第19話 酔ったアリス

 あれから喫茶店を出て、ジェムボックスで打ち合わせをしたあと、会社に帰ると夜七時を回っていた。


「俺はちょっとさっきの打ち合わせの書類をまとめていくから、アリスは先に帰っていいよ」


「いえ、わたしも手伝います」


 この時間になってしまったから、少し残ってもなにも問題ないと思った。だけどハルトはかなり遅くなりそうで、終電が早いわたしに先に帰るように言ってくる。


「気持ちはありがたいんだけど、来週の仕事もまとめておきたくてさ。一人で帰らせるのは心配だけど、ごめん。明日、アパートの近くまで迎えに行くから」


「わ、わかりました……あまり無理しないでくださいね」



 今日は金曜日。

 ほとんどの社員は定時帰宅を決められているので、残っている人はわずか。わたしはハルトに帰宅することを伝え、誰もいない廊下を一人で歩く。


「……アリス。待ってたよ」


 会社から出ようとしたときに、広谷くんが暗がりから顔を出す。


「広谷くん……」


 少し怖い雰囲気の広谷くん。

 わたしはつい回れ右をして、自分の部署にいるハルトのところに行こうとした。


「ちょっと待ちなよ」


 二の腕を掴まれるかと思って、わたしは身をすくめた。

 でも広谷くんは、後ろを向いたわたしに続けて言う。


「今晩だけ、一緒に食事をしてくれないかな」


 いつもの軽そうな雰囲気は広谷くんからは感じられなかった。わたしはゆっくり振り返って見る。そこには切なそうにわたしを見る広谷くんがいた。



 *



「ごめん、アリス。無理やり誘ったみたいで」


「別に気にしてないよ。ちょうど夕食、まだだったし」


 大学時代のサークルで集まったことのある居酒屋の個室。

 懐かしい場所にわたしと広谷くんは居た。外は大学生が騒いでいるから、シンとした雰囲気はなくてよかった。

 さっきの少し怖そうな雰囲気の広谷くんも、なんとなく大学時代の顔に戻ったかのようだった。


 目の前のテーブルには居酒屋によくあるメニューが並んでいる。しかもわたしが好きなメニューばかりだった。


「鶏の唐揚げだろ。それにシーザーサラダ。だし巻き卵に酢の物。それとデザートの小豆と白玉団子。追加でチーズケーキ。アリスはいつも決まったメニューばっかりだったもんな」


 なんでバレてるんだろう。

 そりゃいつも同じものを頼んで、どこの居酒屋のが美味しいとかやってたとは思うけど、それは一人でこっそり楽しんでいたはずだったし。

 そんなわたしを見て、ふっと笑う広谷くん。


「いつも見てればわかるよ……さ、食べようぜ」


 二人で食べるにはちょうどいい量の料理。

 それをつまみながら、気持ちよさそうにビールを飲む広谷くん。服装はスーツだったけど、その顔は大学時代に戻っていた。


「アリスも飲みなよ。ま、社会人だから程々に、だけどな」



 ほろ酔いになってきたころ、広谷くんがわたしに話す。


「アリス、お前さ……俺の気持ちに全然気づかねぇからつい、あんなあだ名を付けちゃったんだよ。それで俺、あのあだ名のこと、ずっと気にしててさ」


「そうだよ。あのあだ名のおかげでわたしの大学生活は真っ暗だったもん」


「う、ご、ごめん。でもアリスに余計な男とか近づけたくなかったんだよ」


 あ、この流れ。

 ハルトが言ってたように、広谷くんはわたしのこと、好きだったのかな。



「でもさ、広谷くんっていろいろな女の子をとっかえひっかえしてたよね?」


「あー、うん。まあアレは噂だけっていうのもあったけどね。今はその子たちとは連絡を取ってないし」


 ジッと見つめていたわたしの視線を跳ね返すように、広谷くんはわたしを見る。


「つまり、アリスって俺の気持ちに全然気づいてなかったわけ?」


「うん。ただの意地悪な人かと思ってた。ってどういうことなの?」


 口ごもる広谷くん。少し間を開け言いづらそうに口を開く。


「……俺、アリスのことが好きだ」


 広谷くんの告白を受けたわたしは正直、困ってしまった。

 そんなわたしの表情を見て、すぐに広谷くんは言葉をかぶせる。


「――って、冗談だよ。まさか本気にした?」


「……」


 無言のわたしに、広谷くんはお酒を勧めてくる。


「今日、俺が言いたかったのはさ、あんなあだ名を付けちゃったことを謝りたかったんだ。本当にごめん。今更謝られてもしょうがないだろうけどさ。それと……」


 たまにこうして話をしながらお酒を飲みたい、と広谷くんは言った。もちろん俺がおごる! と豪語していたけど、それは申し訳ないと思う。


「ううん、大学時代のように割り勘でいいよ。ただ仕事でわたしは忙しくなるかもしれないから、約束は出来ないけど」


「ん、それでもたまに、会いたい」



 帰り道、駅へと向かう道中で、広谷くんはわたしに質問をしてくる。


「小花沢っていう奴だけど、本当にアリスとは先輩後輩の間柄で、仕事上の付き合いなんだよね?」


「う、うん。そうだけど?」


「なら俺は遠慮しないことにする」


 何が? と聞いたけど、広谷くんは首を横に降って、ついた駅で別れる。


「じゃ、また。今日教えてもらったメールで連絡するよ。おやすみ」


「お、おやすみなさい」



 広谷くんはわたしのメールアドレスを聞くときもしつこかった。勢いに任せてつい教えてしまったけど、大丈夫だよね。メールがうっとおしかったらブロックすればいいだろうし。


 わたしは電車に揺られながら、久しぶりに飲んだふわふわな気分も悪くはないかも、と思った。広谷くんとの飲みで、なんとなく大学時代に戻った気分だったし。


 お酒の力を借りて浮かれた気分のわたしは、気持ちよく家に帰宅したのだった。

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