第26話 残酷な提案
「後ろに下がれ! アリス!」
立ったまま目をつぶっていたわたしに、力強く声がかかる。
わたしはその声に反射して、後ろに下がる。
そのわたしの目の前にいたのは、ハルトだった。
ハルトは白銀に光る刃をモンスターに向けて一閃させた。
モンスターはあっという間に両断され、真っ黒な水の中に沈む。
それを見届けているハルトは、会社にいたときとは違う、絵に描いたような英雄の姿だった。
もしかしてハルトはわたしのことを思い出してくれた……?
そんなふうに一瞬でも思ってしまったわたしだったけど、ハルトは無言で湖を見続けている。
以前のハルトだったら、すぐに振り返って「大丈夫か?」と声をかけることがわかってしまって、わたしはその場に立ち尽くした。
湖がもとの静けさを取り戻した頃、ハルトは振り返りわたしに向き直る。
「君は馬鹿なのか? いくらここがモンスターの出にくい場所とはいえ、夜はまだ別なのはわかっているはずだ!」
ハルトは怒鳴りながらわたしを見る。
そしてわたしの顔を見たとたん、ハルトは絶句した。
ハルトに助けてもらって……でもハルトに抱きつくことができなくて……わたしは止まらない涙を流すだけだった。
そんなわたしを優しくハルトは抱きしめることはせずに、ため息をつく。
「君は俺の婚約者だということだけど、俺はなにも一切覚えていない。先ほどアルニエと話をして、どうやら俺の記憶が抜け落ちているようなのは理解した。だが、君との約束は覚えてないから、勝手だけどもしもきちんと婚約していたのなら、その約束は破棄させてもらいたい」
今のわたしにとっては一番残酷な言葉だった。
「…………では、もうわたしのことは放っておいてください」
言葉が話しづらい。
泣きすぎたのか耳が遠くなっていて、そのあとのハルトの言葉は聞き取れなかった。
そしてそのままわたしの意識はなくなった。
*
目が覚めると、天井が見えた。
自分の家の白い天井だったらよかったのに、ここはアルニエの家の天井なのがわかってしまった。
なぜなら、アルニエがわたしを心配そうな顔で覗き込んでいたからだ。
「あ、アリス様、大丈夫ですか?」
アルニエから水を受け取り、ゆっくりと飲む。
少し頭が痛いけど、その他の身体はどこも異常がない感じ。
わたしはぼーっとしながらアルニエに説明を受けたのだが、力の開放と行使にものすごい体力と魔力を使っていたらしい。
どちらにせよあのまま家にいても、わたしは気を失っていたとのことだった。
「でも、アリス様はそれだけじゃなさそうですよね。レオンハルト様となにかありましたか?」
アルニエの家に帰ってくるとき、わたしはハルトに抱きかかえられていたようだった。そのハルトの表情が尋常ではなかったようで、アルニエはいろいろと心配してくれている。
わたしはその質問には答えずに、アルニエに聞く。
「あの、ハルトは今なにをしているんですか?」
「外で剣を素振りしているみたい。まだ魔王がいなくなったっていうことを信じていなくて……それと」
ハルトの記憶が戻った時期が、アルニエにはおおよそ予測がついたらしい。
そのあとなにかをアルニエは言いたそうにしていたが、結局言わずに次の話題に移ったようだった。
「レオンハルト様の呪いは解けているのですが、記憶が戻らないことには邸宅まで戻れませんよね。それに邸宅にはレオンハルト様を付け狙っている誰かがいるわけですし……難しいです」
そうだよね。
ここでじっとしているわけにもいかないし、いずれはあそこに戻らなきゃいけない。でもいまのハルトの状態では、わたしの手の届かないところで再び呪いにかけられてしまうだろう。
それはアルニエも考えていたことで、わたしに一つ提案をしてくれた。
「レオンハルト様に魔王の城まで行ってもらうんです。そしてもう魔王がいないとわかれば、記憶が戻るかもしれません。絶対に戻る、とは言えませんがやってみるべきだと思います」
人づてで話を聞くより、実際に見たほうが納得するもんね。
それにハルトの記憶が戻れば、わたしのことも思い出すだろうし。
「そうだね。ここでじっとしててもなにも変わらなさそうなら、いろいろ行動してみるべきだよね」
「そうですよ。早速準備して明日には出かけるようにしましょう」
アルニエはそういうと、準備にとりかかるようだった。
「アリス様は寝ていてくださいね。明日から忙しくなりますから。少し落ち着いたらレオンハルト様の面倒を見ていただくようお願いします」
正直、ハルトに近づくのは怖かったけど、忙しそうなアルニエの手前、わたしはハルトと過ごすことにした。
頭が痛いのがなくなってきた頃、ハルトの様子を見に外に出た。
ハルトは湖のモンスターを倒したときの剣を持ち、それで素振りをしていた。
「俺の剣じゃないからしっくりこないな」
とぶつぶつ言いながら素振りを繰り返すハルト。
以前に魔王を倒したときには、仕事もできるハルトだから、きっちりといろいろなことをこなしていたのかな。
額の汗が目に入りそうだったので、わたしは手に持っていた手ぬぐいでハルトの額を拭おうと近づく。
「あの、ちょっといいですか?」
剣を持っていたので、わたしは声をかける。
ハルトは手を止め、わたしに振り返ったので、その額を拭おうと手を伸ばす。
「いい、自分でやるから」
わたしの手首を掴み、ハルトは手ぬぐいを取ろうとする。
そのとき、わたしは目の前がチカチカとし、何かの場面が見えた。
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