉を再び閉めるまで、彼のご機嫌な鼻歌が聞こえていた。
ほう、と息を吐く。腕時計を確認すると、婚約者との約束にはきちんと間に合いそうで安心した。
「子供ができたとき、正直、あなたなら堕ろせっていうと思ったわ。子供が好きなイメージなんて全然なかったし」
いいながら、婚約者は頼んだタルトをフォークで器用に切り分けて口に運んでいる。
チェーン店だが人気の店らしく、まだ春には少し遠い季節だったが、広々としたテラスは端から端まで人で埋め尽くされていた。そのほとんどが近くの大学に通う生徒たちや若い家族連れだった。美術館帰りの自分たち二人は年齢的にも少し浮いていたが、この混みようではいちいち他人に目をくれる余裕もないだろう。
安い材料が使われているとわかっていても、どうしても好きな味なのだ、といってフィアンセは笑っている。彼女の腹はゆったりとしたドレス越しにも、だいぶ目立つようになってきていた。
「ねえ、子供ができてうれしい?」
「勿論さ。むしろここ数年ずっとほしかったくらいだから。最低でも一男一女、二人はほしかった」
思考の端で、生成りのスカートのすそがひらひらと揺れている。走っていく少女の後ろ姿。やわらかな光に包まれ、ベールにくるまれたように淡い、色褪せた思い出。その光の向こう側から、同じ年頃の少年の、小さく息を吸う音までもが聞こえるような気がした。そこから流れ出るはずの音色を思うだけで、胸の内が震える。
あの時の彼らの輝き、あの幸福を、自分の手の中で再現できたのならと思ったのだ、という本音はだれにもいっていない。
「そんなにほしかったなんて本当、想像もできないけど、よかったわね双子で」
一度に夢が叶って、と彼女は可笑しそうにしながら、慈しむように腹をさすった。
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